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十四、張り合う二人
「先生が……そんなふうに」
「うん……」
翌日、京都事務所の休憩室で、珠生は舜平に昨夜のことについて話をした。
自動販売機が二台と、合皮貼りのベンチシートがあるだけの殺風景な場所だが、大きめに取られた窓から差し込む朝の光は清々しい。
だが、珠生の心は鬱々とした曇り空のままだ。舜平は窓辺にもたれて缶コーヒーを口にしながら、少し難しい顔で窓の外を見下ろしている。
「そら……俺らのこと、言い出しにくいな」
「そうなんだよな……。はぁ、父さん、いつもは何にも考えてなさそうなのに、どうしてこういうことには反応するんだろう」
「えらい言われようやな」
珠生の台詞に舜平は軽く笑ったが、切れ長の双眸はいつになく物憂げである。珠生はミネラルウォーターのペットボトルを手の中で弄びながら、溜息をついた。
「でも……ちょっと意外やな。先生が露骨にそんな顔するなんて、よっぽどやん。大抵のことには寛大な人やんか」
「うん……だよね」
「学生時代、長いこと先生と一緒におったけど、そんな顔見たことないもんな。……なんか、嫌な思いしたことあらはるんやろか」
「嫌な思い……か。どうなんだろう」
そういえば、珠生は健介のことをよく知らない。
母親との馴れ初めも、千秋からぼんやりと聞いたことがある程度だし、研究についても未だに全く理解していない。幼い頃はどういう少年だったのか、どんな学生だったのか、どこでどう育ってきたのか……健介が珠生の父親となる以前のことを、何一つとして知らないのだ。
その事実に、珠生は軽く衝撃を受けた。高校一年生から同居しているというのに、一体何をしてきたのだろうと。
思えば、健介は珠生の話を聞きたがるばかりで、自分のことを自分から話したことはほとんどない。今の健介は子煩悩な珠生の父親であり、教授であり、研究の虫……その程度しか、健介のことを理解していないのだ。
「……俺、父さんのこと、何も知らない」
「そうか。……まぁ、二人とも口下手やもんな。親子揃って、自分からぺらぺら喋る方ちゃうし」
「うん……びっくりするくらい、何も知らないよ。はぁ……」
「そうか。……ほんなら、先生の話もちゃんと聞いてみたいところやな。話してくれはるかは分からへんけど、少しでも先生の考えてることが分かれば、何かいい糸口が見つかるかもしれへん」
「うん……」
「そんな顔すんな、珠生」
舜平はすとんと珠生の隣に腰を下ろし、うなだれる珠生の背中に手を添えた。珠生が顔を上げると、いつも通りに鷹揚な笑みを浮かべる舜平の顔がある。そのどっしりとした表情に安堵して、珠生はようやく、少し笑った。
「大丈夫。俺が先生と話してみる」
「え、でも……」
「まずは、仕事変わったことだけでも伝えてみよかなて。お前と同じ職場っていうところについては、様子見つつやけど」
「……そうだね」
「近々、連絡とってみるわ。ええか?」
「うん。二人で会うの?」
「せやな……。なんやややこしい話になった時、息子のお前がおらん方がええ。俺とふたりなら、先生もいくらか冷静になれると思うし」
「ややこしい話って……怖いな」
「大丈夫やって。だからそんな顔すんな。お前の不安そうな顔見てると、抱きしめたくなるやん」
「抱きっ…………って。この非常時に何言ってんだよ馬鹿!」
「ははっ、すまんすまん」
舜平はからりと笑い、缶コーヒーを飲み干して立ち上がった。空き缶をゴミ箱に捨てたあと、舜平はすっと珠生の前にしゃがみ込み、そっと珠生の頬を指の背で撫でた。
「ちょ……こんなとこで」
「顔色悪いな。……今夜、うち来るか?」
「えっ……う、うーん」
「どうする?」
「で、でも、まだ事件も片付いてないし、その……」
「ん?」
小声で甘いことを言いながら、珠生を見つめる舜平の眼差しに照れしまう。見つめられるだけで胸が高鳴り、なんだか目まで潤んで来る始末だ。
――キスしたい。……もっと、触りたいなぁ。
「い、行こっかな……」
と、珠生が返事をしかけたその時、遠くの方からバタバタと足音が響いて来るのが聞こえた。珠生がハッとして顔を上げると、廊下の曲がり角から宗喜がぱっと姿を現す。
「あ! 沖野さんいた!」
「そ、宗喜くん!? ……ど、どうしたの」
「あのさ、あのさ……!」
職場で公私混同していたところだったこともあり、珠生は必要以上にしどろもどろになりながらそう尋ねた。すると宗喜は、ベンチに座る珠生の向こうにいる舜平に気づき、ピタリとその場で足を止める。
舜平がゆっくり立ち上がると、宗喜はその動きに合わせて目線を上げた。間近で見る舜平の長身に驚いたのか、ぱちぱちと目を瞬く。
「おう、元気そうやんか」
「……あんた誰」
「こいつの同僚の、相田舜平。ていうか、俺も鞍馬におったやん」
「え? 知らんけど」
「なんやそれ、俺は眼中になかったんか」
「ていうか、何? あんた、沖野さん泣かしてたんちゃうやろな」
「はぁ?」
宗喜は見るからに剣のある目つきで、舜平を睨みつけている。懐かれているなとは思っていたが、まさか舜平に食ってかかるほどとは思ってもみなかったため、珠生はきょとんとして宗喜の横顔を見つめた。
「い……いやいや。俺、泣いてないから! ちょっ、ちょっと今後の打ち合わせしてただけだから!」
「ほんま? カツアゲでもされてたんちゃうん」
「カツアゲ……って。あのね、俺、その気になればこの人より強いから。カツアゲとかありえないって」
と、珠生が咳払いをしながらそう言うと、宗喜はパッと顔を輝かせ、「あ、そっか。そりゃそうやんな。沖野さん強いもん」と頷いた。
ちらりと舜平を見ると、明らかに不服げな顔をしている。
「ほう、ちょっと見ぃひん間に、えらい珠生になついてるやんか」
と、どことなく張り合うような口調で、舜平がそう言った。すると宗喜は明らかにムッとしたような顔になり、挑みかかるような目つきで舜平を睨んだ。そんな宗喜の反応に、珠生はおもわず目を瞬く。
「沖野さんのこと、なんで下の名前で呼んでんねん! 慣れ慣れしいやろ!」
「はぁ〜? なんでそんなんお前に言われなあかんねん」
「んなっ、なんやて……!!」
舜平が子どもじみた張り合い方をするものだから、珠生はやれやれと溜息をついて頭を抱えた。宗喜はというと、大の大人そんな反応をされて、すっかり呆気にとられている様子である。
「舜平さん、いい加減にしろよ」
立ち上がって舜平をたしなめると、舜平は軽く肩をすくめた。そして緩めていたネクタイを締め直しながら、こんなことを言う。
「……すまんすまん。なんや槐を思い出して、ついな。いじりたくなるっていうか」
「ったく……いい年して恥ずかしいなぁ」
「悪かったって。すまんな、坊主」
「坊主ちゃうわ!! 沖野さん、なんなんこいつ!! むっちゃ腹たつ!!」
「ごめんごめん、あとでよーく言って聞かせておくから」
「ていうか、なんか用事やったんか? 何?」
と、横柄な態度のまま舜平がそんなことを言うものだから、宗喜はさらにむかっ腹を立ててしまったらしい。むうっと頬を膨らませて、大きな声でこう喚いた。
「お前に用事ちゃうわ!! 俺は沖野さんに会いに来ただけやし!!」
「ほう、用事もなく珠生に会いに来たん?」
「そうちゃうくて!! 沖野さんに用事あったから来たんや!! もうどっか行けよ!」
「へいへい、邪魔して悪かったな」
悠然とした笑みを浮かべ、舜平は手をひらひらさせながらその場から去って行った。すらりとした黒いスーツの後ろ姿を見送りながら、珠生はまたため息をつく。宗喜は、ふるふると身体を小刻みに震わせながら、舜平の背中を睨みつけている。
「……宗喜くん、あのね」
「沖野さん!」
「は、はい」
きっとなってこっちを向いた宗喜の目は、不機嫌でいっぱいだ。珠生はぎょっとしつつ、宗喜の出方を窺っていた。
「沖野さんて、あの人とどう言う関係?」
「えっ!? そ、そりゃ……同僚だよ」
「沖野さんもあいつのこと名前で呼んでたじゃん! 会社の人どうしなのに!?」
「う、うーん。なんていうか、あの人は学生時代からの友達……だからさ。普通よりは仲がいい、っていうか」
「ふうん……」
珠生のそんな説明を聞いても、宗喜の機嫌が治るはずもない。珠生はごほごほと咳払いをして、「で、今日はどうしたの?」と無理矢理に話題を変えた。
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