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八、気遣い
そしていつしか、ミーティングは終わっていた。
あのあとすっかり場の空気に飲まれてしまっていた薫は、ただただ、会議の中でぽんぽんと持ち上がる話題を耳で追うことに忙しく、内容まではしっかり把握できなかった。
かろうじて理解できたことは、正倉院から出た天之尾羽張という剣は、厳重な封印と二十四時間監視のもと、宮内庁京都事務所の地下に安置されているということ。奈良からここへ移送されてきて一週間、結界班の面々は総出でその対応にあたっており、人手不足に拍車がかかっているということも。
宮内庁特別警護担当官らは、関西圏内で起こる霊的な怪異に対応するという日常業務もあるらしく、そちらがうまく回っていない……ということも理解できた。
よって、その人手不足を埋めるために、深春と薫には、週末だけでもその仕事を手伝ってほしいというのである。
会議の後、藤原は「これを機に、少しずつ我々の仕事を知って欲しい。まぁ最初は気軽に、週末だけのアルバイトと思ってくれたらいいからね」と言って微笑んだ。そして、脳みそが飽和状態の薫の肩をぽんと叩き、そのまま会議室を出ていった。
藤原が退室したことで、急に緊張感がほどけた薫は、思わず「はぁ〜〜〜……」と重たいため息を吐いてしまった。そしてハッとする。そこにいる全員が、薫のことを見ているからだ。
「あっ…………す、すみません……」
「いやいや、なんで謝んねん。というか、大きくなったなぁ、君」
と、相田舜平が薫の方へ歩み寄ってきて、隣の椅子に腰を下ろした。ちなみに、反対隣に座っているのは深春である。
「大きく、なったでしょうか……?」
「だって五年前にあの山で会うたときなんて、まだこんなちっちゃかったで? えらい背ぇのびたんやなぁ。深春とそう変わらへんやん」
と、舜平は人懐っこい笑みを浮かべつつ、当時の薫の身長を手で示してみせている。確かに、あの時は舜平を見上げていたけれど、今はさほど目線の位置も変わらない。
すると、深春が聞き捨てならぬとばかりに身を乗り出し、「ギリ俺の方が高いっつーの!! ……え? 高い、よな?」と、横目で薫を見た。
「どうだろ……」
「深春は何センチなん?」
と、今度は黒縁眼鏡男・柏木湊が近づいてくる。深春はくるりと目線を上げ、「えーと、176とか7とか」と言った。
「ちょっと背ぇくらべしてみ?」
と、舜平が楽しげに笑いながらぽんと薫の肩を叩く。ガチガチの薫を和ませようとしてくれているのだろう、という気遣いを感じて、薫はガタガタと椅子を引いて素直に立ち上がった。
「はぁ? なんだよ、俺の方が高いに決まってんじゃん! ほら、後ろ向け後ろ。……ほら、どうだ!!」
ぶうぶう文句を言いながらも、深春は薫の背中に背中をつけて直立した。シャツ越しに感じる深春の体温と、淀みなく身に滾る霊力を感じて、薫はややどきりとした。
「ん〜〜微妙なとこやけど……薫のほうが高いんちゃう? なぁ舜平」
「うん、せやな。3センチくらいかな、薫の方が高いわ」
「はぁ!? んなわけねーだろ!! ちょ、靴脱げ靴! 薫お前、分厚い靴履いてんじゃねーの?!」
「え……いや、普通のスニーカーだけど……」
何度計測しても、やはり薫の方がわずかに背が高かったようで、深春が異様に悔しがっている。そして舜平と湊は、悔しがる深春をからかって笑っていた。
初対面なれど、薫のことを名前で呼び、この場になじませようとしてくれる彼らの優しさを感じ、薫はようやく表情を綻ばせた。そして、おずおずと、自分からも口を開いてみることにした。
「あ……相田さんも柏木さんも、背、高いですよね。何センチあるんですか?」
「俺? 俺は185センチやな。湊はどんくらいやっけ」
「俺は181.2や。薫とそう変わらへん」
「ちょい待て!! ってことは俺とも変わらねーってことじゃねーかよ! なんで俺だけ微妙にチビ扱いされてんだよ」
と、やたら細かいことを言う湊相手に、深春がむくれている。それを、舜平がどうどうと宥めた。
「せやな、変わらへん変わらへん。お前もおおきゅうなったなぁ〜」
「うっせ。舜平まじうっせ」
「やめとけって。身長ネタは珠生の地雷や。そういう会話はここまでにしとけよ」
と、舜平が苦笑しながらそう言っているのを聞き、薫はふと辺りを見回した。
「そういえば……千珠さまの転生者のかたは……?」
「ああ、あいつはな今日は休み……っていうか、自宅勤務というか」
「自宅勤務?」
薫が首をかしげると、舜平はふっと笑って、こう言った。
「あいつ、市中の妖と同様あの剣の影響受けまくりで、ちょっと社会には出られへん状態というか」
「そ、そうなんですか?」
「普通っちゃ普通やねんけど、目の色がな。せやし夜の妖退治とか、今は主にそっちの仕事を率先してやってはるわ」
「へ、へぇ……」
目の色が一体どうなっているのか……などなど気になることは山盛りだが、薫は曖昧に頷いてお茶を濁した。深春もそれについては初耳だったのか、「ふーん、大変じゃん」と頷いている。
「まぁ、そのうち元に戻るやろ。それより、今夜薫、うち来ーへん?」
「えっ……!? な、なぜですか……?」
舜平に爽やかに誘われて、薫は思わず挙動不審になってしまった。
何のために自宅に招こうとしているのかも不明だし、こういうとき一体どういう風に振る舞えばいいのか分からず、妙な汗が手のひらに滲む。
「珠生と話しててんけど、薫の歓迎会しなな〜って。どうや?」
「かっ、かかっ、かんげいかい、ですか……!?」
「え? うん、そやで」
「ふぁ……」
一瞬、舜平が何を言っているのか分かりかねるほど、薫はその言葉が嬉しかった。宮内庁に制圧されているとはいえ、祓い人である自分を歓迎してもらえるなど、思ってもみなかったことだからだ。
「い……いきたいです。行きます……!」
「ははっ、よかった。まだ酒は飲ませられへんけど、まぁゆっくりしてってくれ」
「はいっ……!!」
すっかり舞い上がりながら頷く薫のことを、深春がちょっと安堵したような眼差しで見つめている。湊と深春は顔を見合わせ、同じタイミングで笑みを浮かべた。
「ま、その前にや。薫と深春は、このあと道場で訓練やで」
と、湊が冷静な口調でそう言った。二人は顔を見合わせた。
「訓練?」
「深春も、実践なんて当分こなしてへんやろ。薫も、そういうの禁止されとったわけやし、霊力の使い方なんて忘れてんちゃう?」
と、舜平も立ち上がり、湊のとなりで腕組みをした。
「そりゃまぁ。普段はショップ店員だもん」
と、深春。
「僕も……この五年、まるきり霊力なんて……」
と、薫も戸惑い顔だ。
「そういうわけやし、このあと指導班のおっさんたちがお前らに修行つけてくれはるから。歓迎会はそのあとやな」
「修行、ですか……? 僕にも?」
「そらそうやで。藤原さんも間に合えば参加するて言うてはったし、気ぃ抜けへんで。俺も出るしな」
舜平はきりりとした唇に笑みを乗せて、薫と深春の背中を力強く叩く。
すると深春はにぃ、と挑戦的な表情になり、拳を手のひらに打ち付けた。
「へぇ〜、久々に暴れていいってことか。最高じゃん」
「えっでも、暴れるなんて……深春……」
「それでいいねん。薫も、遠慮せんでいいで。一から教わることも多いやろうけど、お前の術の使い方も見てみたいし、いっちょ全力でやったってこい」
と、湊がうんうんと頷きながら薫に発破をかけてくる。
薫はおずおずと湊を見つめたあと、意を決したように息を飲む。
「分かりました。よろしくお願いします……!」
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