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『親友の結婚式』〈7〉

   京瑠璃堂の和風創作フレンチは、とても美味であった。  どの皿も品があって美しく、まるで芸術品のよう。京都にしてはしっかりとした味付けが施されたメニューばかりであったため、関東育ちの珠生も満足したらしい。料理が運ばれてくるたび、「すごく美味しい」と褒めちぎっていた。 「結婚式っていいなぁ。俺、ウェディングドレスのデザインとかやってみたくなっちゃったよ」 と、ワインをくいくいと飲みながら、深春がうっとりとそう語り始めた。すると亜樹が「ウェディングドレスのデザインか〜ええやん。素敵やん」と相槌を打っている。  ついさっきまで、湊たちがこのテーブルのそばへきて、のんびり歓談していたのである。  皆で写真を撮ったり、結婚式の準備のあれこれを聞いたり、乾杯したりと盛り上がっているうち、あっという間に持ち時間を使ってしまった。進行役のスタッフにそれとなく声をかけられ、湊たちは別のテーブルへと回っていった。 「なんかこうさ〜いいよなぁ。俺は結婚とかよくわかんねぇけどさ。今日の湊くんも、百合ちゃんも、すげぇ幸せそうで最高じゃん」 「確かにね〜」 と、珠生もほんのりと頬を染めながら、深々と頷いた。あまり飲むなと言い置いているため、さほど飲んでいる様子でもないのだが、場の雰囲気にすっかり飲まれているらしく、なんだかうっとりとした表情である。 「ま、俺自身は結婚する気ないし、まともな家族なんて作れる気しねぇけど、でも、一番幸せな場面を飾るもんを作ることならできるかなってさ〜」 「えっ? 深春、結婚する気ないの?」 と、珠生が深春の一言に目を瞬く。深春はゆるい笑みを浮かべると、「まぁ、今はな。そのうちどーなるか分かんねーけど……」と曖昧に言葉を濁す。そしてすぐに話題を切り替えるように、明るい口調でこんなことを言った。 「あ! そうそう、ここの結婚式場のパンフで使われてたドレスも、すげーきれいだったんだ! 花嫁モデルさんの顔とかは見えなかったけど、外人かな? すらっとしてて、シルエットがすげーきれいでさ〜」 「ぅごほぉっ……ごほっ」 「ん? 珠生くん? どうしたんだよ」 「な……なんでもない」  そう、京瑠璃堂のパンフレットを飾っているのは、何を隠そう珠生と舜平である。チャペルの中で撮影した一枚で、向かい合って互いの手を取り、ヴェール越しに見つめあっているシーンを遠目に撮影したものである。  うまく利用された逆光で、顔はほとんどシルエットでしか見えなかったため、珠生は渋々パンフレットへの使用許可を出していた。『チャペルの美しさを余すところなく伝えられる最高の一枚だ』と、悠一郎の上司も絶賛していたらしく、なかなかに断りにくい状況でもあったのだという。  舜平はむせている珠生をフォローすべく、深春に向かって笑顔を見せた。 「めっちゃええ夢やと思うで。楽しみやわ」 「だろだろ〜! 舜平も結婚するときゃ俺に言えよ! とびっきりのドレス作ってやるからな〜!」 「お、おう。サンキュな」  もはや女性と結婚する予定などない舜平だが、深春の好意は純粋に嬉しい。深春はにこにこしながら「亜樹ちゃんのウェディングドレスはー……やっぱ赤かなぁ」と言い、「ウェディングドレスで赤とかどないやねん。攻撃的すぎやろ!」と攻撃的に突っ込まれている。 「てか、一番現実的なんは先輩のとこやんなぁ。葉山さんとは結婚式しーひんのですか?」 と、亜樹が彰に話を振った。彰は普段よりは飲酒を抑えているようで、いつもと変わらぬ調子で微笑みつつ、うーんと首をひねった。 「僕は見たいけどね、葉山さんのウェディングドレス姿」 「せやんなぁ! うちも見たい!」 「でも、目立つことを嫌う人だからなぁ。お金の無駄とか、時間がないとか色々言われて、逃げられてしまいそうだよ」 「えーもったいないよ。俺も見たいなぁ、葉山さんと先輩の結婚式」 と、珠生もそんなことを言い始め、彰はははっと軽く肩を揺すって笑いながら、「伝えておくよ」と言った。  そんな話題で盛り上がっていると、テーブルの上にメインディッシュの肉料理が運ばれて来た。深春は分かりやすく目を輝かせ、「わー、うまそう!」と声をあげた。  +  その後ほどなくして、湊と百合子がお色直しのために席を外した。  この後は庭をオープンにしてのデザートビュッフェが催されているのだ。日が翳り、空はすっかり夜の色だ。気温はさほど下がってはいないようだが、薄着の女性のためにと用意されたポンチョを手にしたスタッフが、窓辺に数人並んでいる。  主役が席を外している間、ゲストたちは手洗いに立ったり庭へ出たりと自由に過ごしていいことになっている。舜平は少し酔いを冷まそうと思い立ち、庭へ出てみることにした。いつぞや珠生と撮影に来た時にここで過ごしたことを思い出しつつ、舜平は一人夜空を見上げて深呼吸をした。  横長のテーブルに色とりどりのケーキが配置してあるが、コーナーの半分はバーカウンターのように酒瓶が並んでいる。甘いものを好まないゲストのためには、アルコールやつまみが用意されているようだ。熱燗などのサービスもあるようで、コース料理の間は飲酒を控えていた彰が喜びそうだなと舜平は思った。  舜平がこれまで参列してきた結婚披露宴は、どこへ行っても派手な余興やイベントを挟むことが多く、賑やかで楽しくはあるが、落ち着かないことが多かった。  舜平自身もスピーチや余興を頼まれ、高校時代の同級生たちと集まってネタを考えたりすることもあった。結婚する友のために皆で集まるのは楽しくもあったが、その頃の舜平は仕事だ転職だとばたばたしていたため、それが多少負担になることもなくはなかったものである。  しかし湊と百合子は誰に何を頼むでもなく、皆がくつろげる空間を提供してくれていたように思う。余興などの代わりに、二人が各テーブルを回る時間を多く設けていて、めいめいが思い出話に花を咲かせたり、写真撮影に時間を費やしたりと、のんびり穏やかな時間が流れていた。  ほろ酔い加減の肌に、ひんやりとした夜風が心地いい。ちらほらとゲストたちが庭に出て来始めるのを眺めていると、不意に背後から声をかけられた。 「お久しぶりです。相田さん……でしょ」 「え?」  本郷優征が、舜平のすぐそばに立っていた。少し高い場所にある、凛々しい双眸にまっすぐ見据えられ、舜平はやや気圧された。 「あ……あぁ。珠生のクラスメイトの子、やんな」 「本郷と言います。いつぞやは、ありがとうございました」 「いや。えらい目に遭うて、大変やったやろ。その後、変わったことはない?」 「おかげさまで、大丈夫です」  唇に薄笑みを浮かべ、礼儀正しい口調で話をしているにもかかわらず、優征の目はまるで笑ってはいなかった。怪訝に思った舜平は、優征に向き直る。 「どないしたん。俺に何か話したいことでもあるんか」 「……いえ。転職しはったみたいですね。珠生とおんなじとこに」 「ああ。珠生から聞いたん?」  「ええ、さっき」 「そか。……まぁ、色々あったけど、今後はこっちの世界でやっていこうと思ってんねん」 「そうですか。強いですもんね、相田さん」  優征は淡々とした口調でそう言うと、どこかすっきりしないような表情で目線を逸らした。優征の言わんとすることがよく分からず小首を傾げると、優征はもう一度、真正面から舜平をじっと見据えた。 「珠生に、あんま苦労させたらんといてくださいね」 「え……?」 「ちょっと前のことやけど、あいつ、俺の前でめっちゃ泣いてたことあるんですよ。……あの時は我慢できたけど、今後もしまたあんなことがあったら、俺……珠生のこと」 「珍しいじゃないか、君たちがのんびりお喋りしてるなんて」  ふらりと、彰が二人の間に割って入ってきた。うっすらと微笑みを浮かべながらスラックスに手を突っ込み、双方の顔を覗き込むような格好で。  彰の登場で、優征ははっと我に返ったように目を瞬いた。  さっきまでの挑みかかるような目つきが嘘のように、優征の目からは攻撃性が消え、理知的な表情に戻ってゆく。 「さ、斎木先輩……。お久しぶりです」 「やぁ本郷、元気そうだね。今日もバッチリきまってて、さすがだな」 「いえ……。あ、俺、なんか飲み物取って来ます。先輩たちも何か飲まはりますか?」 「ううん、後で自分で選びに行くよ。飲みすぎるとみんなに迷惑かけちゃうし」 「そ、そっすね……。じゃあ、失礼します」  いつぞや忘年会で思い切り彰にキスされたことを思い出したのか、優征は引きつった笑みを浮かべつつ会釈をし、硬い動きでその場から離れて行った。同級生たちの輪に混じって行く大きな背中を見送りつつ、舜平は複雑な感情に表情を険しくする。 「気にすることはないさ」 「……お前、聞いてたんか」 「ま、ちょっとね」  彰は肩をすくめてそう言うと、ぽんぽんと舜平の背中を叩いた。見れば、トイレに行っていた珠生も庭へ出て来ていて、悠一郎と楽しげに言葉を交わしているところである。早速その場でカシャカシャと写真を撮り始めた悠一郎を諌めつつも、珠生はほんのりと酔った愛らしい表情で笑っていた。  その姿を、優征がじっと見つめていることに、舜平は気づいた。ちくりと胸を刺す不穏な感情に、舜平はぐっと奥歯を噛みしめる。どうしてか、妙なざわめきを感じたのだ。  これまでだって、珠生に迫る男はたくさんいた。しかし、こんな風に深く感情を揺さぶられることはなかったように思う。 「本郷優征、いうたっけ。あいつ、珠生のこと……」 「まぁ、仕方がないといえば仕方がないさ。本郷は、学校生活を送る珠生の姿を知っている上、戦う姿も弱い姿も見ているんだ。それに、珠生が泣いてたっていうのはあの時だろ? 君の霊力が失われていた時のことだ」 「……そうやろうな。俺のせいや」 「舜平が悪かったわけじゃないさ。……それはさておき、あの時の珠生には、僕でさえも触れがたい雰囲気があった。本郷のように、多少なりとも事情を話せる相手がいたってことは、珠生にとっても、僕らにとっても、幸運だったと思うけどね」 「……そうやんな」 「それとも、珠生の気持ちが信じられないの?」 「はぁ? そんなわけあるかい」 「ならこれまでどおり、珠生の一番近くで、一番の理解者でいてあげなよ。珠生が君から離れることはない。むしろ、これからつらい想いをするのは本郷のほうなんだ。あいつがどこまで本気かは、分からないけどね」 「……」  舜平を静かに諭す彰の声が、少しずつ舜平の心を落ち着けてゆく。  珠生の気持ちを疑ったことは一度もない。なのに、たった一言のあんな台詞で、どうしてこんなにも感情を揺さぶられてしまったのか、舜平にもよく分からなかった。  その時、静かに流れていた音楽が変わり、司会役の女性の声が庭に響いた。見れば、黒いタキシードに着替えた湊と、柔らかなオレンジ色のロングドレスに着替えた百合子が窓辺に立っている。ドレスはごくごくシンプルなラインのもので、百合子のスタイルの良さが際立って見える。すらりとした新郎新婦の姿はとても絵になっていて、そばにいた同級生たちがまたパシャパシャと写真を撮りまくっていた。  その笑顔の輪の中に、珠生もいる。どこまでも純粋に、心底幸せそうな笑みを浮かべて湊を祝っている珠生の姿を見ていると、つまらぬ嫉妬で黒く染まりかけていた自分が、なんだかとても情けないものに思えて来た。 「さぁ、湊たちが戻って来た。まだ祝いの席は続いてるんだ。そんな顔してちゃだめだよ」 「……分かってる。はぁ……俺もまだまだ修行が足りひん」 「その通りだな」 「やかましい」  彰との軽いやり取りで、舜平はようやく少し笑った。

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