456 / 533

十五、家族のゆくえ

  「はい、どうぞ」 「あ、ありがとうございます!」  珠生は宗喜を、オフィスの応接室に案内した。休憩コーナーには、一般の宮内庁職員も出入りするため、落ち着いて話ができないためである。葉山から、マグカップに入ったホットココアを受け取り、宗喜は嬉しそうに笑っている。  殺風景な応接室だが、海老茶色のテーブルの上には小さな花瓶があり、千両の実が活けてある。青々とした葉の色と真っ赤な実の対比が鮮やかで、部屋の中に季節感を漂わせていた。 「ゆっくりして行ってね。珠生くん、ちゃんとご自宅まで送ってあげるのよ?」 「分かりました」  そう言ってキビキビと部屋を出ていく葉山の後ろ姿を見送りつつ、宗喜はまた珠生を見た。珠生が小首を傾げると、「あの女の人も、下の名前で呼んでた」と呟く。 「あぁ……今の先輩にも、高校生のころからお世話になってるからさ」 「力が目覚めた時から、ってこと?」 「そうだよ」 「じゃあ、俺のことも、ずっと見ててくれる?」 「え?」 「俺にも、……そういう力が目覚めてるってことなんやろ? 色々見えるもん」  宗喜の言葉に、珠生はやや表情を引き締める。両手に持ったココアにふうふうと息を吹きかけている宗喜の向かいで、珠生はちょっと身を乗り出した。 「君が望むなら、その力をコントロールするすべを教えてもらえるよ」 「……うん」 「でももし、その力のせいで怖いものを見ているのなら、君の中から消し去ってしまうこともできる。……どうする?」  珠生の言葉に、宗喜は口に含んでいたココアをごくりと飲み下した。もっと不安そうな顔をするかと思っていたが、まっすぐに珠生を見つめる瞳には揺らぎがなく、すでにその答えを胸に秘めている様子である。 「消さへんって、もう言ったし。右水と左炎と、これからも俺、会いたいし」 「そう言ってたね。下界に戻っても、その気持ちは変わらない?」 「変わらない。本当は、いますぐにでも会いたいねん」 「ってことは、用事ってそれかな? まだ鞍馬山の検分が終わってないから、それはまだ……」 「あっ、ううん。それもあるけど、今日は違う用事もあって」 「え?」  宗喜はそう言って、複雑な表情でもぞもぞと唇を引き結んだ。そして、ふうと息を吐き、しっかりとした声でこう言った。 「俺、親戚の家とか、施設とか、行かんでよくなったんやって」 「え? そうなの? じゃあ……」 「父さんがな、そのまま俺と暮らしてくれんねんて。母さんが俺にそんなことしてたって知らんかった、気付いてやれへんでほんまに悪かったって、謝ってくれてん」 「そうなんだ。お母さんは、どうするの?」  母親の話題になると、宗喜の表情が一瞬陰った。 「母さんは、病院に行くんやって。面談した先生が、お母さんは心に病気を抱えてるから、治していかなあかんって言わはって」 「そう……入院か」 「うん……。母さんな、父さんの前じゃいつもきれいな格好してたけど、俺と二人の時はいつも、暗くて怖くて、いつ怒り出すかも分からへんしで……めっちゃ毎日しんどかった。父さんも……母さんが俺を殴ってたこと知って、めっちゃ怒ってて……」 「そう……」 「でも、そうなるように追い込んだんは自分やからって言って……なんか、悩んだはるけど」  宗喜の家系は、大手食品メーカーの創始者一族である。日本でその名を知らぬ者はいないのではないかという程度には、全国的に有名な京都の老舗だ。  父親は現在社長職に就いており、ここ数年の売り上げ低迷を挽回するべく、身を粉にして働いているらしい。方々への接待にも熱を入れ、取引先を確保しようと走り回っているのだとか。児童相談所の職員から聞いたその情報は、珠生が想像していた宗喜の父親像よりも、ずっと人間らしい印象を受けた。 「じいちゃんたちからは、離婚せぇって言われてるらしいねんけど……でも、父さんは、今はできひんて言ってて……」 「……宗喜くんは、どんな気持ちなの?」  最初ここへ来た時のすっきりした表情が嘘のように、宗喜の顔色がすぐれなくなって来た。珠生は踏み込み過ぎてしまったのではないかと後悔しつつ、宗喜の様子を窺うことしかできない。 「正直……今は、母さんとは一緒にいたくない。でもかといって、他人になるのは……なんか」 「……そうだよね」 「母さんの病気が治るまでは……会わんほうがいいかもって、思ってんねん。これからは父さんがちゃんと俺を守るって言ってくれたし、それ信じてみよっかなて」 「そうか……。じゃあ、しばらくはお父さんと二人暮らしなのかな?」 「うん。仕事で遅くなる日もあると思うけど、なんとかするって言ってた。ほんまかどうか分からへんけどな」 「んー、近所に頼れる人はいるのかなぁ?」 「チャリで十分くらいのとこに、叔母さん家族が住んだはる。父さんの妹。いつでも来たらええよって言ってくれてるし」 「そっか、よかった……」 「おばさんちには祖父ちゃんもおるから、母さんのこと悪く言われそうやけどな。まぁ、ずーっと一緒に暮らすわけちゃうから、大丈夫やろうけど」  そう言って気丈に笑う宗喜の頭に、自然と手が伸びていた。  宗喜は一瞬、身を強張らせて珠生の手のひらの動きに身構えていたけれど、珠生がふわりと頭を撫でると、ぽっと頬を染めて照れ臭そうに俯いた。 「……何かあったら、頼って来てくれたらいいからね」 「う、うん……ありがと」 「ここで修行をするってことは、今日からこの場所は君の居場所になるってことだ。あとで皆に紹介するよ」 「修行ってさ、沖野さんがしてくれるの?」 と、宗喜が尋ねる。珠生は苦笑しつつ首を振り、「ごめん、俺はそういうのまだ、できないんだ」と言った。 「えー、何で?」 「俺はまだ新人だし、ちょっと……力の種類が違うっていうか」 「種類かぁ……うん、それは何となく分かるけど」 「それに、ここにはベテラン術者がたくさんいるんだ。俺も修行をつけてもらって、すごく力が安定した。だから、ここはプロに任せた方がいいよ」 「……うん、そっか」  そう言いながら、宗喜はしげしげと珠生の全身を見回した。 「俺も強くなったら、沖野さんと一緒に戦ったりとか……すんの?」 「そうだね、その可能性は高いかな。まぁ、この力を使わないで済むんなら、それが一番だけど」 「えー。もったいないやん」 「何言ってんの、平和が一番だろ?」 「うん……まぁ、そうやなぁ」 「それよりもまずは、君がその力に振り回されないよう、君自身の心を鍛えなきゃいけない。俺もまだ未熟なところは多いけど、一緒に頑張って行こうね」 「うん……!」  珠生の言葉に、宗喜は誇らしげな笑顔を浮かべた。

ともだちにシェアしよう!