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番外編『たとえばこんな、クリスマス』
「父さん、遅いなぁ」
「仕事立て込んでんちゃうか? 学生らは論文出してしもたら自由の身やけど、先生らは審査とか色々あるし」
「え? そうなの?」
「お前なぁ、ちょっとは先生の仕事に興味持てよ」
12月25日、クリスマスの夜。
舜平と珠生は、地下鉄烏丸線北山駅の出口の前で、各務健介を待っていた。せっかくなので、三人で外食をしようと、舜平が誘いをかけたのである。
二人が一緒に暮らすようになってからこっち、健介は松ヶ崎のマンションで一人暮らしだ。珠生が時折差し入れを持って様子を見に行くのだが、毎度毎度、部屋の散らかりようには呆れ果てている。そもそもあまり自宅にいない健介だ。部屋の掃除などは二の次三の次であるらしい。
食事なども大学で済ませるようになっているようで、キッチンを使った形跡も見られない。コーヒーくらいは淹れるようだが、冷蔵庫も空っぽだ。一体どんな生活をしているのやら……と、珠生がいつも心配しているので、舜平は今回の外食を提案したのである。
今日は、ちょっとばかりグレードの高いイタリアンレストランで、クリスマスディナーだ。
だが、健介は約束の時間を五分過ぎても現れない。時間にうるさい上に寒い場所が苦手な珠生は、ブツクサと文句を言い始めていた。寒そうに身体を揺すっている珠生を抱きしめたい衝動をグッと堪えながら、舜平は手袋を外して珠生に手渡した。
「ほれ、はめとけ」
「……え? ああ、うん。ありがと……」
「お前は寒がりのくせに薄着すぎんねん。手袋くらいしてこいよ」
「だって、かたっぽどっか行っちゃったんだもん」
「えぇ? なんやそれ、お子様か」
「うっさいな。買うよそのうち」
明らかにサイズの大きな手袋を嵌め、珠生はブスッとした声でそう言った。ここ最近はすっかりスーツ姿に慣れてしまった珠生だが、こうして黒ではない色を身に纏っていると、高校生の頃を思い出すほどに若々しく見える。素直に可愛い。
それもそのはずだ。今日の珠生は、千秋から押し付けられたベージュのダッフルコートを着ているのだ。高校生の頃からよく目にしていたアウターであるため、余計に当時の記憶が呼び起こされるようだ。珠生の物持ちの良さにも驚かされる舜平である。
「先生、すんなりOKしてくれたん?」
「うん、喜んでたよ」
「なんやかんやいうて、三人で飯食うなんて久しぶりやもんなぁ。交際OKしてもらって以来ちゃう? 緊張するわ」
「大丈夫だって。父さん、舜平さんと会えるの喜んでたよ?」
「ほんまかぁ?」
そんな会話をしつつ健介を待っていると、地下鉄の出口に面した歩道を歩く、見覚えのある横顔に気がついた。
「……ん? あれ、藤原さんちゃう?」
「え? あ、ほんとだ。藤原さーん!」
品の良いグレーのハーフコートに身を包んだ藤原が、二人の声に気づいてこちらを見た。そして、ちょっとびっくりしたように破顔する。
「やあ、二人とも。何してるんだい、こんなところで」
「今日は父と三人でご飯でも食べようと思って。藤原さんは?」
休日に私服姿で出会うという気安さもあってか、珠生の口調もいつになくくだけている。藤原もにこにこと朗らかな表情だ。
「明日来客があるものだから、そこのパン屋でバケットをね」
「へぇ〜、あそこのパン屋有名ですもんね。さすが藤原さん、おしゃれだなぁ」
「いやいや」
糺の森付近にマンションを買ってからこっち、すっかり料理にハマってしまった藤原である。楽しげに料理談義をする珠生と藤原を微笑ましく見守っているうち、舜平は遠くからバタバタと走ってくる健介の姿を見つけた。
「あ、先生! こっちです」
「あ、ああ、相田くん! 遅くなってすまない! ごめんねぇ珠生〜」
息を切らしながら待ち合わせ場所に訪れた健介は、学生時代から目になじんだ茶色いコートだ。
背も高いし足も流しい、顔立ちもさすがは珠生の父親と言えるほどに端正なのだから、もっとおしゃれをすれば絶対にかっこいいのに……と常々思う舜平だが、今日も今日とて、健介はくたびれた格好である。
「……? こちらの方は?」
そんな健介が、パリッと紳士然とした藤原の姿に気づく。珠生は健介の隣に立ち、「藤原さん、俺の父です」と紹介した。そして健介には、「こちらは藤原さん。俺の上司」と説明している。
「あ、ああ、そうでしたか! いつも珠生がお世話になっております」
「いえいえ、お世話になっているのはこちらの方で。いやあ、お父上にお会いできるとは思いませんでした」
互いに名刺を取り出して挨拶をし始めている。そんな二人を見て、珠生がふと舜平を見上げた。
その瞳の言わんとしていることに、舜平はすぐに気がついた。
+
そして、藤原を交えて、四人でのクリスマスディナーとなった。
レストランの中はほどよく混雑していて、楽しげに料理を囲む人々の笑顔が溢れていた。ニンニクやオリーブオイルの香りが漂う店内にいるだけで、食欲がそそられる。
店内にはクリスマスツリーが飾られ、BGMはアップテンポにアレンジされたクリスマスソング。四人はテーブルを囲んで、ワインで乾杯した。
「えっ、藤原さんも離婚してるんですか……?」
「そうなんですよ。家族にはすっかり愛想を尽かされて」
「お子さん、いらしたんです?」
「はい、息子がね。もう社会人なんですけど、もう何年会ってないかなぁ」
「寂しいですよねぇ……覚えがあるなぁ」
初めは仕事の話(霊的なものに関わっている部分は隠しつつ)をしながらわいわいと雑談していたのだが、ワインを二、三杯飲んだあたりから、藤原と健介は互いの離婚経験について語り出し始めた。
歳も近く、同じ離婚経験者。しかも、健介は藤原の母校・京都大学で教鞭を執る身だ。色々と話が合うようで、すっかり打ち解け始めている。
若者そっちのけでワインを酌み交わし始めた二人を前に、舜平は珠生と目を合わせて微笑みあった。
「めっちゃ話合(お)うてはる。仲良くなれるんちゃう?」
「うん、なんか微笑ましいなぁ」
そう言って感慨深げに頷く珠生も、ほんのりと酔いが回り始めているらしい。目元がうっすら赤く染まって、とろんとした表情が絶妙にエロい。だが、この店のパエリアがすっかり気に入ったようで、もぐもぐと口は忙しそうだ。くつろいだ様子の珠生に、舜平もまたほっこりしていた。だが。
「そうなんですよぉ……ぐっす……珠生がね、こっちに来るって言ってくれてぇ……ぐすっ」
「そうですか、そうですか……運命ですよね。そこから物語は動き出したんですから」
「そう、そうなんです……!! ずーっと止まっていた家族の時間をねぇ、珠生が取り戻してくれて……」
「うんうん、分かりますよ……私もね、珠生くんと再会したことで人生の歯車が……」
食事は穏やかに進んだが、ふと気づけば、空のワインボトルがゴロゴロと増えている。
しかも、年長者ふたりの呂律があやしい。藤原もいつになく酔いが回っているようで、聞いているこちらがヒヤヒヤするようなことを言っているではないか。
舜平はそろそろ藤原に釘を刺すべきかと考え始めていたが、すっかり泣きが入っている健介だ。細かいことに気付く様子はないのだが……。
「……なあ、大丈夫かな藤原さん。酔うて変なこと言い出しそうで怖いねんけど」
「だいじょうぶだいじょうぶ〜。だって藤原さんだよぉ? だいじょうぶだって」
「お前まで」
珠生は珠生で、すっかり気分が良くなっているようだ。デザートを追加で注文しつつ、グラスに残っていた赤ワインをクイと飲み干す。メインで出てきた肉料理と相性抜群の赤ワインは、藤原からのおごりだ。値段にふさわしい豊潤な香りとパンチの効いた飲み口は流石のように美味で、すっかり皆盛り上がってしまったのである。
ストレスと緊張感の多い職場にいるせいか、宮内庁特別警護担当官たちは皆揃って酒癖が最悪だ。酒に強いがゆえに、いつもその介抱役に回ることの多い舜平は、今日も今日とて頭の芯は醒めている。
例に漏れず、珠生はすっかり酔っ払っているようで、仲良くなった父親と藤原の姿を眺めながらうっとりしている。
「はぁ〜よかったぁ。父さんと藤原さん、仲良くなって。父さん友達いないしさ、藤原さんも若者の相手ばっかで、素では飲めないだろうしさ。いい飲み友達ができてよかったよ」
「うん、せやなぁ。けどお前は、そろそろ飲むのやめろ」
「なんで、いいじゃん別に! 舜平さんこそもっと飲んだらいいのに」
「酔っ払い見てると醒めてくる性分やねん、俺」
「つっまんな〜〜い」
「はぁ? 誰のせいやと思ってんねん」
珠生はてろてろ〜〜と可愛い笑顔を浮かべて、つんつんと舜平の太腿を指でつついてくる。舜平はため息をついた。
昨晩、いつになく熱心に舜平のモノを口で愛撫してくれた珠生の姿を思い出してしまい、変なところが熱くなる。
舌を伸ばして裏筋を舐め上げながら陰嚢をやわやわと揉みしだき、カリ首のくびれに舌を這わせては、挑発的に舜平を見上げていた。ねっとりと熱い唾液に濡れた珠生の口内はいかんともしがたいほどにいやらしく、舜平は射精を堪えるのに必死だった。
先っぽだけを咥えては竿をしごきながら、物欲しげに腰を揺らめかせる珠生の下半身はむき出しで、上は舜平のTシャツを着ているだけ。その気になれば、すぐにでも押し倒して強引にでも小さな窄まりを犯してやれるような無防備さだ。
だが、珠生の妖艶な姿を目でもじっくり楽しみたくて、舜平は息を弾ませながらぐっと我慢をしていたものだった。
そして結局、舜平の焦らしに耐えられなかった珠生が、自ら上に乗ってきたのだ。
シャツを脱がせて、全裸にした珠生のしなやかな体を抱きしめながら、対面座位と騎乗位を楽しんだ。そして最後は、喘ぎながら限界を訴える珠生をバックで——
と、昨晩の甘いクリスマスイブを思い出しそうになった舜平だが、どこからともなく聞こえてくる泣き声で我に返った。
「さらにほら、気づけば息子が増えて……ぐっす……彼は僕の一番弟子でねぇ……」
「そうでしたか。いやぁ、いいですねぇ、うらやましいなぁ……」
「でも、でもね……珠生を取られちゃったわけですから……ぐすん、それはね、やっぱ寂しいっていうか」
「ああ……なるほど」
「いいんです、いいんですけどね……ぐすん、寂しいじゃないですかぁずっと二人暮らしだったのに、家を出ていっちゃって……ぐっす」
「お察しします……まあまあ、飲みましょう」
舜平を目の前にして本音を語り出す健介だ。藤原には報告を済ませているものの、舜平はまた違う意味でヒヤヒヤしてきた。
「まあまあ、いいじゃないですか。彼らは仕事の上でもとてもいいパートナーだ。互いになくてはならない存在ですよ。付き合いも長いですしねぇ……なにせ前世から、」
「うおおおおお〜〜〜ストップ〜〜!! 藤原さん飲み過ぎですって! どないしはったんですかこんなに酔うて!」
ついに藤原まで危険域に到達し始めたことで、舜平の理性は完全に覚醒だ。藤原からグラスを取り上げ、「前世とかいうたらダメでしょ!」と耳元で忠告する。
「あははは〜。いやあ、何だろうなぁ、珠生くんのお父さん、話しやすくてついつい……あはは〜」
「もう……しっかりしてくださいよ」
「年の近い友達、こっちにいいひんからなぁ〜。久しぶりにいっぱい飲んじゃったなぁ」
「まあ、お気持ちは分かりますけど」
こんなにも気楽に、楽しげに笑う藤原の顔を見るのは初めてだ。
藤原は陰陽師衆の頂点に立つ存在だ。いつでも威厳に満ちた表情を保ち、きびきびと指示を下し、前世でも今世でも、陰陽師衆を率いてきた。
政治的な面を担うことも多いため、油断や隙を見せられない。重い宿命を背負い続けてきた藤原が心から寛げる場所など、これまでにあったのだろうかと考えさせられてしまう。
そういった藤原の過去を知らない健介と飲み交わす酒は、殊の外楽しかったのだろう。
「父さん、ちょっと飲み過ぎだからぁ」
「珠生こそ〜顔真っ赤じゃないか。かわいいなぁ〜このこのぉ」
「あははっ、もう、子ども扱いしないでよ〜」
ちょっと目を離すと、今度は珠生ら親子がキャッキャとはしゃぎ始めている。ダンディな雰囲気を辛うじて保ちつつ「デザートにパフェ食べたいな。苺パフェ、頼んでくれない?」と、やたら良い声で舜平に囁く藤原の相手を適当にこなしながら、舜平はやれやれとため息をついた。
「まぁ、たまにはこういうのもええか……」
平穏なクリスマスの夜は、賑やかに更けてゆく。
番外編『たとえばこんな、クリスマス』・ 終
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