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悠一郎の頼みごと〈4〉
「はぁ……着替えだけでも面倒やなぁ」
「まぁまぁまぁ。花嫁さんはもっともっと大変なんすからね〜」
舜平の着付けを担当しているのは、この式場専属の男性スタイリストだ。
胸のネームには、『木下』と書かれている。金髪の短髪をおしゃれに立ち上げた軽薄そうな男だが、手慣れた手つきはプロである。熟年の職人のような手つきでこなしていく仕事ぶりは見事なもので、姿見の中の自分が、あっという間にパリッとしたタキシード姿の花婿仕様に変えられていく様に、舜平は目をみはるばかりであった。
木下は、紋付袴からシャンパンゴールドのタキシードに着替えた舜平の周りをきびきびと動きながら、髪の毛のセットに勤しんでいるところだ。
「はい、完成〜。うわやっば、超イケメン!」
「……はぁ、どうも」
「あんた、ほんとにモデルじゃねーの? 一般人?」
「え? あぁ、まぁ、そっすね」
「へぇ……。んでさ、花嫁役のモデルの子、本当に男なわけ?」
「……え? まぁ、そうですけど」
腕は認めるが、こんなにもチャラい男から珠生の話題を振られると、舜平は無意識に身構えてしまう。道具を片付けながらふんふん鼻歌を歌っている木下の横顔を、舜平はじっと観察した。
「それが……何か?」
「え? いやいや〜、すっげ可愛い子だなぁと思ったら、男だっていうじゃん? ありゃすげーわ。北崎くんの専属モデルって言ってたけどさぁ……ってことは、あの子と北崎くん、デキてんのかなぁ?」
「……い、いや、そういうわけじゃないみたいっすけどね」
「ふ〜〜ん、そーなんだ。ってか……さっきの撮影、すっげいいムードだったよねぇ。ひょっとして、君たちがデキてるとか?」
「……」
木下は舜平の反応を窺うような目つきで、薄い唇に笑みを浮かべながらそんなことを言った。舜平が否定すれば、木下は珠生に手を出すつもりなのだろうか。スタイリスト業界にはゲイが多いという噂はよく聞くが、この男はどうなのだろう。
「えーと、木下サン。あんたはゲイなん?」
「え? 俺? いーや、俺はノンケだけど。でも、あれほどの美少年なら、ちょっと遊んでみたいかもーなんっつって。北崎くんに紹介してもらおっかなって」
「……へぇ」
こんな軽薄そうな男を、珠生に近づけるわけにはいかない。かといって、ここで大人気なく挑発に乗って下手なことを口にするのも憚られた。
舜平はスッと立ち上がり、間近で木下をじっと見下ろしてみた。身長は一七五、といったところか。体格はどちらかというと細身なほうだろう。大柄な舜平にいきなり真上から見下ろされて、木下はぎょっとしたように目を瞬いている。
舜平はぐいと木下の肩を掴み、手狭なメイク室の壁に、やや強引に押し付けた。そして、冷や汗をかいている木下に壁ドンをしながら、やたらと細くとがった顎を指ですくい上げてみる。
「そんなに男と遊びたいなら、俺が相手になるけど?」
「ふぇっ……!?」
「ちなみに俺、タチしかやれへんけど、どーする? それでもいい?」
「ば、バリタチ……!?」
「あんた、全く俺の好みとちゃうけど……年上相手ってのも燃えるかもな」
「……い、いや、俺は、それは、あの、」
「どうする? 今ここで、セックスする……?」
「ひぃぃっ……」
思わせぶりに木下の耳元で囁くと、木下は震え上がってカチコチに硬直してしまった。怯えを含んだ木下の目を超至近距離で見つめながら目を細めて微笑むと、青くなっていた木下の頬に、さっと赤がさす。
その時、コンコンとドアがノックされ、悠一郎が顔を出した。
「おーい、舜平。出番…………って何やってんねんお前!!!?」
「お、出番か。すぐ行くわ」
舜平は木下から離れると、ジャケットの襟を正しながら悠一郎を伴い、メイク室を出て行く。
取り残された木下は、へなへなとその場にへたり込んだ。
+
「何やっててん、お前……」
「だってあのチャラ男、珠生に手ぇ出したろかなみたいなこと言うんやもん」
「はぁ? だからああして脅かしてたんか?」
「あいつクビにした方がええんちゃうか? 結婚式場におっていいんか? あんな尻の軽そうな男」
「まぁチャラい人やけど、腕はいいねん……」
「ふーん」
式場内をチャペルに向かって歩きながら、悠一郎はため息をついた。そしてふと、コツコツと靴音を馴らして歩く舜平の姿を見て、ほほうとため息をついた。
「ええな、似合うわ。むっちゃかっこええ」
「え、そうか?」
「おう、それ、いい色やろ。シルバーよりも華があるし、どんなドレスとも相性いいねんで」
「ふうん……」
歩きながらタキシードの袖や裾の辺りを見回してみるが、舜平の目には、タキシードなどどれも同じに見える。
しかし、色味は確かにきれいだ。ほんのりと生成り色がかったタキシードの色味にはあたたかみがあり、優しげな雰囲気を醸し出しているように感じられた。全体的に細身なデザインで着丈は短めというシルエットは、舜平の脚の長さや、すらりとした上背を、いかんなく魅力的に引き立てている。
「珠生は?」
「珠生くんのドレス姿はまだ俺も見てへんねん。……楽しみやなぁ。チャペルに映えるやろうなぁ……はぁ、はよう撮りたい……」
「……せ、せやな」
悠一郎がそわそわしているので、ついつい舜平までそわそわしてしまう。
磨かれた人工大理石の白い廊下を歩くうち、二人は撮影場所であるチャペルに到着した。
廊下からチャペルにつながる扉は、三メートルはあろうかという縦長の扉である。悠一郎が重たげに扉を引き開けると、日常風景とはまるで雰囲気の異なる静謐な空間が目の前に広がった。
瑠璃堂のチャペルは吹き抜けを利用しており天井が高く、荘厳な雰囲気を有した美しいチャペルだ。BGMとして流れているパイプオルガンやオルゴールの音が心地よく響き、壁に彫り込まれた十字架からは陽の光が差し込んで、幻想的な雰囲気を演出することに成功している。
その空間のあまりの神々しさに、舜平は思わず言葉を飲み込んだ。
隣にいる悠一郎は舜平の表情を見て満足げに微笑みながら、撮影の準備を始めている。
「……めっちゃきれいやな」
「せやろ。このチャペルに憧れてここで式挙げたいっていう人、結構多いらしいわ」
「へぇ、なるほどなぁ」
「もういっそのこと、ここで今挙式でもするか? 俺が立会人になったるで」
「は、はぁ?! アホか、そんなん……そんなん、せぇへんし」
「ちょっとええなとか思ったやろ」
「思ってへんわ! だいたい、珠生は女装してんねんで? 俺はいつもの珠生じゃないと嫌や」
「お前さ、最近俺には堂々と惚気るようになって来たな」
「え、そうか?」
「ええこっちゃ……妬けるけど。はぁ……俺も早く出会いが欲しい……」
「芙二子でええやん」
「いやいや、適当なこと言わんといて」
二人が軽い会話を交わしていると、コンコン、と開け放した扉がノックされた。二人がハッとして振り返ると、珠生を担当しているスタイリストの女性がチャペルの中を覗き込んでいるところだった。
「珠生くん、準備できましたー!」
「おう、ありがとうございます! そ、そ、そこにいはんの……?」
「なんで北崎さんが緊張してんすか。慣れないヒールで頑張って歩いて来てくれてますよ。入場のシーン、撮影するんでしょ? 花婿さんはほら、十字架の下に行った行った!」
「あ、はい」
パンパンと手を打つその音が、わんわんとチャペル内に響き渡った。舜平は悠一郎に指示された通り、チャペルの壁際を歩いて、十字架の下にある聖壇の右側に立った。胸の高鳴りが収まらず、ひどく落ち着かない気分だ。でも、ドレス姿の珠生の姿が扉の向こうに現れるその瞬間が、楽しみで楽しみで仕方がない。舜平はごくりと唾を飲み、背筋を伸ばして珠生を待った。
その時、ガタン……と扉が開いた。
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