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『もしも番になれたなら』〈後〉

  「ほう、無事に(つが)ったのですね」  そして一週間後、千珠の盛りはなりをひそめた。  いつものように、千珠と柊は忍装束に身を包み、城の警護に当たっているところだ。といっても、今日はえらくのんびりとした日和である。二人は城門の上に並び立ち、城を出入りする人々の活気ある表情を見下ろしていた。 「似合いの番やと思いますよ。ほかの組み合わせなど想像もつかへんくらいに」 と、のんびりした口調で柊は言う。腕組みをしてやや怒ったような顔をしている千珠であるが、ぽ、と白い頬に赤が差した。 「……そうかよ」 「というか、千珠さまが壬やったってことに、俺は正直驚きましたけどね」 「俺もだよ。てっきり俺は丁だと思っていた」 「一応、鬼でもそういうのあるんですか?」 「いいや、純粋な鬼には第二性など存在しない。だが俺は半妖だろ? 一応、そういう知識は子どもの頃から族長に教え込まれていたさ」 「さすが、しっかりしたお祖父様や」 「まぁな」 「おーい、良い魚が入ったから持ってきたぜ〜!」と、城門の下から声が掛かる。二人に向かって手を振る漁師町の男たちに向かって手を上げて、千珠は口布を下げ微笑んでみせた。 「ま、戦の最中に盛りが出ぇへんで幸いでしたね。想像するとぞっとしますわ」 と、柊も手を上げて返事をしながら、小さな声でそう言った。千珠も頷く。 「本当だな。兵はたいてい(つちのえ)(β)だろうが、何が起こるか分からないものな。ただでさえ俺は、こんなにも美しいわけだし」 「よう分かったはりますやんか」  千珠の軽口に付き合いながら、柊は穏やかな笑みを浮かべた。そして心から安堵したように、長く細いため息を吐く。 「良かったですね、本当におめでとうございます。都のお父上にも、きちんと報告をしなければ」 「ああ、そうだな」 「千珠さまが独り身の壬とあっては、将軍家も天皇家も放ってはおかなかったでしょうな。あなたを求めて、まさに国が傾くほどの争いが生まれていたかもしれませぬよ」 「ふん、大袈裟だな」 「世はまだまだ荒れています。分かりませぬよ」  柊は油断のない目つきで遠くを見やりながら、静かな動きで腕組みをする。風に髪をなびかせる柊の横顔を見上げながら、千珠は「それもそうか」と言った。 「しかしまぁ、あんな奴でも、番がいれば安心だ」 「ふっ……そうだな」 「あなたと番ってからこっち、舜海の顔は緩みっぱなしや。……やれやれ」  口では呆れたようなことを言いながらも、柊の表情はひどく嬉しげである。千珠の視線に気づいた柊はつと視線を下ろし、口元に柔らかな微笑みをたたえた。 「舜海の幼馴染として、俺も嬉しい。ありがとう、千珠さま」 「……ふ、ふん。なんでお前にまで礼を言われなきゃならないんだ」 「ふふっ、そうですね。……いやしかし、本当にめでたい。光政殿も、婚礼の儀を支度せねばと仰ってましたし、また忙しくなりますな」 「……そんなことしなくていいのに」 「いえいえ、大事なことじゃないですか。婚礼衣装、どのようなものを召されますかな。よく似合わはるでしょうね」 「はぁ? そんなことしなきゃいけないのか? 絶対いやだね」  千珠は心底面倒くさそうな顔をして、むうっと頬を膨らませた。幼い表情に柊が笑っていると、城門の下から「おーい」と舜海の声が聞こえてきた。  見下ろすと、舜海が晴れやかな笑顔を浮かべて、二人を見上げている。 「そんなとこで堂々とさぼりかぁ? 平和やなぁ」 「さぼってない。お前と一緒にするな」 「阿呆、俺かてさぼってるわけちゃうわい! そろそろ剣術指南の時間やで。降りてこいよ」 「ああ、もうそんな時間か……」  そんな当たり前のやりとりでさえ、千珠の胸はうずうずとくすぐったい。舜海がすぐそこにいるだけで、心が浮き立つようである。  このあいだの交わりや、舜海にもらった言葉を思い出すと、なんとなく頬が熱くなる。気を取り直すようにきつく髪を結い直していると、横から生ぬるい視線を感じた。  柊が、菩薩のような表情で千珠を見つめている。 「ふふ……よいですなぁ。幸せそうで何よりです。俺もそろそろ本気出さなあかんなぁ……」 「っ……何だよ気持ち悪い顔しやがって。気持ち悪いんだよ」 「……なにも二回も言わなくても。あぁ……ええですなぁ、春やなぁ……まだ冬やけど」 「うるさいうるさい。こっち見るな。俺はもう行くぞ」 「はいはい。……ふふっ、あまり無茶なことはしないようにしてくださいよ」 「なっ……何がだよ!」 「えぇ? 剣術指南のことですよ。変な意味じゃありません」 「ったく……」  銀髪を高い位置で縛り、ふと舜海を見下ろしてみる。舜海は門を行き来する町人らと気軽に声をかわしながら、軽やかな笑い声をたてていた。その柔らかな表情を見つめているだけで、千珠の胸はほっこりと温まる。 「おーおー、舜海の顔も緩いですなぁ。ええんですか? あんなやつが番で」 「……いいんだよ。俺は、あいつがいいんだ」 「おっ! 珍しい! 千珠さまが惚気(のろけ)はった! 明日は桜が咲くんちゃうか!?」 「う、うるさい!! もう、俺は行くからな!!」  千珠は真っ赤になって柊の膝に蹴りを食らわせると、ひょいと城門から飛び降りて、身軽に舜海の隣に舞い降りた。  ぷりぷりと怒り顔の千珠を見て、舜海が小首を傾げた。城門の上では、柊がうずくまって微かに震えている。 「ん? どした、なんや怒ってんのか」 「怒ってない! 行くぞ!」 「? おう、行こか」  舜海はにっと気持ちのいい笑顔を浮かべて、千珠の肩に手を回す。千珠はすげなくそれを払いのけ、さっさと先に立って歩き出した。 「……つれないやつやなぁ」 「うるさい。人目のあるところで俺に触るな」 「へいへい。まったく、かわいいなお前」 「黙れ」  そんないつものやりとりでさえ、むずがゆいほどに幸せだ。  愛おしき番をこっそりと見上げてみる。すると舜海は、すぐに優しい視線を返してくれる。  秘めやかに視線を絡ませて、千珠はそっと、花のように微笑んだ。  おしまい

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