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四、コピー

   柳馬場(やなぎのばんば)小学校は四条烏丸交差点からも程近い、非常に都会的な立地に建つ小学校である。京都の繁華街に近く百貨店やオフィスも多い土地柄で、非常に都会的な雰囲気だ。  創立されてまだ新しい学校であるらしく、デザインも近代的。校舎内には清潔感があり、本当にこで子どもたちが生活しているのかと疑いたくなるほどに小ぎれいだ。今回のような妖しい事件とは無縁のように、無機質な空間だった。  授業中ということもあり、学校内はしんと静かだった。  舜平と珠生は、開放的な昇降口から校内へ入り、岡本に先導されながら職員室へと向かう。 「最近の小学校はこんなんか。めっちゃきれいやな」 「そうだね」 「俺の通ってた小学校なんて、めっちゃ古くてあちこち湿っぽくて、暗くて……ほんっま見たくもないもんがぎょうさんおったけどなぁ」 「……子どもの頃から?」 と、珠生と舜平の会話に、岡本が横顔で振り返る。舜平は頷いた。 「ええ、俺。ガキの頃から霊感強かったから、いろんなもんが見えてて」 「……そ、そうなんですか。ここには……どうです?」  岡本はそう言って、やや怖々と言った様子で周辺を見回している。舜平はくるりと視線をめぐらせつつこう言った。 「何もいいひんとは言えませんが……。なんやろうな、この感じ。この匂い……」 「あぁ。うっすらだけど……これは、瘴気」 「え?」  きょとんとする岡本をよそに、珠生は険しい表情で辺りの気配を伺った。  まずは職員室で事情を聴くという運びになっていたが、珠生はすぐさま瘴気の匂いのする方へと早足に歩き始めた。すぐにその後を追う舜平の後ろを、岡本が焦ったような表情でついてくる。 「当該児童は今、何を?」 と、珠生は階段を登りながら厳しい声でそう尋ねた。すると岡本はすぐに「じゅ、授業を受けています! 四階です!」と答える。すると珠生の表情がより一層険しいものとなった。 「クラスメイトの子どもたちの身が心配だな。微量とはいえ、常にこの瘴気を吸い続けてきたのだとしたら、少なからず影響は出てくるだろう」 「体育館のパニックもそのせいかもしれへんな」 と、舜平が珠生に応じる。すると岡本は舜平の隣へ必死に追いすがってきながら、こんなことを尋ねた。 「どういう意味です?」 「瘴気ってのは、妖が放出する毒気のようなもんやねん。耐性のない人間……特に、霊力もなく身体の弱い人間にとっては、吸うてるだけで心身を病むほどの毒になる」 「えええ!? そ、そんな! ここにいるのは子どもばかりなのに……!!」 「それだけじゃありません。その少年が妖と成り代わっているのだとしたら、その妖気に影響を受けて、育つはずのない霊力が大きくなってしまう子どもがいるかもしれない。ただの人間の霊力が突如として高まれば、見えるはずもないものを見てパニックを起こすこともあるでしょう」 「……そ、それであの女子児童は……」 「霊力が強くなったせいで、不気味なもんが見えたんかもしれへんな」 と、舜平がそう言って岡本を見下ろすと、岡本は目を瞬きつつごくりと固唾を飲んでいる。  そして程なく、六年一組の教室に到着した。  スライド式の白い扉には、縦長の細いガラスが嵌っていて、そこから中の様子を窺うことができる。無用な騒動を避けるために、気配を消してそっと教室内を覗き込んでみると、静かに授業が進行している様子が見てとれた。どうやら国語の時間らしく、立って音読している児童が見えた。 「……あの子か」  教室のほぼ中央の席に、あの少年は座っていた。  なるほど、机の上に教科書などは並んでいるが、目はただただ空(くう)を見ているのみである。呼吸をしているのか、瞬きしているのかすらもあやしい状態だ。  そして珠生は、教室内に充満する瘴気の濃度に眉を寄せた。崎谷少年の身体からじわじわと放たれる瘴気と、彼の身をどろりと覆うように漂う妖気の流れを見て、珠生は静かにこう言った。 「舜平さん」 「ああ……妙やな。あの子の肉体自体には、妖気が通ってへんというか……」 「うん。傀儡のようなものかもしれない。遠くから、何かに操られているような」 「てことは、あの子の本体はここにはいいひんてことやん。……そっちを先に探さな、危険や」 「あ、あの、どういうことですか……!? あの子の本体はいないって、それって」  珠生と舜平が小声で交わす言葉を聞いた岡本の顔が、さっと青くなった。舜平は岡本のほうへ顔を寄せ、かいつまんでこう説明する。 「あの少年は、偽物や。多分、精密検査をしたらすぐ分かったんかもしれへんけど、あれは人間とちゃう」 「えっ……!?」 「うまく作られたコピーやな。それを誰かが遠くから妖気で操ってんねん」 「そ、そんなこと……!? どうやって……!!」 「しっ、声がでかい」  むぐ、と舜平の大きな手で口を塞がれ、岡本が静かになる。珠生はあいも変わらずじっと崎谷少年の様子を窺いながら、周囲の児童達の方へも視線を巡らせた。  ――気の揺らぎが不安定な子が、何人かいるな……。今日は欠席してるみたいだけど、悲鳴をあげた女の子は十中八九霊力が高まっているはずだ。家でもパニックになってるかもしれない。  そんなことを考えながら教室の中を覗き込んでいると、ぼんやりと空中を見つめていただけの崎谷少年が、ぴくりと身体を震わせた。そして不気味なほどに素早い動きで顔を上げ、珠生らのいるドアの方へと視線を向けたのだ。 「……気づかれたか」 と、舜平が呟いたその次の瞬間、ガタンと椅子を蹴って少年は立ち上がった。周囲の児童たちがぎょっとしたように崎谷少年を見つめて、怯えた表情を浮かべている。 「舜平さん、保護できる?」 「ここでは人目がありすぎるな。……なんとか外へ連れ出せへんやろか」 「あ、じゃあ僕が先生に事情を、」 と、岡本がドアに手をかけた。  しかし崎谷少年は突如として素早く動き、廊下とは反対側の窓の方へと身を躍らせた。四つ足でクラスメイトの机の上を駆け、窓ガラスに体当たりをする。珠生はすぐさま教室のドアを開け、窓の方へと駆け寄ろうとした。 「いけない!」  がしゃん、と窓ガラスの割れる音と、子どもたちの悲鳴が教室の中にこだまする。  ここは校舎の最上階の四階だが、窓の外にはベランダがある。窓ガラスを突き破った崎谷少年は、鋭く尖った窓ガラスの破片の上に倒れ込んでいた。珠生はひらりと割れた窓からベランダへ出ると、崎谷少年を確保しようとした。  たが突如、鋭い何かが珠生の眉間に向かって素早く伸びてきた。珠生は反射的にそれを避けたが、白い頬に小さな傷が走る。  ――速い……!!   それは、緑色の蔓草のようなものであった。蔓草が幾重にも絡み合い、先端を鋭く尖らせたような形状をしている。  攻撃を受け、珠生の瞳孔が縦に裂けた。ふつふつと腹の底から妖気が高まるこの感覚を、珠生はひどく懐かしいと思った。  珠生を見上げる崎谷少年の双眸は、なおも無機質で感情のひとひらさえ読み取ることができなかった。感情の動きが見えないと、相手が次の一手をどう打ち出してくるかという予測が立ちにくい。珠生は後ろに跳んでベランダの柵の上にひらりと立ち、少年の次の動きを見据えようと気を尖らせる。 「……え?」  ハーフパンツを履いた細っこい脚から、うぞうぞと白いものが無数に生え始めた。それはスルスルと長さを伸ばし、途中で枝分かれをしながら、ベランダ中にその面積を広げていく。そう、まるで植物の根のように。  見れば、さっきの蔓草も、じわじわと長く伸びてきている。よく見ると、それは少年の腕の皮膚を突き破って生えているではないか。しかし少年はまるで痛みを感じている様子もなく、ただただ無表情に珠生を見据えているだけ。 「な、なんだこれ……」 「氷牢結晶!! 急急如律令!!」  教室の中から、舜平の声が響いた。崎谷少年の胴体部分を中心に、びきびきと分厚い氷が張ってゆき、その動きを封じ込めていく。少年は暴れることもなく、ただただ己の肉体に起こりつつある変化を眺めているだけだった。  やがてその全身が氷に閉ざされると、ベランダに張り詰めていた白い根が見る間に萎れ、茶色くかさかさと乾いていく。 「な、なにが、起こってるんですか……?」  静まり返った教室の中から、岡本の戸惑いがちな声が聞こえてくる。  教室のほうを見ると、印を結んでじっと崎谷少年を見据える舜平の姿が見えた。どうやら、児童たちに崎谷少年の異変は見えない様子だ。教室を飛び出していくような児童もなく、皆が呆気にとられたような顔で、舜平や珠生、そして岡本を見上げている。  珠生は身軽に柵からベランダに降りると、ゆっくりと瞬きをした。まだまだ分からないことだらけだというのに、本能は少年を敵とみなしていたらしく、えらく気が昂ぶっている。  祓い人を平定して以降、こういった霊的な事件は減少傾向にあった。不謹慎なことであるが、久方ぶりにあいまみえた謎めいた存在に、珠生の闘争本能はひどく猛っているらしい。  珠生は深呼吸をして、ゆっくりと目を開く。  ――落ち着け……。敵と決まったわけじゃない……落ち着いて、状況を把握しなきゃ……。  珠生はゆっくりと教室内に戻り、舜平と目線を交わした。そして、生徒たちと同じ表情で呆然としている岡本の傍に立つと、児童たちに向けてにっこりと笑顔を見せ、こう言った。 「突然失礼しました。僕らは警察のものです。先日行方不明になっていた崎谷くんの件について、調査しにやってきました。あとで順番に話を聞かせてもらうことになると思います。それまで、絶対にこの教室から外に出ないでくださいね」  そう言い置いて、珠生はくるりと児童たちに背を向けて、その場で電話をかけ始めた。  色々なものを見てしまった子どもたちに、忘却術をかけなければいけないのである。これだけの人数を相手に術を施すことができるのは、藤原か彰、そして高遠くらいのものなのだ。 「あっ!! 大丈夫大丈夫!! また前みたいに、ちょっとお話聞かせてもらうだけだからね! 改めて思い出したことがある人がいたら、僕に教えてくださいね!」  これまでの捜査で子どもたちと面識があるのか、岡本が早口にそう訴え始めた。岡本の声を聞いてか、ようやく子どもたちがざわざわとざわめき始める中、珠生は印を結んだまま少年のそばに佇む舜平のそばに歩み寄り、そっと顔を見合わせた。

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