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三十、断ち切る刃

 比叡山の樹々が、連続する攻撃の余波を受けて揺れている。  普段であれば、自然界に揺蕩う非力な妖たちを守るため、もしくは、力を持った妖を騒がせぬよう、防御結界を張るものだ。だが今は、誰にもその余裕がない。  駒形は殺人を繰り返している上に、富山では無差別に妖を発生させ、無関係な民間人までをも巻き込んだ。いの一番に捕縛せねばならない危険人物なのだ。  珠生に突き飛ばされた高遠がよろりと立ち上がった。その手には、抜き身の太刀を握りしめたままである。  多少強くやり過ぎてしまったらしく、高遠は苦しげにみぞおちを押さえながら珠生の方へと駆け寄ってくると、「今のうちに、剣を砕く。珠生くん、奴を天之尾羽張に近づけないでくれ」と耳打ちをした。 「了解」  若干の申し訳なさを感じつつも、今はそんなことを気にしている余裕もない。背後で儀式の続きが行われる気配を感じながら、珠生はぐっと宝刀の柄を握り直した。  だが突然、女の悲鳴がこだました。びゅう、と風を切る音がかすかに耳をかすめたかと思うと、総攻撃を受けているはずの駒形がいるあたりから、鋭い擦過音が響き渡った。  ギギギギギィィィィイ――!!  脳みそを直接掻き毟られているのではないかと錯覚するほどの不快音。  眼窩を抉るような鋭い頭痛が、平衡感覚を奪う。神経細胞に無数の蟲が侵入するかのようなおぞましいイメージが沸き起こり、珠生は思わず耳を塞ぎかけた。  だが、ここで宝刀を手放すわけにはいかない。自分の身を庇っている場合ではないのだ。珠生はぐっと奥歯を噛み膝に力を込め、総攻撃が中断している陣の中心へと駆け出した。  だがその時、ふらふらと珠生の前を横切る者がある。  宝刀を握り直し、低く身を構えて攻撃態勢を取った珠生の目の前に、墨田敦がぬうっと現れた。 「!? 墨田さん……」 「ここにおったんか駒形ァ!!」  敦は珠生を見た途端目をギラつかせ、素早く印を結んだ。 「土爆天閃(どばくてんせん)! 急急如律令!!」 「っ……何を!!」  至近距離で攻撃を受け、咄嗟に地面を蹴ってそれを避ける。珠生は舌打ちをした。  ――俺が駒形に見えるのか……!? 幻術……?  土煙の向こうから肉弾戦を仕掛けてくる敦の横っ面を蹴り飛ばしてあっさり()してしまうと、珠生はすぐさま駒形の姿を探した。だが気づけば、あたりは深い靄に包まれている。どういうわけか、ついさっきまでは手に取るように分かった仲間たちの気の動きさえ、鈍く分かりにくくなっていた。  敦の様子から推測するに、陰陽師衆は、『相手が駒形に見える』という(しゅ)に陥っているらしい。駒形は一人しかいないのに、どうしてかあちこちで、陰陽術が発動される音がする。くぐもって聞こえてくる怒号や悲鳴に戸惑いつつ、珠生は辺りを見回した。  ――舜平さんは? 佐久間さんは? 結界班の面々はどうなっている。天之尾羽張を砕くはずの高遠さんは無事なのか……!?  舜平をはじめ、仲間のことが心配だが、ここで迂闊に声をあげ、駒形に居場所を教えるわけにもいかない。器用な舜平のことだ、きっと無事に違いない……だが、この視界の悪さでは身動きの取りようもない。  ――こうなったら……。 「右水!! 左炎!!」  珠生の呼び声に、涼やかな風が巻き起こる。瞬きをしたその次の瞬間には、珠生のすぐそばに青白い炎が生まれ、そこから二頭の虎が出現した。  ぐるる……と低い唸り声とともに、右水と左炎は青い瞳を光らせた。あたりの状況を把握しようとしているようだ。 『……これは、煙幕型の結界か。ツカサの臭いがする』 『ああ、する。我らに、ツカサを捕らえてほしいのだな、珠生』 「いや、駒形は俺がやる。二人は、陰陽師衆を止めてほしい。幻術にかかって、互いを攻撃し合ってるみたいなんだ」 『それはいかんな』 『承知した』  その声とともに、すっと二頭が離れていく。だが、すぐさま混乱が収まるわけではないだろう。   「ぁああ……ッ!!」  その時、背後から高遠の悲鳴が鋭く響いた。  声のした方へ駆け出した珠生の目の前で、もつれ合う二つのシルエットが見て取れる。疾走りながら宝刀を横薙ぎにすると、剣尖から生み出された風圧で靄が動き、僅かながら視界が開けた。  同時に、雲が切れて月明かりが辺りを照らす。  珠生の視線の先で、駒形司が高遠の首を絞め上げていた。 「高遠さん!!」 「っ……ぐっ……!」  駒形は直接高遠に手を触れてはいない。白い腕から、幾重にもあの禍々しい蔓草が生え出して、それが高遠の首に巻きついているのだ。  肉体が浮き上がるほどの力で締め上げられているが、高遠は天之尾羽張を打ち砕くための太刀を手放してはいない。しかし、品のいい高遠の顔は、苦悶のあまり赤黒く染まっている。 「その人を離せ!!」  絡みつく蔓草目掛けて、袈裟斬りに刃を振り下ろす。ザン……!! という確かな手応えはあるものの、高遠を解放するには至らなかった。  しかも、食い込んだ刃にしゅるしゅると細かな蔓草が絡みつき、刀身ごと飲み込もうとさえしてくるのだ。くくく……と駒形の笑い声が聞こえてくる。 「天之尾羽張もいいが、白珞鬼の宝刀、というのもいいですね」 「っ……!! クソっ……」 「あはははっ……! そんなものですか? 君、本当に最強の鬼なの?」  駒形は小馬鹿にしたようにそう言うと、色のない唇をニィ……と歪めた。そして素早くもう片方の手を振り上げると、珠生の首筋に向かって手刀を切った。その指先には、鉤爪のように尖った刃を隠し持っている。  だが珠生は表情を動かさず、(すんで)のところで駒形の手首を掴んだ。  ぎりぎりとか細い手首を締めつけると、表情こそ変わらないものの、ぴく、ぴくと駒形の頬が不愉快そうに震えた。 「こんな小さな刃で、俺を殺そうとでも? 舐められたものだな」 「ふっ……まさか。こんなものであなたを()れるとは思っていませんよ」  駒形の顔から、すう……と笑みが消える。ぐぐ……と高遠を締め上げている蔓草の数が増え、「あ、がはっ……!!」と高遠が血を吐いた。 「この青年の命が惜しくば、天之尾羽張を僕に渡してください。もう少しで、頚椎が砕けますよ」 「……今度は人質か」 「ええ、そうですよ。この青年は転生者ですね? 君たちにとって重要な人物であることには間違いな……」  おっとりとした口調を貫いていた駒形の語りを遮って、珠生は握りしめていた駒形の手首を捻じ上げた。  その手にはもう、容赦の欠片さえ存在しない。みしみしと骨が悲鳴を上げ、腱が断裂する音が筋肉を通して聞こえてくる。ありえない方向に曲がった肘、引きちぎれそうな腕、それらを見遣る駒形の表情には、じわじわと驚愕の色が浮かび始めている。  そして珠生は、その隙を見逃さない。蔓草に飲み込まれかけていた宝刀を握る拳に力を込め、高遠を捉えていたそれを捩じ斬った。 「っ……ごほっ、はぁっ……ハァっ……!!」  どさ、とその場に崩れ落ちた高遠が、喉を押さえて咳き込んでいる。高遠の無事を確認するや、骨とや神経との接続を失って、力なく萎えてしまった駒形の腕を掴んだまま、そのみぞおちの深くに膝をめり込ませた。 「ぐぅっ……ふっ……!!」  あまりに薄い、軽い肉体だった。手応えなどあったものではない。  ――こんな非力な人間が、どうして……。  そう思わずにはいられなかった。 「痛覚はなくとも、衝撃は肉体に堪えるようだな。腕を引きちぎられたくなければ、大人しくていろ」 「ハァッ……はぁっ……っ、ふっ、ふふ……生意気なことを言うじゃありませんか」 「お前には、聞かせてもらわなきゃいけないことが山のようにあるんだ。これ以上……」  その時、珠生が掴んでいた腕がグンと伸びた。いや、伸びたように見えたのだ。  駒形の指先からにゅるりと伸びた白い刃が鎌首をもたげて牙を剥き、珠生の首筋めがけて飛びかかってきた。素早い動きだ。細かな針のような牙を生やした不気味な妖が、涎を滴らせている―― 「……なっ……!!」  ――クソっ……!! 噛まれる……!!  目を見開く珠生の視界に、鈍色に光る太刀が突如として割り込んできた。ついさっきまで、高遠が握りしめていたあの太刀である。  舜平だった。平安装束に身を包んだ舜平が、珠生と駒形の間に割って入ったのだ。  勢いよく振り下ろされた刃は、駒形の腕もろとも妖を一刀両断し、どしゃりと湿った音がその場に響く。ふらついた駒形は顔を歪め、身を翻して距離を取った。  温厚な舜平が見せた荒々しい一太刀に、珠生はしばし呆然としてしまう。だがそれ以上に、目の前に立つ黒装束の背中はひどく懐かしく、とても心強かった。 「珠生、大丈夫か!?」 「あ……ああ、大丈夫」  ちら、と横顔だけでこちらを振り返った舜平の瞳は、いつにも増して攻撃的な色を湛えている。

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