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六、検分

   ただ無機質に『laboratory-3』と書かれたドアを開けると、そこはまたぞろ薄暗い部屋だった。学校の教室ほどの広さの部屋には、手術台のようなものがニ台並んでおり、一番奥の台のまわりに三人の職員が集まっている。  その台の上にだけ、まばゆいほどの明かりが灯っている。職員らは皆白衣を身にまとっていて、まるでドラマで見た検視場面のようにも見えた。宮内庁の施設にこんなところがあるなんて、と珠生は物珍しげに周囲を見回しながら、彰の後ろを歩いていた。  右手の壁には薬品棚のようなものと、横長の手洗い場。そして数台置かれたデスクの上にはモニターが置かれ、手術台の上の映像が映し出されるようになっている。  そして左手の壁には、巨大な業務用冷蔵庫のようなものが埋め込まれている。普通と違うところがあるとすれば、扉に強力な結界呪の札が貼られていることだろうか。あの中には何が入ってるのだろうと、珠生はややぞっとした。   「どうです? こいつの正体が分かりましたか?」 「えっ、な、なんであんたがここにいんのよ」  彰がそう声をかけると、白衣を着用し、口元を大きなマスクで覆った女性職員の一人が、彰を見て声をあげた。葉山である。 「やぁ、葉山さん。珠生たちにここのことをまだ教えてなかったから、案内してたところさ」 「……そ、そう。ちょうどいいわ。珠生くん、舜平くん、こっちに来て」 「はい」  そこにいた職員らの間に、珠生と舜平は身を滑り込ませた。そして、台の上に横たわっているものを見て、目を見開く。 「な……何ですか、これ……」  そこにあったものは、かさかさに干からびた、焦げ茶色の物体だった。ほんの小一時間前までは、『崎谷宗喜』として人の中に混じっていたというのに、今の姿はまるで、朽ち果てた老木のよう。  異形であったといはいえ、さっき珠生に向かって来たときは、確かに人としての形状を保っていた。だが今は、人にも妖にも見えない、ただの木灰のようだった。 「どうして、こんな状態に?」 と、舜平が葉山に尋ねる。葉山はマスクを外してため息をつきながら、三人に向かってモニターの方を指差し、スタスタとそちらに歩いて行く。 「ここに運び込まれて来てすぐは、まだ人型を保っていたわ。でも、時間が経つにつれて、だんだんああして枯れていったの」 「枯れた……。じゃあやっぱり、あれって植物だったんですか?」 と、珠生は尋ねた。葉山は頷く。 「ええ、本当によくできた偽物よ。枯れてしまったのは、これを作った”主”からの力の供給が途絶えてしまったからね。こちらの動きに気づいて、追跡を恐れたんでしょう」  葉山はそう言って、モニターを操作した。  すると映像が巻き戻り、台の上へ寝かされた時の映像が映し出される。  確かに、その時はまだ、崎谷少年の姿を保っている。だが、検分のためのメスが入るたび、そして時間が経過してゆくにつれ、少年の肌はみるみる老人のように萎れていく。 「……よくできた”人もどき”だな。こんなものを作れる力を持っているとなると、鞍馬にいるのは並の妖じゃないのかもしれないね」 と、彰。 「でも、感知システムには取り立てて変化はなかったみたいだけど」 と、葉山。 「能力の高いものほど、己の力を隠して隠れる技にも長けている。少年の安否も気になるな、日が暮れる前に鞍馬へ行こう」 と、彰はそう言って、珠生と舜平の方を振り返った。  +  「で、なんで湊までついてくんねん」 と、公用車の運転席に座った舜平が、斜め後ろに座ってラップトップを開いている湊をちらりと振り返る。黒いスーツに黒いセルフレーム眼鏡といういでたちの湊は、眼鏡をきらんと光らせながら舜平を見た。 「だって、感知システムに映らへんやつがいるっていうんやろ? そんなんありえへん、俺の目で直接確かめに行かしてもらうわ」 と、湊はくいっと眼鏡を押し上げた。 「でもさ、強いやつは力を隠せるわけだし、映らないのがいてもしょうがないんじゃないの?」 と、珠生も後ろを振り返る。 「いやそうかもしれへんけど。そいつの正体気になるやん。今後要監視になる妖かもしれへんしさぁ」 と、湊。 「熱心だなぁ、湊は」 と、のんびりした口調で彰がそんなことを言う。  市内から鞍馬までは車で約三十分程度。その間、先に鞍馬へと出発した敦らと連絡を取り、進捗状況を確認するつもりだったのだが、敦も芹那もまるで電話に出ないのである。二人とも、滅多なことで倒れるような術者ではないものの、嫌な予感しかしない。  時刻は午後三時過ぎだが、すでに陽は傾き始めている。到着する頃にはおそらく、山全体がとっぷりと暗くなってしまっていることだろう。なんとなく焦る気持ちはあるが、ここで焦っても仕方がない。 「そういえば、五條さんと紺野さんから報告あがってたけど、まだ見てへんやんな」 と、湊がラップトップを操作しながらそう言った。珠生は湊を横顔で振り返り、こくりと頷く。 「うん、今聞きたいな。読んで」 「了解」  湊の語る内容はこうである。  レクリエーションの映画の最中に倒れた少女は、名前を三上真理亜(みかみまりあ)という。『クラスの中心的人物』という教師からの情報の通り、大人びていて、アイドルのように可愛らしい容貌をした女子児童であったという。  そして当初の予想通り、彼女の霊力はかなり高まっていたらしい。ここ最近はやはり霊的なものを見てしまうことが多かったらしく、とても不安定な精神状態であったようだ。  しかし真理亜はプライドが高く、そういった動揺を外には見せたがらないタイプだと、五條は分析している。押し殺した恐怖や『そんなものがいるわけない』という真理亜自身の強い自己暗示のせいで、かなり攻撃的な様子も見て取れたらしい。そのため、突然現れた五條と紺野に警戒心をむき出しにしていたため、やむなく自白術を使ったとのことだった。 「自白術か、子供にはあまり使いたくない術ではあるけど……まぁ、その子の生命がかかってるし、仕方がないな」 と、彰が顎を撫でながらそう言った。 「それで、その内容は?」 と、舜平が先を促す。 「えっとな」 と、湊は先を続けた。  真理亜はずっと、崎谷宗喜のことが好きだった。  しかしあの遠足の最中に崎谷宗喜は姿を消し、一ヶ月もの間帰っては来なかった。その間ずっと、真理亜は宗喜のことが心配で心配でたまらなかった。  なぜなら、宗喜が集団から離れるきっかけを作ったのは、真理亜自身だったからだ。  鞍馬寺は、京都有数のパワースポットだ。  小学生生活も残りわずか。真理亜は私立中学校へ進学する予定があるため、今のうちに宗喜に告白をしようと思い立ったらしい。  そして、鞍馬寺を詣でた後の自由時間、真理亜は宗喜を人気の少ない山中へと呼び出した。教師たちからは、口すっぱく『迷子になるから単独行動をしないように』と言われていたというのに、ハイキングコースになっている“木の根道”から少し外れた、人目の届かない場所へと。  真理亜は年上の男にはしばしば告白を受けることもあったが、本命である宗喜の心内はどうしても読めなかった。宗喜もまた女子から人気のある男子だが、彼は女子からの告白を全て断っている。男子と遊んでいる方が楽しいし、恋愛なんて興味がない、と言って、女子を退けていたらしい。  だから告白しても、断られる可能性のほうが大きいような気がしていた。プライドの高い真理亜は、自分が振られる場面を他人に見られたくなかったのだ。だから、人目を避けた。  しかし、約束の時間になっても、宗喜はやってこなかった。真理亜はひとりでずっと宗喜を待ったが、とうとう自由時間は終わってしまった。  がっかりしながら集合場所へ戻ってみると、宗喜の姿はそこになかった。それを訝しんでいると、宗喜と仲の良い男子児童に「お前に呼ばれてるからって、どっか行ってんけど」と言われた。  そしてそこから一ヶ月、宗喜は戻ってこなかった。  自分のせいだと、真理亜は罪悪感に押しつぶされそうになっていた。

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