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二十八、仮説

  「間に入った私を、祓い人は容赦なく襲った。裂けた巨大な口に、長い牙を無数に生やしたおぞましい妖が、瘴気を撒き散らしながら私を喰らおうとした。……駒形さんは、私を庇い、妖に左半身を食いちぎられてしまった」  藤原はどこまでも淡々とした口調だった。  それが逆に、当時の凄惨な状況を生々しく物語っているように感じられ、珠生は息をすることさえできなかった。 「そのあとのことは……実はあまり記憶がないんだ。ただ覚えているのは、かろうじてつながっていた左腕から覗く骨が、異様に白かったことと、私のスーツを濡らすあの人の血液や、内臓が、じっとりと重かったことだけ」  藤原はそっと右手を持ち上げて、手のひらを見つめた。おそらく藤原の目には、駒形の血で真っ赤に濡れた手のひらが見えているのだろう。痛ましげに眉を寄せ、藤原は唇を真一文字に引き結ぶ。そして、物語でも諳んじるかのように淀みなく、その先を語った。 「駒形さんの状態を見て、祓い人たちはすぐに逃げたらしい。その後、駒形さんは治療班の術者らにどこかの病院に連れて行かれた。でも、あの大怪我だ。手の施しようがなく、そのまま駒形さんは亡くなったと、聞いた。その時の私は、目の前で起きた衝撃的な出来事をうまく飲み込むことができず、罪悪感に押しつぶされそうになっていて……多分、そうとう錯乱していたんだと思う。記憶が曖昧で……次に思い出せるものは、駒形さんの葬儀と、棺の中に収まった、あの人の安らかな死に顔だった」  それまで翳っていた部屋が、やや光を取り戻す。だが、その陽光のせいで、藤原の顔に落ちた影がさらに濃くなったように見えた。誰も口を開かない。重い沈黙が数秒続いたのち、彰が小さく息を吸う音が聞こえてくる。 「業平様は、死亡した駒形の顔は見られたんですね。遺体の全身は見られましたか?」    これまでじっと黙って話に耳を傾けていた彰が、冷静な口調でそう尋ねた。藤原は彰の方を見て、ゆるゆると首を振る。 「いや、棺についているあの小さな窓から、顔だけを見た。身体はどうなっていたか、分からないな」 「駒形の遺骸は火葬されましたか? それとも土葬?」 「火葬されたと聞いたが、その真偽は駒形家のものしか知らないことだ。葬儀の後、私は方々で事情を聞かれる身となって、とても忙しくてね。駒形さんの死ぬ場面について、何度も何度も語らねばならなくて……その時の記憶も、正直かなり曖昧だ」 「……なるほど。じゃあ、遺体が本物かどうかまでは、宮内庁職員は誰も知り得なかったと言うことですか」 「えっ?」  細い顎を指で撫でながらそんなことを言い出す彰を見つめながら、珠生は目を瞬いた。 「遺体が本物かどうか……って? どういうこと?」  彰はじっと何かを思案するような表情を浮かべ、ソファの肘掛にもたれかかって下唇に指をかけた。そして、ゆっくりとした口調でこう言った。 「ずっと考えていたんだ。一度死んだ人間を完璧に蘇生させることのできる術なんて、あったかなって」 「反魂(はんごん)の術、とかですか?」 と、湊。彰は緩く首を振った。 「それも使えるかなと思ったけど、反魂の術で出来上がるのは、ただの土人形でしかない。墓場の土、蘇らせたい人物の骨、複雑な術式を一言一句違えることなく詠唱すること……条件と覚悟さえあれば、成功率はそう低いものではないらしい」 「そ、そうなの? あれってなんかすごい禁術なんだと思ってた」 と、珠生はやや愕然として、彰の横顔を見つめる。 「いや、もちろん禁術なんだけどね。でも、戦の多かった平安時代後期。陰陽師衆はこの手の仕事を高級貴族から依頼されることも多かったんだ。だが珠生の言うように、反魂の術は禁忌中の禁忌。この術に手を出せば、都にはいられない。けど高額な報酬に惑わされて依頼を受ける術者もいたらしく、あえなく粛清……ってことも多かったみたいだよ」 「へぇ……」 「しかし、出来上がるのはただのゾンビ。意思も体温もない、ただの人形……それでも、死者に恋い焦がれてこの術に手を出してしまう人間はたくさんいたということさ」    彰はそう話した後、軽く咳払いをした。それまでソファに深く腰掛けていたが、彰はぐっと身を乗り出して、藤原の顔を覗き込む。 「話を聞く限り、駒形司はそういう類のものではなさそうですね。となると、実際彼は重傷を負いながらも生きながらえ、何か特殊な術で肉体の再生を図った……ということが考えられませんか」 「……ふ、佐為は本当に冷静だな」  藤原は目を伏せて低く笑うと、ゆったりと脚を組んで天井を仰いだ。そして、場を仕切り直すように長い溜息をつくと、普段の穏やかな口調で話し始める。 「私も、同じことを考えた。その仮説を検証するために、東京へ行って来たんだ。二十年も経ってようやく、過去を冷静に受け止めることができるようになったらしい」 「無理もありませんよ。目の前で親しい仲間がそんな目に遭うなんて……僕だって、平常心ではいられるとは思いません」 「……そうだな。しかし、まさかこんな形で、またあの時の罪悪感と向き合うことになるなんて思ってもみなかった。だが、いつまでも感傷に浸っている暇はないのでね」  そう言って藤原はすっと立ち上がり、窓の方へと歩み寄った。 「珠生くんと舜平くんが担当していた崎谷宗喜の一件。崎谷くんをそっくりそのままコピーしたものを見たろ?」 「はい、見ました」 と、珠生は答える。隣で舜平も頷いた。 「駒形さんは特に、植物の類を操る術に長けていた。植物に気を通わせ、陰陽術と組み合わせてみたり、妖に植え付けたり……私も今回初めて知ったが、あの人は、植物を使って様々な実験をしていたらしい」 「植物……。あの、宗喜くんと成り代わっていたやつとか、爆発する蔓草みたいなのとか、ですか?」 「そう。崎谷宗喜くんのコピーを見てもわかるように、駒形さんは、何の造作もなく人に似たものを作り上げる。自分の遺体を擬態することも、容易かったと思う」 「自分の身体を……」 と、珠生が呟く。 「そして、あの人が得意とする吸魂憑依の術は、まさに妖を食らって自分の一部とする術。肉体に激しい損傷を負っていたとしても、時間をかければ、すこしずつ身体を再生することができたかもしれない……と、私は当時の記録を読みながら考えた」 「それで、姿形も若返ってもうたってことですか?」 と、舜平がどこか釈然としないような口調でそう言った。すると彰は腕組みをしつつ左手でこめかみを叩きながら、かすかに唸る。 「うーん。でも、昔……といっても平安時代のことだけど、数多の妖を食らって若返り、美貌を取り戻したあと発狂して、鬼となった女の話が実在する。そして駒形司は、すでに何度もその禁忌を犯している。貴船で見せた少年の姿は……つまりはそういう理由なのかもしれないな」  彰がそう話すと、藤原は同意するように深く頷く。テーブルの上に置かれた湯呑みを手に取ると、藤原は湯気の立たなくなったお茶で唇を潤した。 「その可能性はある。となると、駒形さんには協力者がいたということになるだろう」 「協力者ですか?」 と、湊が腕組みをする。 「そう、肉体の再生を待つ二十年もの間、あの人を匿い続けた誰かがいるかもしれない、ということだ」 「二十年も……」  まだ二十代前半の珠生にとって、二十年もの年月はあまりに長い。しかも、異能者である駒形司をかくまい続けるとなると、協力者にも、それなりの覚悟と労力が必要だったはずだ。 「……確かに、遺体をすり替えるにも人手が必要だったろうし、その後、怪我を癒して再起するまでにも、だれか人の手が必要だったはずですよね……」  駒形の状況を想像しながら、珠生は慎重な口調でそう言った。藤原は頷き、もう一度椅子の方へ戻って来て、腰を下ろす。 「そういうこと。しかし、そのあたりのことは、今回の出張では分からずじまいだ。現在、宮内庁に、駒形家の血のものはひとりもいない。調べてみたが、駒形さんの祖父はすでに他界し、父親も五年前から介護施設に入っている。兄弟はなく母親は只人で、一人で駒形本家の屋敷に住んでいるそうだ」 「じゃ、じゃあ、そこに匿われてるとか……!?」 と、珠生がやや身を乗り出すと、藤原はゆるゆると首を振った。 「調べさせたが……そういう気配はなかったそうだ。事態が事態だから母親にも自白術をかけたそうだが、嘘をついている様子はなかったというし」 「そうなんですか……」 「親戚とか、いいひんのですか? 霊力はなくとも、付き合いのあったような」 と、湊が言う。藤原は湯呑みを手のひらで包み込んだまま、また首を振った。 「いや……調べられる範囲内では、駒形さんを匿えるような人物は見当たらなかった」 「宮内庁内部に協力者がいるという可能性は? 同業者ならば、こちらの手の内も色々と分かっているだろうから、雲隠れも容易いでしょう」 と、彰は藤原に尋ねた。 「その可能性もあるだろうね。ただ、二十年にも渡って駒形さんに協力する人物がいたかどうかとなると、かなり人数は絞られる。内部への調査は早急に済ませるつもりだ」 「そうですか」 「……あの人の居場所も、そうまでして我々の前に姿を現した目的も、まだ何も分からない。一体、これから何をしようと言うのか……」  藤原の声は別段いつもと変わらない調子だが、やや不安をはらんでいるようにも聞こえた。珠生は小さく眉を寄せて、駒形の思想に同調しようと想像力を働かせてみる。だが、それはなかなかうまくはいかなかった。 「あの人の居場所を探り当てるためにも、感知システムはフル稼働で頼むよ。どんな微細な反応も見逃さぬよう、結界班と技術部で見守りを厚くして欲しい」 「分かりました」 と、湊が深く頷く。 「俺たちは、何をすれば?」 と、舜平がそう尋ねると、藤原はゆったりと首を振り、微笑みを浮かべた。 「君たちは通常業務に励んでくれたまえ。だが、もしなにか動きがあった時、すぐに動けるようにはしておいて欲しい。佐為も、ちゃんと自分の仕事をするんだよ」 「分かりました」  珠生と舜平、そして彰はちょっと顔を見合わせつつ、頷いた。 「私はしばらく、内部調査のほうにかかることになりそうだ。当時の同期で、今も庁内に残っているものは少ないが、私が直接出向いた方が話が早そうだからね。全国各地に出張だ」  藤原はそう言って、コトンと湯呑みをテーブルに置く。 「ひとまず、私から語れることは以上だ。……駒形さんが次の動きを見せる前に、身柄を確保できたら何よりなんだが」 「……そうですね」 と、珠生は呟く。  珠生の声色や、皆の表情が重く湿っていることに、藤原はやや申し訳なさそうな笑みを浮かべている。藤原はすっと立ち上がると、パンパンと手を叩き、張りのある声でこう言った。 「さぁ、珠生くんがせっかく和菓子を買って来てくれたんだ。気を取り直して甘いものを食べよう」  藤原が努めて明るい声を出していることに、珠生は気づいていた。きっとここにいる皆も、同様だろう。  ――藤原さん、キツいだろうな……。過去の罪悪感と戦うって……すごく、重たい作業だ。      千珠として犯した、過去の殺戮。今だに消化しきれていない、過去の夢……。  ――これまでたくさん支えてもらったんだ。この一件、俺たちで頑張らないと。  珠生は内心、ぐっと拳を握りしめた。  あえて明るい話題で場を和ませている彰と湊、そして鋭いツッコミで藤原を笑わせている舜平。その三人の瞳にも、同じような決意が、ひそやかに揺らめいている。

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