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『親友の結婚式』〈1〉
十一月某日、宮内庁京都事務所。
その日、珠生は東京から来る修学旅行生150人を相手に、京都御所の歴史について話をせねばならない役回りを負っていた。
これまで、少人数の案内ならばいくつか回数をこなしてきた。珠生の態度や説明のわかりやすさについて、先方からは大満足の声が上がっている。そのため、珠生は京都事務所管理部管理課における信頼は得てきているのだ。その成果もあり、今日の団体相手に抜擢されたというわけだ。
そのため、珠生は朝から元気がない。
頼みの舜平も、今日は藤原に付き添って、京都府庁での会議に出席してから出勤することになっている。ちなみに、宮内庁京都事務所長は藤原だ。このポジションにつくことで東京へ出向く機会が減ったことを、藤原はとても喜んでいるのである。
珠生ははぁぁぁと重たいため息をついて、ぱらぱらと手元の資料をめくった。
「珠生くん、大丈夫……?」
と、先輩職員である紺野知弦 がおずおずと声をかけてきた。紺野は紺野でひどいあがり症であるため、自分から進んでは団体の前に立たない。だが、英語と中国語が堪能であるため、外国人相手の仕事の際は重宝される存在である。
「だ……大丈夫ですよ。ちょっと緊張してるだけで」
「ぼ、僕がもっと団体慣れしてたら、手伝ってあげられるんだけど……」
「平気です。話すことは全部覚えてるし、マイクもあるから声を張らなくていいわけだし……。淡々と話して淡々と終えれば……」
「何言ってんですか! ちゃあんと御所に興味を持ってもらえるように会話に華を添えて進めていかへんと、すぐに飽きられてまうよ?」
と、今や職場の先輩となった五條菜実樹が、カタカタとパソコンを操作しながらそう言った。
「ええ……? そうですかねぇ……」
「珠生くんにはすごい威力の営業スマイルがあるんやし、笑顔だけ心がけて話してたら大丈夫やと思うけどなぁ」
「笑顔……はぁ、なるほど」
「ま、がんばりや。サポートに入ってあげたいのは山々やねんけど、私、このあと京都府警に捜査協力いかなあかんねん」
「……俺、そっちの仕事の方が良かったです」
「まぁまぁ、珠生くんが出張るほどの問題やないし、刑事の相手もなかなか大変やしな〜。珠生くんにはお役所仕事にも慣れてもらわなあかんから、訓練と思って頑張りや〜」
「はい……」
五條はそう言って、バッグを肩にかけて颯爽と出ていってしまった。相変わらずマイペースな女性である。
コミュニケーション能力に秀でた女性職員たちをはじめ、敦や佐久間は舌がよく回るため、団体相手の仕事が得意である。しかし珠生は今もそこそこの人見知り体質だ。すぐに彼らのように仕事をこなせと言われても、無理な話だ。
しかし、そろそろ時間だ。珠生は意を決して、立ち上がる。
――相手はたかだか高校生……。高校生がたった150人だ……。どうせ俺の話なんて頭っから聞く気のない子だっていっぱいいるに決まってるし、すぐそばを歩いてる生徒や先生を相手にちょっと質問とか振って間をもたせていればなんとかなる……。
脳内でそういう場面をシュミレートしながらジャケットをビシッと身につけ、ぎゅっと黒いネクタイを締め直す。そして手に黒いクリップボードを持ち、インカムマイクを装着する。
そしてドアの前で一旦深呼吸をすると、一気に扉を押し開けて、すたすたと集合場所へと歩き出した。
視線の先には、小洒落た制服に身を包んだ高校生の男女がわらわらと集まっている。珠生は意識を無にしてすたすたとその集団に歩み寄ると、生徒達を大声で整列させている教師のかたわらに立った。そして、疲れた顔で生徒を怒鳴っている教師の肩を軽く叩き、笑顔で挨拶をする。
「おはようございます」
「……えっ……えっ? あ、お、おは、おはようございます……」
四十代後半と思しき男性教諭は、珠生の顔を見てしぱしぱと目を瞬き、たどたどしく挨拶を返した。そして改めて、珠生の顔を食い入るように凝視している。
緊張している珠生は教師の視線などに気づくはずもなく、淡々とその日のスケジュールを伝えた。すると、すぐそばでざわついていた女子生徒たちが「え……まじ?」「ちょ……なに? 超かっこよくない?」「え? なに? 芸能人?」「やば、ちょ……写真撮っていいかな」と、ざわざわとさらにざわめき始めた。
そういう興奮はすぐに伝播するもので、気づけば珠生はそこにいる全員の視線をもれなくその身に集めることになっていた。
しかし、依然として緊張している珠生は、そんな女子生徒たちの興奮など気づかない。男子生徒までもが「うわ、すげ……超きれー」「ねぇまじ誰? モデル? めちゃくちゃタイプなんだけど」「えっ、この人が案内すんの? ちょ、前いこ前!」などと騒ぎ立て始めている。徐々に高まりつつある興奮状態に気づかない珠生は、淡々と教師との打ち合わせを終え、今度は生徒達の方へ向き直った。
そして、心を無にして、輝かんばかりの営業スマイルを浮かべた。
「みなさん、京都御苑へようこそ。本日の案内役を務めさせていただきます、沖野と申します。どうぞよろしくお願いします」
直後、色めきだった男女が、一斉に珠生の周囲に殺到した。
+
「ほれ、お疲れさん」
「……あ、ありがと……」
「やれやれ、お前の営業スマイル、高校んときよりパワーアップしとるみたいやな」
「……そんなこと言われても……」
昼休み。
事務所の休憩室で、珠生は湊にお茶を振舞ってもらっていた。テーブルに突っ伏してぐったりしていた珠生は、香ばしいほうじ茶の香りに誘われてようやく顔を上げた。その顔は、げっそりと疲れ果てている。
「しかし、舜平がこーへんかったらと思うと、ぞっとするわ。なぁ?」
「ほんまやで」
と、珠生の隣に座っていた舜平が合いの手を打つ。
高校生達に取り囲まれてもみくちゃになっていた珠生を救ったのは、舜平であった。藤原とともに事務所へと戻ってきた舜平は、表がいやに騒がしいことに気がつき、すぐに外へ出たのである。そして珠生が真っ青な顔で高校生達(男女問わず)に迫られている様を見つけ、慌てて助けに行ったのだ。
珠生の頭についていたインカムマイクを外して自分に装着し、舜平は「ほんなら、まずは御所のなりたちから説明していこかなと思いますー!! はい注目ー!!」と珠生を背後に庇って大声を出した。突然現れた舜平の姿に皆が一瞬ぽかんとしていたが、舜平は舜平で、見目のいい爽やかな若者である。女子生徒たちはまた違った意味で色めきだち、素直に舜平の指示に従い始めた。しかし、男子生徒は「えー沖野さんがいいでーす!!」「なんで急に変わるんですかー!?」などとブーイングを始めるという始末。
舜平は少年たちに向かって、「説明は沖野が致します! 私はサポート役に付かせてもらいますので、一緒に回っていきましょうね」と、あえてのように爽やかな笑顔を向けてやった。
かくして、珠生のボディガードのような役回りで案内役についた舜平とともに、なんとか団体の仕事を終えたのであった。
「……新入りの舜平さんに助けられるなんて……」
「なんや、そんなこと気にしてんのか? お前と違って、俺はコミュニケーション能力が高いんやし、しゃーないて」
「ううう、その言い方すげー腹立つ……」
舜平の爽やかな物言いに神経を逆撫でされたのか、珠生はふくれっ面をして舜平を睨んだ。
珠生よりも約半年遅れて宮内庁職員の一員となった舜平であるが、正式な採用は来年度の国家公務員試験をクリアしてから、ということになっている。しかし舜平の最終学歴を鑑みて、前倒しでの採用が許可されたのであった。
加えて、舜平は転生者だ。しかも、千珠を間近で支え続けてきた舜海の生まれ変わりとあって、その霊的な能力にも高い期待が寄せられているのだ。
「ところで、もうすぐ湊の結婚パーティやな」
と、珠生に気を使ってか、舜平が急に話題を変えた。湊はお茶を飲みつつ頷いて、「おう、そうやねん。といっても、俺はそない準備することないねんけど、百合はエステ行ったりダイエットしたり、なんや楽しそうにしとるわ」と言った。
「そら、ウエディングドレス着るなんて、一生に一回のことやもんなぁ。女の子は気合入るんやろな」
「そうみたいやで」
湊はいつもと変わらぬ淡々とした表情だが、声の調子はいつになく軽やかな気がする。珠生はそんな親友の姿を見つめつつ、はぁ、とため息をついた。
「いいなぁ、湊は」
「え? 何が?」
「だってさぁ、同期なのに、技術部ではすでに大活躍だし。俺と同い年なのに、結婚決まってから貫禄出てきたし」
「この歳で貫禄とか言われても、全っ然嬉しないねんけど」
「珠生」
すっかりへこたれている珠生の頭に、ぽんと舜平の手のひらが乗せられる。珠生は舜平の方へ視線を移した。
「団体捌けへんかったんはしゃーないんやし、そうへこむなって。相手が悪かっただけや」
「……うーん……」
舜平に慰められ、珠生は少しばかり表情を緩めた。
「せやせや、全てはお前の顔が良すぎることに問題があんねん」
「湊……それを言われると、俺どうしようもないんだけど」
「『そらゐ』でバイトしとったときみたいに、ダッサイ眼鏡とかかけたらどうや」
「うーん……。てか、ダサかった? あの眼鏡、そんなにダサかった?」
「まぁまぁ、そんなんせんでも大丈夫やって。場数踏んでいけば、そんときの客に合わせて、どう振る舞えばいいんか分かってくるやろ」
と、舜平がまた助け舟を出す。
「う、うん……。てか、後輩に慰められるって悲しい」
「ははっ、せやった。今は珠生のほうが先輩やもんな。すみませんね、先輩」
と、舜平がきらきらと清々しい笑みを見せるものだから、珠生はまたふくれてしまった。
「ま、仕事のことはさておき。パーティには優征や斗真も来るし、うまいもん食いながら昔を懐かしもうや。な?」
と、湊。
「懐かしむって言っても、卒業したのつい最近だけど」
「あんなに毎日べったり一緒におったのに、半年も会ってへんねんで? 懐かしいやん」
「まぁ……そう言われてみれば」
と、珠生はかつての同級生たちの顔を想った。
皆がそれぞれに、新たな道を歩み始めてから半年。
最初のうちは、優征や斗真から来るメールに応じていたが、ここ最近忙しかったため、随分長い間放置していることを思い出す。
そういえば、亜樹や深春ともまともに会話をしていない。そうして昔馴染みの顔を思い出すにつけ、自分がいかに余裕を失っていたかということに気づかされる。
「……懐かしいかも、確かに」
「せやろ」
「若者だらけやなぁ。俺、話し相手おるかなぁ」
と、舜平が缶コーヒーを飲み干しながら、のんびりとそう言った。
「先輩は来てくれはるし、天道や深春と近い席にしてあるし、大丈夫ちゃう?」
「……なるほどな、彰が悪酔いせぇへんように見張る役回りか」
「ま、それも頼みたいところではある。会費負けたるから」
「ええてそんなん。彰の世話にはもう慣れたしな、任しとけ」
「さすが舜平、頼りになるわ〜」
と、わざとらしく持ちあげられ、舜平はじろりと湊を睨んだ。
珠生はそんな二人のやりとりを眺めつつ、ようやく少し笑顔になった。
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