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十八、屍人

「黒城牢!! 急急如律令!!」 「縛道雷牢!! 急急如律令!!」  珠生の背後から術を放ったのは、舜平と敦だった。珠生はその場から飛び退って後退し、その場に膝をついた。全方位から現れた特別警護担当官たちの姿を見上げていると、舜平がちらりと横顔で珠生を振り返る。 「お前……血が!」 「このくらい、どうもない」 「あいつは一体、何者なんや」 「……おそらく、あいつも陰陽師だ」 「何やって……!?」  二重に囚われた青年だが、牢獄の中でもまるで狼狽えるような態度は見せない。どこまでも不遜な目つきで腕を組み、自分を取り囲む陰陽師たちひとりひとりを、じっと観察するような目つきで見回している。 「……若いのが増えたな。なかなか、力の使い方が上手いじゃないですか」 「誰じゃお前は! 鞍馬の鬼とかいうて、訳わからんことしとったんはお前か!?」 と、敦が脅しをかけるような声でそう言った。すると青年は冷ややかに敦を見遣り、ふんと鼻を鳴らす。 「その言葉づかい、君は西の陰陽師か。なるほど。廃れゆく血筋の中にも、そこそこの術者がいたようですね」 「あぁ!? 何言うとんじゃお前! 西の陰陽師は……」 「墨田、黙りなさい」  敦のがなり声を割って、落ち着いた藤原修一の声がその場に響く。  藤原がそこに現れたことにより、場の空気が一瞬にして、ぴりりと引き締まる。 「大丈夫か、珠生くん」 「……ええ、大丈夫です」 「……あの顔……」  牢獄の中に囚われた青年の顔を、藤原は目を凝らして見つめている。相手もまた淡々とした表情で藤原を見つめ返していたが、不意に、どこか懐かしげな表情で小さな笑みを漏らした。 「随分と偉くなったみたいですね、藤原修一君」  青年のその台詞に、藤原の表情が愕然とこわばった。信じられないものを見るような目つきで青年を見据えながら、藤原は、かすかに震える声で、こう言った。 「……駒形さん……? まさか、駒形司(こまがた つかさ)……なのか?」 「えっ、し、知り合いなんすか……?」 と、藤原の左右にいた舜平と敦が驚いている。珠生もその場に膝をついたまま、黒いコートをはためかせる藤原の背中をじっと見上げた。 「ええ、そうですよ。お久しぶりです、藤原君」 「どうして……? あなたは、亡くなったと聞いています。どうして、ここに……。しかもその姿は」 「ふ……話せば長くなりますが、そろそろ僕は消えますよ。さすがに、ここまで大人数に囲まれては分が悪い。僕にはまだまだ、やることがあるのでね」 『駒形司』と呼ばれたその青年は、ぱん、と胸の前で柏手を打ち、唇を釣り上げてにぃと笑った。 「黒貫爆轟(こっかんばくごう)! 急急如律令!!」  術式詠唱の直後、人間の腕ほどもある黒い蔓草が、うねりをあげて駒形の身体から生えた。それはあっという間に舜平と敦の作り出した牢獄に絡みつき、突き破り、格子を脆くもひん曲げた。  駒形は悠然とした足取りで外に出て来ると、さっと素早く別の印を結ぶ。  そして長い灰色のまつげに彩られた目を妖艶に細めながら、「もうちょっと、ちゃんと修行をし直しておいてくださいね。千珠様」と珠生に向かって言い放つ。 「破!!」  鋭く響く駒形の声とともに、蔓草が轟音を放ち、炎を上げながら爆ぜた。どぉおおおおん……!! と山を揺るがすほどの爆音が鼓膜を(つんざ)き、珠生は身を低くしながら耳を塞いだ。藤原が素早く張った防御結界のおかげで直撃は免れているが、熱波を伴う爆風があたりを焦がし、奥宮を守るように包み込んでいた大樹たちが、ざざざざざ……と炎に揺らめく。  幸い、大きな火の手は上がらなかったものの、篤く、清く守られて来た貴船の神域が、すっかりちりじりに焦がされてしまった。駒形の逃走を防ごうと周辺を取り囲んでいた陰陽師たちは無事のようだが、軽い火傷を負ったものもいる様子だ。  珠生はふらりと立ち上がり、たった一人の敵に、ただただ翻弄されるしかなかった陰陽師衆(なかまたち)の姿を見渡した。そして、何もできなかった自分の拳を、見下ろした。 「珠生、大丈夫か?」  呆然としている珠生のそばに、舜平が駆け寄って来た。棘に貫かれた珠生の肌はあちこちから血が滲み、ワイシャツのそこここが赤く染まっている。一見すれば、珠生が一番重症に見えるだろう。 「大丈夫。舜平さんは?」 「俺も何ともない。ただ……何なんやろな、あいつ。藤原さんは知ってる相手みたいやったけど……」 「うん……」  周辺への影響の有無を確認させるべく指示を飛ばしている、藤原の背中。藤原の声が震えるところなど、現世(いま)前世(むかし)も初めて聞いた。 「おーい、珠生、大丈夫か!?」  その時、焦げた砂利を蹴って駆け寄って来る湊の声に、珠生ははっとした。うまく災難を逃れたらしく、湊も無傷だ。 「うわっ、血まみれやないか! 舜平、はよう治したれよ」 「言われんでもそうするわ」 「ていうか、来るの早かったね。システムのおかげ?」 と、珠生が腕をさすりながらそう尋ねると、湊はくいと上空を指差しながら、こう言った。 「弓之進からの情報のほうが早かったけどな。そのすぐ後にシステムの方にもアラートが鳴ったから、すぐに近くにおった職員全員に向けて、位置情報を送信したんや」 「へぇ……それ、役に立つ時も……あるんだ……」  ぐら、と視界が歪む。不意に襲ってきためまいにふらつく珠生を、舜平が慌てて抱きとめた。 「お、おい、どないした」 「わ、かんな……。あいつとやってるときから、なんか、頭が……」  たどたどしい口調で駒形と戦っていた時の状況を説明すると、湊と舜平は顔を見合わせた。 「珠生それ、幻術食らったんちゃうか?」 と、湊。舜平も頷いて、珠生の額に手のひらをかざす。大きな舜平の掌のぬくもりに、高ぶっていた身体が鎮まっていく。こんなふうに激しく妖気を燃やすのは久しぶりで、身体の奥底がじくじくと痛み始めていた。 「何も考えんと妖力を使ったんやろ。身体も熱いな。早く、どこかで手当てせな」 「うん……」  舜平と湊に支えられながら、数台並び停められている車の方へ向かっていると、藤原が三人のもとへ歩み寄って来るのが見えた。珠生が足を止めると、舜平と湊もそれに倣う。藤原はいつになく硬い表情で珠生の額に触れ、「大丈夫かい?」と声をかけた。 「藤原さん、あれは誰なんです? どういうことなんですか、陰陽術を使うなんて……」  藤原の問いかけには答えず、珠生は勢い込んで疑問をぶつけた。すると藤原はゆっくりと首を振り、解せない表情を浮かべてこめかみを抑えた。普段はいつも泰然自若といった様子の藤原が、こんな表情を見せることはとても珍しいため、妙に不安を煽られる。 「……私にもまだ、急には受け入れがたい状況でね」 「あの人は、知ってる人なんでしょう?」 「……そうだな。よく知ってる。……いや、知っていた、というべきか」  藤原は考え事にふけるような目つきになり、黒い革手袋の長い指で口元に触れた。そして「ありえない」と小さな声で呟きつつ、珠生らの方へと顔を向ける。 「あの人は……駒形司は、私が新人だった頃の先輩だよ」 「先輩?」  三人の声が重なる。疑問符がその場に飛び交う様が、見て取れるようだった。  藤原はどうしてか自嘲気味な笑みを唇に浮かべ、はっきりとした声でこう言った。 「駒形さんは、二十年前に亡くなった。私は、葬儀にも参列した」 「え……?」 「そう、死んだはずだ。なのにあの人は、あの頃のまま……いや、それよりもっと若返った姿で、ここにいた」  藤原の硬い声をかき消すように、びゅうと強い風が吹く。  さらに深まる謎を残して、駒形司は再び行方知れずとなった。

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