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二十九、ひらめき
藤原のマンションを出た頃には、空はすっかり暮れていた。
豆大福を食べて少し和んだ後、彰は仕事があるからと席を立ち、湊もすぐに『感知システムの調整をしたいから』と言って事務所へ行ってしまった。
珠生と舜平はしばらくその場に残り、藤原と雑談をしていた。話がだんだんと料理の方へ流れて行き、珠生と藤原の料理談義が再燃したこともあって、そのまま藤原とともに夕飯を共にすることになったのである。
珠生は冷蔵庫にあったありあわせの材料で炒飯を作ることにしたため、藤原と並んでキッチンに立ち、好物の話をしながら野菜を刻んだ。そして藤原はその隣で餃子を作ることになったのだが、なんと生地から手作りである。
腕まくりをして黒いエプロンを身につけ(ちなみに珠生にも洒落たエプロンを貸してくれた)、手際よく水と小麦粉を練り、珠生がついでに刻んでおいた野菜と合わせて肉を捏ねてゆく藤原の手つきは、素晴らしくプロっぽい。家事に慣れた珠生も、目を丸くするしかなかった。
餃子を包む段階では舜平も手伝いに加わっていたものの、スピードも見栄えも藤原のほうが断然上だ。舜平が拗ねて悔しがっている姿を見て、藤原も楽しげに笑い声を上げていた。
三人で作った夕飯はとても美味で、酒も進んだ。舜平は車であるため飲酒はしなかったが、藤原に付き合って飲んでいた珠生は、缶ビールを三本ほど空けてしまい、帰る頃にはほろ酔いである。
和やかな時間を過ごせたのか、別れぎわの藤原は柔らかな笑みを取り戻していたように思う。酔い冷ましに鴨川を歩きながら、珠生はふっと白い息を空に吐いた。
「お前、寒がりのくせに散歩とか」
と、酔っていない舜平が、やや寒そうに手を擦り合わせている。いつもは人気の多い鴨川だが、寒波到来中の今日の最低気温はマイナス一度。流石の舜平もつらそうだ。
「ふふ……ごめんね、一人で飲んじゃって」
「いや、それはええけど。藤原さん一人で飲ますわけにはいかへんし」
「そうだよねぇ……。あーそれにしても美味しかった。藤原さん、すごいなぁ」
「ほんまやな。ちょくちょく飯食いに行きたいくらいや」
「一人暮らしだしね……またみんなで遊びに行こ」
「せやな」
ふらふらと川べりを歩く珠生の腕を、舜平がぐいと引き寄せる。てっきり抱きしめてもらえると思った珠生であるが、舜平は小難しい顔をして「おい、前見ろ前。川落ちんで」と言った。
「わ、あぶな……」
「ったく。酔っ払いめ」
「あ〜気持ちいい。……俺、このまま寝そう」
「マイナス一度で寝れるとかどんだけやねん。そんならもう帰ろうや。藤原さんちに車停めっぱなしやし」
「う〜ん……そうだね……はぁ、今ここにふわっふわの布団があれば……」
「お前は助手席で寝るだけやろ。ほれ、帰んで」
「布団……ふわっふわの……布団……?」
ぎゅっと珠生の手を握ってもと来た方向へ戻り始めた舜平に引きずられながら、珠生はふと、脳内に閃くものを感じた。
「ふわっふわ……そうだ、その手があったか……!!」
「ええ? 何言ってんねん珠生。そんな酔うてんの?」
「ふわふわだよ、そうだ、あの二人なら、駒形さんに直接会ってる! 探してもらえるように頼んでみればいいんだ!」
「……はぁ?」
心底訝しげな表情を浮かべている舜平を尻目に、珠生はやおら両手を胸の前で柏手を打つと、声高に名を呼んだ。
「右水、左炎!! ここへ!!」
明確な意思を持って二頭の名を叫ぶと、ぐんとその気配が急激に近づいて来る手応えを感じる。そしてそれは瞬く間に確固とした熱量をもち、清々しく暖かなつむじ風が、ぶわりと珠生のもとに出現した。
「うわっ……なんや……!?」
枯葉を巻き上げて吹きすさぶ風に、舜平がとっさに目を覆った。珠生は閉じていた目をゆっくりと開き、左右に感じるふわりとしたぬくもりに、そっと優しい視線を注ぐ。
「右水、左炎、来てくれたんだね」
『当然だ』
『今の我らは、珠生のためにあるのだから』
青白い光を全身に湛え、珠生に擦り寄る二頭の虎。珠生がにこにこしながら柔らかな毛並みを撫でていると、二頭もまたすりすりと珠生の身体に鼻先をすり寄せ、機嫌良さそうに太い尻尾を立ててくねらせている。突然現れた鞍馬の神使に、舜平は目を瞬くしかない。
「おお、ほんまに……式にしたんやな」
「うん。……あぁ、ふわふわ。柔らかくてあったかくて……最高。気持ちいいなぁ……」
『ふ……くすぐったいではないか』
『珠生、今日はなにやら芳しい香りがするな』
「あぁ……お酒飲んだからかなぁ……」
『酒か。ほう、それでこの甘い匂い……ほう』
『悪くない……ふむ』
と、右水と左炎がくんくんと珠生の匂いを嗅いでいる。すると珠生は身をよじって、「くすぐったいよ、あはは」と可愛い声で笑っているではないか。
舜平はぴくりと眉を寄せ、憮然とした表情でつかつかと珠生に歩み寄った。
「珠生、こら。こんなとこにこいつら呼び出して、どうするつもりやねん」
「あ……あぁ、そうそう、そうだった。あのさ、ちょっと思ったんだけど……あはっ、こらっ、くすぐったいって」
なおも鼻先を、珠生の腰や尻のあたりにすり寄せる右水と左炎である。舜平のこめかみに、とうとうブチっと青筋が浮かんだ。
「おいコラァ!! くんくんくんくん嗅ぎすぎやねん!! ちょお離れんかいスケベな虎やな!!」
すると右水と左炎は青い瞳をすっと舜平の方へやり、二度三度瞬きをした。
『……ん? あぁ……いつぞやの陰陽師か』
『何故貴様に文句を言われねばならないのか』
『珠生は我らの主である』
『主に甘えて何が悪い』
「あのな、重々しい声で何言うてんねん。甘えんぼか。ええから珠生から離れろや! そいつは俺の…………えーと」
珠生との関係が深すぎるぶん、相棒と言えばいいのか恋人と言えばいいのか、または嫁と言えばいいのか分からなくなり、舜平はついつい口ごもってしまった。そんな舜平に、右水と左炎が首を傾げている。
『俺の、何だ?』
『何だ? 何なのだ?』
「うー……」
「俺のつがいだよ。この人は」
すると珠生が、ゆったりとした口調でそんなことを言った。その言葉を耳にした舜平の顔が、ぼっと真っ赤になる。
「た、珠生……」
「何となく、それが一番しっくり来るような気がして」
と、珠生は右水と左炎の頭を撫でながら、天女のように微笑んだ。舜平はすっかり照れてしまい、うつむいてうなじを掻く。
「……なるほどな。つがい、か。確かに、しっくり来るような気ぃするわ」
『ほう……そうか、つがいか。なるほど』
『なるほど。それならばまぁ、貴様とも親しくしてやらんでもない』
「何で上から目線やねん」
どうやらそれで納得はしたらしく、右水と左炎は珠生の匂いを嗅ぐことをやめた。そして今度は大人しくおすわりをすると、珠生の方へ向き直る。
『して、我らを呼び出した理由は、何か』
『暖を取りたかったのか』
「んーまぁそれもあるんだけど、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
と、珠生は二人の前に立ち、凛とした目つきでそう言った。
『主の願いとあらば、全力で叶えよう』
『何なりと申付けるが良い』
うんうんと交互に頷いている右水と左炎に向かい、珠生は明晰な声でこう告げた。
「駒形司の行方を捜して欲しい」
珠生のその台詞に、舜平が「あ!」と声をあげた。珠生は横顔で舜平を振り返り、頷く。
「二人は、駒形司に直接何度も会っているよね? あの人の匂いや気配を覚えてないかな」
『ツカサの気配……うむ、覚えているさ』
『独特の匂いをしていたな。人間離れした……そうだな、隠 り世にいる亡者のような匂いだった』
「それなら、お願いだ。駒形司を探してくれ。見つけたらすぐに俺に教えて欲しいんだ。でも、何もしないで。居場所を知りたいだけだから、いいね?」
『あい分かった』
『しばし待つがいい』
そう言い残し、二頭は空気に溶けるように消えて行った。
二頭が両側からいなくなった途端、ひゅうと冷たい風が珠生の身体を包み込む。両腕を抱きながら空を見上げる珠生のそばに、舜平はゆっくりと歩み寄った。
「なるほどな、あいつらに頼むって手があったか……」
「うん。あの二人なら見つけられるような気がするんだ。俺たちの中じゃ一番、あの二人が駒形司の存在に近かった」
「確かに。……このこと、藤原さんに報告しとくか」
「そうだね、伝えておこう。早く、見つかるといいけど……」
息を吐くたびに白い靄が空へと消えてゆく。冷えた空気に鼻先を赤くする珠生を抱き寄せて、舜平もまた空を見上げた。
「それにしても、つがい、か……嬉しいこと言ってくれるやん」
「ああ……だってさ、恋人……ってのもなんか、違う気がするし。相棒……ってのもなんか、うーんて感じだし」
「ほう、相棒か」
「そういう感じじゃなくて……なんか、運命共同体っていう感じだろ? となると、つがいってのがぴったりかなぁって思ったんだ」
珠生は鼻の頭を掻きながら、ちょっと照れ臭そうに笑った。舜平もまたふっと微笑み、珠生の肩を抱く手のひらに力を込めた。そして珠生のさらりとした髪の毛に鼻先を寄せ、甘い匂いを吸い込む。
「頑張らなな。本物のつがいになるためにも、先生のこと」
「……そうだね」
「明日、やな」
「うん」
明日、大学で教授会が開催される。健介は必ず、そこに出席するだろう。健介とは、あのメール以来ずっと連絡が取れていない。このままではずっと避けられ続けていたのでは、珠生らの親子関係に入った亀裂は埋まらない。二人の関係も、前には進まない。
また怒鳴られるかもしれない。ひょっとしたら、殴られるかもしれない。でも、それでもいい。舜平は、土下座でも何でもする覚悟だった。それで健介の怒りが宥まり、話を聞く気になってもらえるのなら。健介が自分の想いを、語ってくれる気になるのなら……。
二人は鴨川の静かな川音に耳を澄ませながら、しっかりと身を寄せ合った。
互いの温もりを感じながら、一度だけ、軽く唇を触れ合わせる。
「それにしても……お前、虎どもにべたべたされすぎやで。甘やかしすぎなんちゃうか」
「へ? そうかなぁ。可愛いだろ?」
「いやいやいや、あんなデカイ虎、可愛いもんとちゃうやろ」
「今度触ってみなよ。ふっわふわで気持ちいいよ?」
「別にええわ。珠生触ってる方が絶対気持ちええし」
「えぇ?」
そっけない口調でそんなことを言う舜平を、珠生がちょっと驚いたように見上げている。そしてその直後、明るい口調で笑い始める。
「あははっ。もう、舜平さん何言ってんだよ」
「うっさい。ほれ、早う帰るぞ」
「ふふっ、帰ったら、俺のこといっぱい触ってくれるの?」
「え?」
まだ少し酔っているせいか、珠生はとろんとした目つきで、甘く誘うような台詞を口にする。舜平はふう、とため息をつき、掴んでいた珠生の手をぎゅっと強く握り直した。
「おう、いっぱい触って、めちゃくちゃ鳴かしたるわ」
「えへへへ〜何それ〜」
「今夜も寝かさへんからな。覚悟しとけよ」
「えー……こわいなぁ」
と言いつつも、珠生の瞳は舜平からの愛撫を期待して、きらきらと潤んでいた。小首を傾げて舜平を見上げる珠生の目つきに、ぞくりと興奮を煽られる。
――うう、こんな時やけど……こいつほんまに可愛いな……。
酒など飲んでいないというのに、ふらりと軽くめまいを覚える。それほどまでに、珠生の甘い色香は妖艶で、逆らいがたく魅力的だ。
寒空の下をくっつき合って歩きながら、二人はようやく帰路についた。
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