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二十七、能登の様相
「術式は決行、ですか」
高遠の決断に、その場が俄かにざわめいた。
だが、高遠は揺らぐ様子もなく、いつもの調子でおっとりと頷いている。
「能登の様子は気がかりだが、こちらはこちらでやることがある。天之尾羽張の破壊は、放っておけない急務だからね」
「能登へ助太刀に行く前に、とっとと刀を破壊しておけばいいってことですね?」
と、珠生がそんなことを言うと、高遠は苦笑した。
「まぁ、そういうこと。なので予定通り、今夜午前零時に天之尾羽張破壊の術式を執り行う。あと一時間だ。皆、しっかり準備をしておいてくれ」
「はい」
各々が張りのある返事をするのを聞き、高遠も表情を引き締めて頷いた。
それぞれ持ち場に戻ってゆき、社務所の会議室には転生者のみが残っている。高遠は腕組みをしたまま、長机に置いたタブレットを見下ろしている。
「妖の数は増えてはいないが、減ってもいない。……地方とはいえ、街の中心地でこの数はやばいな。特別警戒態勢壱式の要請をしておかないと」
「藤原さんがもう動いてはるちゃいます?」
と、湊が冷静な声でそう言った。すると高遠は曖昧に頷きつつ、自らの顎を撫でた。
「だと思うんだけど、そこまで手が回らない状況かもしれない。富山県警には北陸支部時代に培った人脈があるからね、ちょっと連絡してくるよ」
そう言って、高遠は席を立つ。珠生・舜平・湊の三人は顔を見合わせた。
「だいぶ緊張したはるな、高遠さん」
と、湊。
「会議の前に『はぁ、藤原さんがいてくれたらなぁ……』ってブツブツ言ってたの聞いちゃった」
と、珠生。
「実力はあらはるのにメンタル弱いからなぁ、あの人」
と、舜平が言いにくいことをさらりと言うものだから、湊がゲシッと舜平の向こう脛を蹴飛ばした。
「いっってぇ!! 何すんねん!!」
「でかい声でそういうこと言うなや。ったく、デリカシーのない」
「だからって脛蹴ることないやろ! 人体急所を何やと思ってんねんくっそ……!」
「二人とも、緊張感なさすぎ。……それより、富山の妖は、本当に駒形がやってることなのかな」
タブレットを動かしながら、珠生はぐっと眉間にしわを寄せる。
「そらそうなんちゃうん。駒形の狙いは祓い人や。薫がいてるから向こうが荒れてるんやろ?」
と、舜平が脛を摩りながらそう言った。
「それを見越して藤原さんも向こうに行かはったんやと思うけど……」
と、湊は眼鏡を押し上げながらそう言った。
「そう、か……。何となく胸騒ぎがするんだ。行けるものなら早く向こうに合流したいけど……」
と、珠生が苛立ちの混じったため息を吐くのを見て、舜平と湊が目を見合わせる。
「まぁ、あと一時間で術式が始まる。もうそろそろ、天之尾羽張を表に出す時間や。お前はお前で、きっちりやることやらなあかんで」
と、舜平が念を押す。珠生が顔を上げると、舜平はやや神妙な眼差しで、じっと珠生を見つめていた。
「ああ、分かってる」
「妖刀の声に耳を貸すなよ、珠生。ええな」
「了解」
――よそ事を考えるな。俺にはやることがある。集中しよう……。
珠生はそう自分に言い聞かせつつ、胸に手を当てて己の気の流れを確かめる。
調子はいい。
妖気に澱みはなく、霊気の流れも安定している。
+
同日、能登。
薫が異変に気付いたのは、一時間ほど前のことだった。
深春に対する向けどころのない感情に悶々しながらシャワーを浴びている時、唐突に湧き上がる高濃度の妖気を感じた。
背筋が痺れる。熱い湯を止め気配を窺うと、それが何かの勘違いではないということを確信した。
信じられない。ぞわ、ぞわと、確固たる気配を持って近づいてくる妖の数は、偶然出現する数とは思えないほどの多さだった。
「深春!!」
濡れた髪や身体を拭うこともそこそこに、バスルームから飛び出す。すると、すでに深春は窓から外の様子を観察しているところだった。隙のない目つきでのっぺりとした闇を見据える深春の目つきには、普段のそれとはまるで異なる鋭さがある。
「これは……何だろう」
「次々に湧いてきやがる。この近辺だけで……おおよそ、二十体」
「この大きさで、二十体も? どうして……」
「俺たちがいるからかもな。祓い人のお前狙って、駒形ってやつがこっちに攻めてきたとか、そういうんじゃね?」
「なっ……」
薫にとってみれば、それはかなりの一大事のように感じるのだが、深春はこともなげにそう言うと、薫を振り返って唇を吊り上げた。それは、これまでに見たことがないほどに好戦的な表情である。
高揚感の滲む勝気な笑みに、薫は思わずぞくりとした。深春の放つ危うい魅力に、抗い難く心を掴まれる。
「と、とにかく、能登支部の人たちに連絡……」
「そんなことしなくても、もうとっくに気付いてんだろ。……行くぞ、薫」
「え?」
大急ぎで服を着る薫の前で、深春は羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てる。ジーパンにTシャツという肌寒そうな格好になったにも関わらず、深春の全身からは目に見えるほどの熱気が燃え上がっているようだった。
「俺たちで、こいつら全部ぶっ倒せばいいだけの話だろーが」
「そ……そんな簡単にいくかなぁ……」
「弱気なこと言ってんじゃねーよ。お前も、実戦に慣れるいい機会だ。俺にとってもな」
そう言うや否や、深春はホテルの部屋を飛び出して行った。慌てて薫もそのあとを追う。
廊下に立ち込めるのは、予想通りの濃密な瘴気。
夜も更けているため、廊下を行き交う只人はいないものの、恐らくは部屋の中で失神している者がほとんどだろう。
非常階段を使ってロビーまで駆け下りると、案の定、フロントにいるスタッフや宿泊客は皆その場に倒れ伏していた。ただでさえひんやりとしていた空気がさらに冷え、まるで真冬のように寒々しい。吐く息が白く煙る。
介抱までしている暇はない。二人はロビーから道路に飛び出すと、街灯に照らされた夜の街を見回した。
分かる。
数多の気配が、じっと物陰から二人の動きを窺っている。無差別に人間を襲う低級な妖ではないようだ。誰かに操られているだけか、はたまた自分たちで連携を取っているのか……。
「来るぞ!!」
「っ……!!」
のんびり分析している暇はなかった。突然、二人の立っていた場所のアスファルトが深く抉れる。反射的に攻撃を交わしたものの、飛び散るアスファルトの欠片が、薫の頬を鋭くかすめてゆく。
ギシャァァァァアアア…………!!!
耳をつんざくような咆哮。空気を震わせながら闇から現れた妖は、巨大な黒い蛇の形をしていた。しかも、一度に五体。ゆうに三メートルはあろうかという巨大な異形が、しゅる、しゅると赤い舌をちらつかせ、二人を見据えている。
「蛇……!」
「薫、もしこいつらに触れたら、操ってるやつのこととか色々分かるんだよな?」
「う、うん……分かると思う。でも、こんなに数が多いと……」
「一匹くらい、すぐぶっ倒してやるよ」
深春はこともなげにそう言い放つと、勝気な笑みを唇に浮かべ、素早く陰陽術の印を結んだ。
「縛道雷牢 !! 急急如律令!!」
「えっ……!?」
夜の闇しかない空に、ぼうっ……と青黒い炎が燃え上がる。それは見る間に、強固な格子の形を成した。そして深春の目の前にいる二体の蛇の上に勢いよく落下し、あっという間に妖を捕らえたのだ。
――深春は、陰陽術を使えるの……!?
薫が驚きに目を瞠っている隙を突くように、残り三体の蛇が一斉に飛びかかってきた。薫がとっさにその場から飛びすさって攻撃を避ける間も、深春は余裕のある動きで蛇の動きをかわしながら、食いつこうと牙を剝く一体の蛇に向かって拳を突き出す。
「っらぁああ!!!」
鋭い喝と同時に、捥がれた蛇の頭が空を舞う。深春の全身、そして拳にも、燃え上がる黒炎がはっきりと見て取れた。深春は接近戦に強いと聞いていたが、それはこういうことなのだ。
「俺が引きつける!! お前は牢の中の蛇を読め!!」
「は、はい!!」
力量の差に圧倒され、思わず敬語になってしまう。薫は身を翻して囚われた蛇のほうへと駆け寄りながら、自らの指先に歯を立てて血を滴らせる。そして、牢を破壊せんともがき暴れている蛇の眉間に素早く触れた。
「縛!!」
ビシッ……と硬直し、蛇の全身を支配するように赤い光が迸る。
以前と同じく、膨大量の混沌としたイメージが流れ込んでくるのではと覚悟していたが、彼らの意識はごくごくシンプルなものだった。
そこにあるのは、ただ『霊力を持つ人間を食え』という、プログラムされた命令のようなものだけ。
自然の中で長い年月を生き、妖と化した個体であるならば、もっと複雑なイメージを感じ取れそうなものなのに、彼らはまるで、人為的に作り上げられた操り人形のような――
「……はっ……」
これは傀儡だ。術者を叩かなければキリがない。その証拠のように、深春が次々と妖を薙ぎ払うも、その数はまるで減らない。むしろ、次から次へと湧いてくる。
だが、術者の気配はこの近くにはない。薫は怪訝に思いつつ焦りも感じていた。深春ばかりが身体を張っているのだ、せめて、もっと情報が欲しい。
「……誰が、お前たちを操ってる。お前たちの力の源は、どこに……!」
悔し紛れにそう呟くと、触れていたままの蛇の巨体が、びくんと震えた。
その瞬間、薫の脳裏にとあるイメージが流れ込んでくる。
「深春!!」
内容を伝えるべく深春を振り返ると、今まさに深春が蛇の頭部を破壊したところだった。鮮血のような色をした体液を全身に浴び、こっちを振り返った深春の瞳は嬉々として、ギラギラと光っているように見える。それに一瞬ひるみはしたが、薫は大声でこう叫ぶ。
「ホテルの屋上に焼き付けられた呪印がある!! それが蛇を召喚する術式だ! 破らないと!!」
「屋上だぁ!? 今、んなとこ行ってるヒマは……!」
深春は一体の蛇を足蹴にし、飛びかかってくるもう一体の蛇に拳を叩き込んでいるところだ。戦闘力自体はさほど高くはないが、いかんせん数が多く、流石に苦戦している。
それを見た薫は即座に立ち上がると、ホテルの方へと走り出した。
「僕が行く!」
「おう、頼んだぞ! 気をつけろよ!!」
薫は走りながら深春を横顔で振り返り、力強く頷いた。
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