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五、頼りになる男
「まったく、せっかくの休みだったってのに。いつまでも僕に頼りっぱなしじゃ困るなぁ」
そんなことを言いつつも、彰は嬉しそうな笑顔である。
藤原は東京出張中、高遠は別件で福井県の方へ出向いているとあって、集団への忘却術の執行は、斎木彰の手に委ねられたのであった。
あのあと珠生は岡本と共に、六年一組の児童ひとりひとりと言葉を交わし、心身に異変が起きていないかどうかのチェックを行った。そして崎谷少年を術で押さえ込んでいた舜平のもとには、すぐに応援として佐久間と赤松が駆けつけたのだった。
舜平が術を解いても、少年はピクリとも動かなかった。呪符をべたべたと全身に貼られ、赤松に抱えられて教室から運び出されていく崎谷少年のことを、子どもたちは不安げに見つめていたものである。
そのクラスの児童全員と面談を終えたところで、黒いスーツ姿の彰が颯爽と現れた。
すでに事情を理解していたらしく、彰はすぐに、教室にいる児童と教師に忘却術を施した。あっという間にことは終わり、珠生らは急ぎ足で柳馬場小学校を後にしたのだ。
「ごめんね、先輩。でも、助かったよ」
「ふふっ、珠生の頼みとあっちゃ断れないけどね」
「ほんと、先輩の術はすごいなぁ。俺にもできないかな、ああいうの」
「陰陽術を会得していない珠生には荷が重いかもね。……ていうか、舜平には忘却術教えただろ?」
と、彰が助手席にいる舜平に向かってそう言った。今は岡本の運転する車の中である。
「まだ修行中やねん。……ていうか、ただでさえ俺、アレ苦手やし」
「君は繊細な気の操作が下手だもんね。やたらと大技ばかり使いたがるしさぁ。今世で頭は良くなったみたいだけど、そういうところは昔から全然変わらないなぁ」
「うっさいハゲ」
「助っ人に来たのにハゲ呼ばわりとは。ていうか僕禿げてないし」
「こら二人とも、仕事中」
「……」
珠生の一声に、舜平が黙る。彰はにまにまと楽しげに笑いながら後部座席で珠生の肩を抱き、声のトーンを落としてこう囁いた。
「話は聞いたよ。言っとくけど、鞍馬に鬼なんかいないからね」
「……やっぱり? そうだよなぁ……」
「新たに棲みついたものがいるっていう噂も聞かないしなぁ。まぁ、一旦本部に戻ってあの少年のコピーを分析してみよう。体育館で倒れたって言う女の子の家には誰か話を聞きに行ってるの?」
「紺野さんと五條さんに頼んだよ」
「なるほどね。妥当な人選だ」
彰は頷きながら、珠生の肩を抱いていた手で頭を撫でた。こんなところでこんな扱いを受けていることに恥ずかしさを覚え、珠生はぐいっと腕を突っ張って彰から身体を離す。現に、チラチラと岡本が彰の存在を気にしているのである。
「あの……あなたは?」
「僕? あぁ、あなたとは初対面でしたね。僕は斎木彰といいます。宮内庁のものではありませんが、彼らと同じ異能者です。有事の際は特別に協力させていただいてます」
「そ、そうなんですか……」
「僕の高校時代の先輩でもあります。普段は京大病院で研修医をされているんですよ」
と、珠生が岡本にそう言うと、岡本は「医者!? す、すごいですね……」とルームミラーごしにしげしげと彰を見つめた。
「ていうか、本部って何やねん。事務所のことか?」
と、舜平がくるりと振り返って彰に尋ねた。そういえば、珠生もそれは初耳である。
「京都事務所の地下にある特別な施設だよ。国家機密レベルの重要な設備もあるから、入庁一年目の君たちにはまだ知らされていないってわけ」
「ええ? そうなの?」
「そう。まぁ、湊は主にそこで仕事をしてもらってるんだけどね」
「うそ、全然知らなかった……」
「さすが、湊は口が堅いな」
彰はそう言ってにっこり笑うと、車窓に映り始めた京都御苑の樹々を見上げた。
+
「なに、これ……」
表向き、宮内庁京都事務所に地下室はない。
てっきり防火用だと思っていた鉄の扉の向こうに、くすんだ銀色をしたエレベーターの扉があったのだ。
それで地下三階まで降りると、そこに広がっていたのは、仄暗く、がらんとした空間だった。その部屋の中心には、ぼんやりと光を放つ大きな円卓のようなものが一つ。彰に導かれ、恐る恐るそこへ近づいてみると、その円卓上いっぱいに日本地図が描かれていた。
円卓の周囲には、結界班の面々がそれぞれハイバックチェアに座っている。珠生の知った顔は、更科と成田くらいであるが、他に三名の男女がそこにいた。いきなり現れた彰にびっくりしたらしく、更科は「あれっ? どうしたんですか?」と腰を浮かせている。
「珠生と舜平にもそろそろ説明しなきゃなと思って、連れて来たんだ」
と、彰は更科にそう説明した。すると更科は「あぁ……なるほど」と頷く。
そして彰は珠生らのほうへ向き直ると、円卓に手を置いて微笑んだ。
「これはね、一ヶ月前に稼働し始めたばかりの異能力感知システムだ」
「異能力……? 感知システム?」
突然SFの世界のような話になり、珠生は面食らってしまった。舜平も物珍しげに、淡く輝く日本地図の方を見つめている。
それはどうやら巨大なモニターのようなものらしい。スマートフォンやタブレット使用する要領で、指先で画面に触れることにより、ある程度の操作が可能であるらしい。彰は慣れた手つきで、日本地図の中の関西圏を拡大して見せた。
「そう。この国には、十六夜のような防御結界以外にも、様々なタイプの感知結界が貼ってある。その結界とここのシステムを連動させてね、日本中の霊気と妖気の動向をチェックしているんだよ」
「へ、へぇ……すごい……!」
「ちなみに、このシステムを完成させたのは湊だ」
「ええええ!? 湊が!?」
と、素っ頓狂な声を上げたあと、珠生ははっとして口を押さえた、舜平が横で苦笑している。
「何年も前から、システマティックな形で異能力の監視ができたらいいのに、という話はあったんだよね。でも、霊的な結界術との連動がうまくいかなくて手詰まりだったんだけど、湊が入庁して技術部に入ってから、一気にうまく進んだんだって」
「へぇ……さすがすぎる……」
「あいつほんま、ええとこ全部持ってくよな」
と、感心しきりの珠生の横で、舜平が腕組みをした。
珠生は画面の上でゆらゆらとゆらめく青白い光の点を目で追った。すると舜平が、彰にこんなことを尋ねた。
「てことは、俺らの位置情報もここに表示されるってことか?」
「いや、そんなことはないよ。ま、プライバシーの問題だね。技術部のデータベースに登録されている宮内庁職員の所在については、ここで覗き見したりしないことになってるんだ」
「……なるほど」
「このシステムが作られた目的は、異能力を持つ個体が、不自然な動きをしていないかどうかをチェックするものだからね。問題が起こる前に、もしくはな何かしらの被害が拡大する前に、直ちに現場へ急行することができるように」
そう言ったあと、彰は舜平の耳元に唇を寄せ、「だから君が誰とどこにいようが、ここには表示されないから安心してくれ」と囁いた。すると舜平はうるさげに彰の顔をぐいと遠ざけ、「近いねんアホ」と言った。
くすくすと笑いつつ、彰がすっとモニターの中心を指差した。
「このシステムは、今後日本に六箇所に設置する予定だ。しかしまぁ、やはり関西圏が一番事件が多いから、他は後回しになるかもしれないけど」
「なんでや」
「京都には最も大きな鬼門がある。まぁ、それは十六夜で封じてあるわけだけどね。それでもやはり、鬼門の気配を感じて寄ってくる妖はたくさんいるし、知らず知らずのうちに、影響を受けている只人はいるもんなんだ」
「なるほどな」
「というわけで、更科さん。鞍馬山のほうを重点的にチェックしておいていただけますか?」
彰に声をかけられて、更科ははっとしたように背筋を伸ばした。
「あ、はい。分かりました」
「あと、芹那さんと敦あたりを現場へ向かわせておいてください。彼らの検分結果を見て、今後の対応を決めましょう。僕らは例のサンプルを見てきます」
「了解」
ぽんぽんと慣れた調子で指示を飛ばしている彰の背中を見守りつつ、珠生は舜平の方を見上げた。
「すごいね、先輩」
「せやなぁ……。俺らも頑張らなあかんな。いつまでも彰に頼りっぱなしなのも、なんか癪やし」
「癪って」
二人でそんなことを話していると、彰がくるりと振り返る。
そして生き生きとした笑顔で「さ、今度はラボを紹介してあげるよ」と言い、二人の腕を引いて仄暗い廊下を歩き出した。
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