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『親友の結婚式』〈9〉
「……ねぇ、なんかあった?」
「え?」
ことが終わり、くったりとベッドにうつ伏せになりながら、珠生はシャワーを浴びて戻ってきた舜平にそう尋ねた。いつになく執拗で濃厚な愛撫に疲れ果て、珠生はベッドから動けずにいるのである。
舜平の濡れた黒髪から、ぽたりとひとつぶの雫が落ちる。それは舜平の肩に落ち、凛々しい胸板をつうっと伝った。
「……デザートビュッフェのときくらいから、なんかずっと変だったから。どうしたのかなと思ってたんだ」
「あ……あー……いや、別に何もないけど」
「嘘だろ。ほんとはタクシーで聞こうと思ってたんだけど、俺、寝ちゃって……」
「……そうか」
当初の予定では、珠生も二次会へ行くつもりだった。しかし、庭へ出たあたりからどうも舜平に元気がないように見え、参加をためらい始めていたのだ。
そしてパーティの終わりがけに、「明日は仕事だ」と話す彰と舜平が、タクシーを呼ぶか呼ばないかと話し合っている声が聞こえてきた。舜平を一人で帰らせてしまうことが何となく嫌で、珠生はともに帰宅することにしたのだ。
舜平は珠生の傍に座ると、タオルケットにくるまっている珠生の腰をそっと撫でた。珠生はうつ伏せのままじっと舜平を見上げて、もう一度尋ねた。
「なんかあったんだろ?」
「……うーん。よう分かったな」
「分かるよ。何百年、舜平さんと一緒にいると思ってるんだよ」
「……それもそうやな」
舜平は苦笑して、すっかり乱れてしまった珠生の髪の毛に指を通す。大きな手で頭を撫でられることが気持ちよく、珠生は軽く目を閉じて舜平の掌に甘えた。
セックスの雰囲気も、いつもと何だか違っていた。舜平はいつもいつも、しつこいほどに珠生の表情を見たがるのに、今日は目隠しをされたのだ。愛撫する手つきもどことなく上の空な感じがして、珠生も行為に心底集中できなかった部分がある。
そして今も、舜平はどこかばつの悪そうな表情を浮かべている。珠生はもぞもぞと身を起こして舜平の膝に頭を乗せ、上目遣いに顔を見上げた。そんな珠生の頭を撫でながら、舜平は小さな声でこう言った。
「ごめんな。気ぃ遣わせて」
「謝らなくていいって。疲れてたのはほんとだし」
「……そうか」
「ねぇ、言って?」
口の重い舜平をそう促すと、舜平は意を決したようにため息をつき、こう話し始めた。
「お前の友達、本郷くんいうんがおるやろ」
「え? 優征?」
「ああ。……あいつにな、ちょっと、釘刺されてもて」
「釘?」
舜平は、その時優征と交わした会話を珠生に話し始めた。そして彰に何を言われたか、という部分も。
珠生はゆっくりと身体を起こし、苦しげな表情の割に淡々と話をする舜平の顔をじっと見つめた。
あの忌まわしい事件のことと、それにまつわる舜平との痛々しいやりとについては、珠生にとっても極力思い出したくない過去である。それは舜平にとっても同じだろう。だが、こうして今、舜平が苦しんでいるのだ。あの時の感情に向き合わないでいられるわけがない。
あの日優征に言われた言葉は、純粋に珠生の胸を打った。抱きしめて体温を分けてもらうことで、とても励まされた部分もあった。
しかし、自分の与り知らぬところで、珠生が他の男に弱みを晒していたという現実は、舜平にとって認めがたく悔しいことに違いない。
だが舜平は、自分の負の感情を言葉にするのがひどく苦手だ。優征にまつわる自分自身の感情を、珠生の前で露わにすることなどできないのだろう。だからこそ余計に、舜平は複雑な顔をしているのだ。
「情けないやろ。……ごめんな。お前の気持ちは分かってんねんから、どっしり構えてりゃいいもんなのに」
「……ううん。話してもらえて、よかったよ」
珠生はもぞりとタオルケットから抜け出すと、舜平にぎゅっと抱きついた。舜平はすぐに珠生の背中に腕を回し、優しく珠生を抱き返す。
「ていうか、もっと普通に怒ってくれたっていいんだよ? 他の男の前で泣いてんじゃねーよ、とかさ」
「いやいや……だってそれ、俺のせいやし」
「ううん、舜平さんのせいじゃないよ。ていうか、誰が悪いかなんて、もう関係ないんじゃないかな。優征の気持ちがどうであれ、俺は舜平さんを裏切るようなことは、絶対にしないんだから」
「珠生……」
手を伸ばして舜平の頬を包み込んでみる。するとようやく、舜平の黒い瞳としっかり視線が結んだような気がした。珠生がふわっと微笑むと、つられたように舜平の表情もほころんだ。
「……お前、しっかりしたこと言うようになったなぁ」
「え? 何だよそれ。俺、そんなに頼りなかったっけ?」
「高校生の頃は、いろんなもんに怯えて、不安になって、めっちゃ俺に頼ってきてくれたりするところが死ぬほど可愛かったけど」
「えぇ? そうだっけ?」
「そうやったやん。……でも、頼もしくなったな。きゅんきゅんしたで、俺」
「きゅんきゅんって……あっ」
もう一度抱きしめられ、言葉が途切れる。舜平は珠生の肩口に顔を埋めて、深く長い吐息を漏らした。力強く抱きしめられているのに、今は舜平に縋られているような心地がして、珠生はどきどきしながら舜平の後頭部を撫でてみた。
「……ありがとうな、珠生」
「え? い……いいえ」
「好きやで。……ほんまに」
「う、うん……俺も好き、だよ」
どぎまぎしながら言葉を返すと、舜平がふっと気の抜けた笑みをこぼした。その吐息がくすぐったくて、珠生は小さく身をよじる。すると次の瞬間には、どさりとベッドに押し倒されていた。
「……やり直していいか」
「え? ……何を?」
「目隠しなしで、もう一回。抱いてもええかな」
「あ……うん……いいよ」
まっすぐに珠生を見つめる舜平の眼差しは静かに熱く、とても真摯だった。前世の頃からずっと、この瞳が好きだった。こんなふうに見据えられてしまえばもう、逆らうことなどできなくなる。それほどまでに、珠生は舜平の魂に惹かれているというのに。
――俺の愛情表現が、足りないのかなぁ。
ぼんやりと舜平を見上げていると、軽く額にキスをされた。照れくささに珠生が目を伏せていると、珠生を誘うように、額や頰に淡いキスを降らせてくる。
その愛撫に負け、珠生はつと顔を上げた。するとすぐに唇を奪われて、なんども柔らかく啄ばまれる。
「ん……ん……」
「目隠し拘束プレイとか急にやって、ごめんな。痛くなかったか?」
「えっ? あ……うん、全然……」
「スーツも、クリーニング出さなあかんな」
「……もともと出すつもりでいたから別にいいけど」
「俺、お前のスーツ姿見てるとムラムラすんねんな。制服もよかったけど、お前がスーツ着てると妙に可愛く見えて、しゃーないねん」
「は、はぁ? 何だよそれ。じゃあ事務所でも俺のこと見てムラムラしてるわけ?」
「んー、まぁ。たまにはな」
「うわ、気持ち悪い。引く」
「そう言うなって。スーツでされんの好きやろ、お前」
「えっ? ……そ、そんなことないけど」
図星を突かれ、珠生は視線を泳がせた。そんな珠生の表情を見て、舜平はいつものように気持ちよく笑う。舜平の笑顔が見られたことが嬉しくて、珠生はそっぽを向いたまま、ぽっと頬を赤く染めた。
「その前に身体、洗ったらなな。シャワー行こか」
「舜平さんはさっき上がったばっかりだろ。自分でできるから、」
「ええやん。今日はえらい無理させてしもたし、それくらいさせてくれ」
「させてくれって……それ、自分が楽しいだけじゃないか」
「ははっ、よう知ってるやん」
ひょいと横抱きにされ、珠生は慌てて舜平の首にすがりつく。
「ちょ、降ろしてよ、自分で行けるって!」
と、文句を言いつつも、舜平に笑顔が戻ったことに、珠生はほっと安堵していた。
舜平が珍しく垣間見せた、弱さ。
それもまた、珠生にとっては愛おしい絆である。
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