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十六、再び、鞍馬山にて

   その日の午後、珠生は再び鞍馬山へと向かった。  事件以来、多くの職員たちが鞍馬山を調べて回っているが、宗喜の語る『謎の少年』についての手がかりは、何一つ見つかっていない。山一つを丸ごと調べるとなるとかなり骨が折れる上、明るいうちしか活動できないという部分もネックになっている。しかも季節は真冬で、山中に陽が射す時間はひどく短い。樹々の茂る深い山の中となると、日照時間はさらに短く制限される。  そこで職員たちの頼りとなっているのが、例の『異能力感知システム』だ。より精度をあげ、もっと微弱な力をもキャッチできるようになったそれを駆使して、山中の怪しいところを片っ端から調べて回っているのである。  だが、鞍馬はもともと霊山であるため、兎にも角にも妖が多い。なるべく彼らの縄張りを荒らさぬように気をつけながらの検分であるため、これはこれで骨が折れているというわけだ。妖たちは警戒心が強く、突然現れた黒服の術者たちを威嚇する。だが稀に気さくな妖もいるもので、『退屈しのぎに手伝ってやろうか』と言い出すものもいる。だが、ここで妖を巻き込むとさらに話がややこしくなるため、そういった場合は丁重にお断りをするのだが。  そういった状況を打破する方法を探るべく、湊はほとんど鞍馬山にこもりきりといった状態だ。京都事務所に詰めている技術部の面々と連絡を取り合いながら、よりよくこのシステムを使う術を探っているのである。 「おう、珠生。こっちや」 「……湊、何その格好」  湊と鞍馬寺の駐車場で落ち合い、久しぶりにその姿を見た。  普段は黒一色でクールに仕事をこなしている湊だが、今の姿はまるで登山家だ。頭には黒いニット帽、撥水防水加工の施されたモスグリーンのダウンジャケットと、ベージュ色のクライミングパンツを着こなしている。そして足元も、しっかりとしたトレッキングブーツを履き、大きなリュックサックを背負っているのだ。 「冬の山をなめたらあかんで。珠生はいっつも薄着すぎんねん。せやのに結局外でたら寒い寒いって言うてるやんか」 「まぁ……そうかもだけど。けど、今日はちょっと厚手の上着を着てきたし」 「足元が頼りないわ。そんなうっすいスラックスとピカピカの革靴で、どうやって山へ分け入るつもりやねん。ったくお前は、いくつになっても自己管理ができひんなぁ。そんなやから、」 「あーーーもーーーうるさい!! 俺は大丈夫だから、さっさと行くよ! 今日は右水と左炎に話があるんだって言ったろ!!」  相変わらず、ねちねちと説教を垂れる癖の治らない湊を一喝して、珠生はずんずん石段を登り始めた。湊は「やれやれ」と言いつつも、軽快な歩調で珠生の後をついてくる。 「今日は誰が検分に出てんの?」 「鞍馬寺を中心にして、東エリアを高遠さんと更科さん。西を佐久間さんと墨田さん、やな」 「ふうん。南北は?」 「そっちはもう調べ尽くしたんや。何も出てこーへんかったけどな」 「そっか……」 「お前らが見た、あの狛犬……ならぬ狛虎の二体は、俺らが近づいても微動だにせぇへんねん。あいつらに話聞けたら一番早いんやろうけどな」 「あの時は宗喜くんを守るために動いたんだろうからなぁ。今日はあの子がいないから、動いてくれるかどうか……」  と話をしながら、珠生と湊は速い歩調で参道を登り、鞍馬寺の本殿の方へと急いだ。  今日は穏やかに晴れた平日の午後だ、ごくごく普通に登山客たちが九十九折の山道を歩いているのだが、すれ違う人々は、もれなくチラチラと珠生と湊を見比べる。それもそうだろう。フル装備の湊とスーツ姿の珠生では、どこからどう見てもちぐはぐだ。  そして程なく、本殿に到着した。今日は例の金剛床にも、たくさんの女性たちが群がっている。 『宇宙エネルギーをキャッチできる』といういわれのある六芒星の上に立ち、両手を上げて写真を撮る女性たちの顔は楽しげだ。あんなに楽しそうにしているのに、皆それぞれに悩みを抱えているのだろうか。ここへ来ることで悩み事が解決するわけではないだろうが、困難を打破する活力を得ることができるのならば、それはそれで良いことだと珠生は思った。 「ほんまはあの三角形の上、立ったらあかんて聞いたことあんねんけどな。『宇宙と大地を結ぶ強力なパワーが吹き出している』とかいう、神聖な場所やからって」 「……そうなんだ」  珠生ののほほんとした考えを塗り替えるように、湊が冷静な口調でそんなことを言った。 「鞍馬寺が祀ってんのは神様とちゃうくて、尊天っていう『概念』のようなもんらしいな」 「え? 毘沙門天を祀ってるんじゃなかったっけ?」 「毘沙門天だけちゃうで。あと、千手観世音菩薩と護法魔王尊といはって、それらが三身一体となったもんが『尊天』っていうもんらしい」 「ふうん、ややこしいね」 「毘沙門天が太陽、千手観世音菩薩が月、護法魔王尊が地球を意味しとって、それぞれ『光、愛、力』を象徴してんねんて」 「それをまとめて宇宙エネルギーって言ってるってこと?」 「そういうことみたいやな」 「さすが、詳しいね」 「そうか?」  しばらく観光客たちの姿を眺めたあと、珠生はきっちりと石像の姿となって鎮座している狛虎たちのほうへと歩み寄った。今は人目があるため身動きしないが、二対の気配がもぞりと蠢いたことに、珠生は気づいた。 「後で聞きたいことがあるんだ。日が落ちてから、会いに来るよ」  左炎の前に立ってそう言うと、石像の狛虎の目玉だけがきょろりと動いた。珠生の背後にいた湊が「うぉ」と変な声を出している。 「すごいな……ほんまに動くんや」 「今日は話が聞けそうだ。湊にも紹介するよ」 「おう……。狐に、文鳥に、虎か……」 「え? 何?」 「いや、なんか……関わる動物、なんや増えて来たなぁと思って」  湊のつぶやきを耳にした珠生は、振り返って小首を傾げた。すると湊はメガネのブリッジを押し上げながら、こう言った。 「弓之進って、覚えてるか?」 「え? あぁ、影龍の部下だった……」 「そう、主人を失ってからずっと文鳥に取り憑いて、藤原さんのマンションにおるやんか」 「あぁ、そういえば……って、オフィスじゃなくて家にいるんだ」 「せやねん。ほんで今回の検分、弓之進にはかなり世話になってんねんな。今は鳶に取り憑いて、鞍馬山を上から見張ってくれてんねん」 「そ、そうなんだ……」  見上げると、空の遥か高みで弧を描く、一話の鳶の姿が見えた。影龍を失ってひどく打ちひしがれていた彼も、すっかり宮内庁特別警護課の協力者としての居場所を得ているようだ。 「お前も妖と契約して、使い魔とか持ったらええんちゃう。そしたら色々動きやすいやろ?」 「使い魔? 俺が?」 「蜜雲とかいてくれんの、めっちゃ助かるやんか」 「まぁ、そうだけど……。俺と契約してくれる妖に心当たりもないしなぁ」 「鳳凛丸とか」 「いやいやいや、無理だって! 恐れ多すぎるから」 「せやんなぁ」  そんなことを話しながら、二人は木の根道の方へと足を向ける。そこは宗喜が行方不明になった現場であり、幾度となく調査の手が入った場所でもあるが、珠生はまだ一度も自分の目で見ていなかったのだ。  参道を覆い尽くすように生い茂った木々の根が地面に露出しており、でこぼこ道を作り出している。複雑に絡み合った根の上を歩くと、足の裏からふわ、ふわとした不思議な感触が伝わって来るのだ。  ここは、牛若丸が天狗と修行に励んだという伝説が残る場所だ。静謐さを漂わせながらも、どことなく猛々しさのようなものを押し秘めている、独特な空気。他とは違う不思議な気配を肌に感じて、珠生はあたりに視線を走らせた。 「どないしたん?」 「いや……よく分からない。何かに、見られてるような気がして」 「ほんま?」  湊が、スマートフォンに落とし込んだ『異能力感知システム』をチェックし始めた。  珠生はじっと樹々の隙間に目を凝らし、深く息を吸って意識を研ぎ澄ませていく。 「……近くに、何かおる。めっちゃ微弱やから、どんなもんかは分からへんけど」 「木の上を見て来る。何か反応あったら教えて」 「あっ、珠生」  珠生はざっと地を蹴って、頭上に生い茂る木々の枝の中へ跳んだ。手近な枝の上にとんと降り立ち、あたりに視線を配りながら、珠生は身軽に枝の上を駆けていく。  枝を蹴り、あっという間に遠ざかっていく黒いスーツの珠生の姿は、まるで伝説の鞍馬天狗のようだ……と、下から珠生を見上る湊は思った。

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