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九、招待されて

   舜平の運転する車から降り、駐車場から見上げる五階建てのマンションは、とてもきれいだった。  淡いベージュ色の壁に、ベランダの手すりは木目の格子戸風。いかにも和モダンといった雰囲気が、とてもおしゃれだと薫は思った。 「ちゅうか、俺、なにげに初めて招待されんねんけど。手土産とかいらんかった?」  薫があちこち見回しながら歩いていると、前を歩く舜平と湊が、そんな会話を交わしている。舜平は気安い口調で「ああ、いいってそんなん。ま、またなんかおごってくれ」と言っている。  すると深春が、ついさっきスーパーで買い込んだ酒やつまみ類が入ったビニール袋を持ち直しつつ、若干すっきりしない調子でこんなことを口にした。 「俺も舜平んち、初めてだわ。……っていうかその……俺、ちゃんと聞いたことなかったんだけどさ。……そのー……珠生くんと舜平って」 「え? あ、せやな、お前にはちゃんと言うてへんかったっけ」 と、エレベーターの中で舜平が苦笑する。その隣で、湊がくいっとメガネを押し上げている。  三人の間で交わされる会話の意味もよく分からないまま、一行は最上階に到着し、一番壁際にあるドアの前に立つ。舜平はポケットから鍵を取り出してドアを開けながら、「ま、それも今日ゆっくりな」と言った。  玄関は、思いの外広い空間だった。  男の一人暮らしの部屋へ招待されたのだと思っていたものだから、その小綺麗さと広さに驚いてしまう。しかも、廊下の奥からは何やらいい香りが漂ってくるではないか。聞きそびれていたが、舜平はひょっとして既婚者だったのだろうか……と勘ぐりながら、薫は三人の後ろについて廊下を進んだ。  この、廊下とリビングを隔てるドアの向こうには、きっと舜平の妻がいるのだろうと想像し、どういう顔で挨拶をすればいいかまで考えたところで、ガチャリとドアが開く。 「あ、おかえり」  想像していたものよりも一段低い声がして、薫は目を瞬いた。  ドアのすぐ脇にあるキッチンには、パリッとした黒いエプロンを身につけた、美しい青年がいた。 「えっ?」  てっきり女性が出てくるものと思っていたから、薫はびっくりして硬直してしまった。  そして同時に気づく。その青年の瞳が明るい琥珀色であるということと、およそ人のそれとは思えないほどに、黒い瞳孔が鋭く縦に裂けていること。  それはつまり、この青年が誰かということを、如実に表しているということにも……。 「せ、千珠……さま、ですか」 「……君が薫くん、か」  ――この人が千珠様の生まれ変わり……。  美しい容姿もさることながら、その全身に秘められた凄まじいほどの気を感じ、あまりの存在感に思わず圧倒されてしまう。  珠生のことは楓からしばしば話に聞いていたし、あの一件に方がついたあと、ちらりと遠目に姿を見たことはあった。けれど、実際彼と口をきくのは初めてのことだ。  そして、この人物こそが、楓を打ち倒し、祓い人制圧のきっかけを作った人物なのかと思うと、恐ろしいやら緊張するやらで言葉も出ない。  ぱくぱくと口を動かすも、「初めまして」や「お邪魔します」などの台詞さえ出てこない。  そんな薫を見かねたのか、舜平がぽんと薫の肩を叩いた。 「ま、見ての通り、目の色が日本人とは思えへんことになってんねんけどな、基本おとなしいやつやから。大丈夫やで」 「え……あ、はい……」 「……猛獣じゃないんだ。他にもっと紹介の仕方があるだろ」  と、珠生が口を開いた。見た目以上に凄みのある声で、薫は思わずビクっと震え上がってしまった。が、珠生は我関せずといった表情でミトンを手に嵌め、オーブンから何やら美味そうなものを取り出した。 「君もとりあえず座って。床だけど」 「あっ……は、はい! おじゃまします……!!」 と、びしっと背筋を伸ばし、震え声でなんとかそう挨拶をすると、珠生はふいっと目をそらし、再び料理に取り掛かっている。 「すげー旨そ〜〜! 珠生くんすげー! 匂いがもう店の匂いなんだけど!」 「そうかな。ただ肉焼いただけ」 「うまそうまそ。ねぇ味見したい」 「ったく……しょうがないなぁ」 と、食いしん坊な深春が早速食いついている。キッチンのカウンター越しに身を乗り出し、あーんと口を開いて甘えている。 「ほう、ええレンジやな」 と、湊。 「うちの父さんが、引越し祝いにくれたんだ。戸部さんにもどう? 結構使いやすいし」 「いやいや、百合は普通のレンジでさえ使いこなせてへんから」 「……そうか……」  湊や深春を相手にしているときの珠生は、自分を相手にしている時よりも数段声も口調も優しい気がする。薫はビクビクしながらキッチンを離れた。背後で世間話が始まる中、薫は舜平とともにローテーブルに飲み物を並べていく。  ふと見上げてみると、頭上で白いシーリングファンが静かに回っている。マンションにしては天井が高く、真新しげな白い壁紙が清々しい。リビングは軽く二十畳はあるだろうか。壁掛けのテレビの前には淡い色のラグマットが敷かれ、丸い大きなローテーブルが置かれている。床もまた白っぽい木目のフローリングで、傷一つついていなかった。部屋の隅に置かれた背の高い観葉植物の緑が映える、きれいな部屋だ。 「す、すごくきれいにされてるんですね……。すごく広いし……」 「ああ、まぁな。そっちにソファとか置く予定やってんけど、なかなか時間がなくてな」 「そうなんですか。でも、これだけ広いと、掃除とか大変そうですね」 「せやんなぁ。けど珠生が綺麗好きやから、助かってんねん。俺は掃除苦手やし……」 「え?」  てっきり舜平の家だと思っていたが、ここは珠生の家なのだろうか。ふと湧き上がった疑問を、薫は舜平に問いかけてみた。 「……あの、ここ、相田さんのおたくじゃないんですか?」 「え? いや、俺んちやで」 「じゃ、じゃあ沖野さんは……」 「ああ、一緒に暮らしてんねん、俺ら」 「えっ? あ、そうなんですか。ルームシェアってやつですか?」 「んー、いや〜……そういうわけやないねんけど」  舜平が苦笑していると、深春と湊が料理の乗った皿を持ってやってきて、テーブルの周りに置かれたふかふかのクッションに腰を下ろし始めた。 「で、つまりそういうことなわけだろ? 前々からそうなんだろうなとは思ってたけど」 と、深春が舜平の脇腹をうりうりと突きながらそう言った。薫の頭上に『?』が浮かぶ。 「え……? ど、どういうこと?」 「どうって、付き合ってんだよこの二人。そんで、晴れて同居できるようになった、ってことだろ?」 「まぁ、そういうことやな」 「えええっ!?」  田舎から出てきたばかりの薫には、あまりに衝撃的な内容だった。  男性同士の恋愛がこの世に存在するということくらい知っているけれど、その世界がすぐ目の前で展開しているということに、驚きを隠せない。  薫が無言で舜平を見つめていると、舜平は困ったように頬を掻いている。 「ていうかいきなりその話題? 薫くんが引いてるじゃないか」 と、エプロンを外して私服姿になった珠生が、大皿料理を手にテーブルにやってきた。 「い、いいえ! 引いてないです!! ただ、ちょっとびっくりしちゃって……」 「まぁ、その話は置いといて。今日は薫くんの歓迎会だろ?」 「えっ、でも、僕もそのお話気になりますし……」 と、思わず素直にそんなことを言うと、斜め向かいに座る珠生の鋭い視線が、唐突に薫に向かった。思わず「ひぃっ」と身を竦めると、舜平がぽんぽんと珠生の背中を叩いている。 「お前なぁ、やめたれよ睨むのは」 「睨んでない、見ただけだろ。……引いてないのかなと思っただけだ」 「へっ……」  珠生は若干気まずそうに目を伏せて、かすかに眉間にしわを寄せた。その繊細な表情の変化に、薫は思わずハッとさせられる。

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