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『親友の結婚式』〈2〉

  「一体どういうことなんだよ」  話は、あの東京出張の日にさかのぼる。  新幹線に乗り込み、二人がけの席に落ち着いた珠生は、すぐさま舜平にそう尋ねたのであった。  通路側で悠然と脚を組み、舜平は唇に笑みを浮かべた。いつになく短めに切られた黒髪に、ビシッと決まった黒いスーツ、そしていつにも増して晴れ晴れとした微笑み。そうして隣に座る舜平の姿はあまりにも格好がよく、珠生はついつい見ほれてしまった。脳内をぐるぐると巡っていた質問事項が行方不明になってしまう。 「……えーと……」 「どういうことかって? まぁ、こういうことや」 「こ……こういうことって。なんで? いつの間にこうなったんだよ!?」 「まぁ落ち着けって。コーヒー飲むか?」 「あのね、今コーヒー飲んでる場合じゃ……ありがと」  ぽん、と手渡された缶コーヒーを受け取り、珠生は気を取りなおすように席に座りなおした。ぷしゅ、とプルタブを引き、やや甘めのコーヒーを口にすると、ようやく少し落ち着いた。  珠生のそんな様子を見て、舜平はふっと微笑んだ。 「こんなにびっくりしてくれるとはな。頑張って黙ってたかいがあったわ」 「はぁ? なんだよそれ。ん……? ってことは知らなかったの俺だけ!?」 「ああ、湊は知ってる。彰もなんとなく気づいてるっぽかったし……って、そんな怒んなって!! 湊の言葉で迷いが消えたってのもあるわけやしさ」 「……湊の言葉で?」  とうとう珠生がむくれはじめてしまったのを見て、舜平は慌てたようにそう言った。  あの催事の日に湊と話したことを、舜平は珠生にゆっくりと話して聞かせた。話を聞いてようやく得心がいった珠生は、シートに深く座り直してため息をつく。 「……そっか」 「ほんまはずっと迷っててん。でも、お前が必死に俺の邪魔をせぇへんようにって頑張ってたのも分かってたから、その気持ちを無下にする気にもなれへんかったし」 「あぁ……うん」 「でも、これまでみたいに、お前のそばで力をふるいたいっていう想いはずっとあった。お前が宮内庁へ行くことを決めた時から、ずっと」 「……そうだったんだ」 「それに、各務先生の手前もあったしな。先生には就活中にもいろいろと世話になってたし、俺の進路決まったときも、めちゃくちゃ喜んでくれはったし」 「ああ、うん。覚えてるよ。彼の能力を活かせるいい職場だって、喜んでたもんね」 「そう。……辞めるにあたっては、先生にはまだ何も言うてへん。しかも、転職先がお前と同じ職場やからな。これからどう話すべきか……」 「うーん……」  確かに、健介にどう話すかという問題は、相当に困難を極めそうだ。珠生はずっと公務員志望であるということを父親にオープンにしていたため、宮内庁への入庁については特に何も言われなかった。ただ、健介は珠生が地方公務員になるものとばかり思っていたらしく、国家公務員、しかも宮内庁に行き先が決まったと報告したときは、目をまん丸にして驚いていたものだ。そして、「とうとう珠生は関東へ帰っちゃうのか……さみしいなぁ……」とめそめそと泣き言を言い始める始末である。  勤務地はなるべく関西でと考えている、ということを伝えると、健介は目をキラキラさせて喜んでいたものだ。  健介は舜平にとって恩師であるし、こっそり交際している珠生の父親、という難しいポジションだ。珠生を追うかたちで転職したことを、どう話すべきなのか、そのあたりから迷っているらしい。舜平の性分を考えると、転職先を曖昧にしておくということも出来ないだろう。珠生は舜平の煩悶に耳を傾けつつ、缶コーヒーを一口飲んだ。 「いっそ……お前との関係を、先生に話してみようかとも思った」 「ふうん………………えっ!? ちょ、ちょっと待って!? どこからどこまでを!?」 「せやなぁ」  舜平は指先で顎を撫でつつ、目を伏せて眉を寄せた。転職について悩んでいる時も、ここまで難しい顔はしなかったのではないかというくらい渋い顔である。 「お前と付き合うてること、までか。それ以上は言えへんし……。あ、もちろん、珠生さえよければやけど……」 「う、うーん……。でも、父さん、こういうことに理解があるかどうか……」 「そうやんな……。お前と先生の間に溝を生むような結果にはしたないし……」 「父さんは舜平さんのことをすごく信頼してるし、可愛がってる。でもこういう話をするとなると、反応は予想もつかないよ」 「……そうやな」  二人はしばし黙り込み、同時に缶コーヒーを一口飲んだ。気づけば新幹線は名古屋を出発したところである。乗降する人々の動きが落ち着き始め、車内は再び静かになった。 「まぁ……父さんへのカミングアウトについては、一旦置いとこうよ」 「せやな……俺もまずはこっちの仕事に慣れなあかんし。先生への報告は、落ち着いてから考えるか」 「そうだね……」 「すまんな、変な話になって」  舜平はそう言って苦笑すると、肘掛の上に置かれた珠生の腕に触れようと手を伸ばして来た。だが、ここが新幹線の中であるということを気にしたのか、すぐにその手を引っ込める。二人は目を見合わせて、苦笑した。 「ううん、嬉しいよ。また、舜平さんと同じ景色を見られるんだから」 「そうか」 「なんか、力抜けちゃうなぁ……」  珠生はシートの上で脱力し、長い長いため息をついた。  これからはずっと、隣に舜平がいてくれる。どんな問題が起こったとしても、舜平さえそばにいてくれれば、何があっても大丈夫だという気持ちになる。  ――舜平さんに甘えすぎなのは分かってる。でも……やっぱり、すごく嬉しい。  ふつふつと胸に湧き上がる喜びの感情が、どう隠そうとしても溢れ出す。珠生の顔は自然とほころび、笑みの形になった唇から、柔らかな笑い声が漏れた。 「ふふっ……なんか、変な感じだな。……変なの」 「何が?」 「ううん……これまでずっと、舜平さんや先輩がいないぶん、俺が頑張んなきゃって思ってたから、かな。なんか急にほっとして、笑えてきて」 「そうやったんか。……すまんかったな」 「いやいや、謝らないでよ。ふふっ……」  珠生は窓枠に肘をつき、笑みの溢れる口元を手の甲で押さえた。だが、こらえてもこらえても笑いが止まらず、珠生はくすくすと肩を揺すって震えている。  そんな珠生を微笑みながら見守る舜平の表情も、どこまでも穏やかだ。舜平はスッと手を伸ばし、珠生の膝を軽く撫でた。 「……よかった。お前にそう言ってもらえて」 「え?」 「ううん、なんでもない。……さて、しばらく力使(つこ)てへんかったし、またバリバリ修行がんばらなな」 「そういうことなら、俺、付き合うけど?」 「おお、ええな。久々にお前と手合わせすんのも楽しそうや」 「まぁ、どっちみち勝つのは俺だけどね」 「どうやろうな。体術やったら俺の方が強いやんか」 「そうだっけ?」 「そうやろ。……でも修行の前に、やっておきたいこともあんねんけど」 「なに?」  舜平は珠生の耳元に唇を寄せ、こんなことを囁いた。 「……お前を抱きたい」 「えっ!? な、な、何言い出すんだよこんなとこで!」 「だって、まる二ヶ月会えへんかったんやで? 俺はもう限界や。本音を言うたら、そこのトイレでもいいから、お前としたい」 「っ……。ば、ばかなこと言うなよ! 俺たち、仕事で……」 「ああ、泊まりがけでな」 「う……ぁっ」  ふっ……と耳の穴に息を吹きかけられ、珠生は一瞬にして腰砕けになってしまった。そんなことをしておいて、舜平はすぐに身体を離し、何食わぬ顔で脚を組み替える。じんじんと甘く疼く耳を押さえつつ、珠生は潤んだ瞳で舜平を睨んだ。 「……この変態」 「えぇ? 変態はないやろ、変態は」 「ふざけんなよ、これから長官に会うっていうのに、こんな……っ」 「ちょっとふってしただけやんか。ごめんな、欲求不満にさせてもて」 「う、う、うるさいな!!」  どことなく勝ち誇った表情を浮かべる舜平に腹が立ち、またそんなことで動揺してしまった自分が恥ずかしくて、珠生はついつい大きな声を出してしまった。しかしすぐに人目が気になって、珠生ははっとして口を押さえる。  舜平はそんな珠生を愛おしげに見つめ、「……今夜は同じ部屋やといいな」と小さな声で付け加える。珠生はさらに頬を赤らめつつ舜平をにらみつけ、「だから今そういうこと言うなって!!」と怒った。

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