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四、相田舜平
舜平はキャンパス内を歩きながら、自分の唇に触れた。
――何やったんやろ、あれ。見たこともないガキにあんなことしてもて……。それに、桜の下にいた白い子ども……あれも、一体何なんやろう。いつも見えるような霊魂 とは、まるで違う感じがしたな……。
舜平は生まれつき、普通の人間には見えないものが見えた。
それは人型の霊魂――すなわち一般的に幽霊と呼ばれるもの――であったり、ふわふわと空気中を漂う鬼火のようなものであったり、または影があるべきところではないところに歪な影を見る、そういう体質なのだ。
実家が寺という環境も手伝って、その特異な力のことを周りが騒ぎ立てることも否定することもないまま成長したためか、舜平は未だにはっきりとそういうものが見えてしまう。しかし舜平にとって、幽霊などは恐怖の対象ではない。当たり前のように、そこにある空気のような存在なのだ。
かといって、それが普通では無いことくらい、小学校に上がる頃には気づいていた。だから舜平の霊視能力については、家族以外誰も知らない。
今日見た白い姿。
あれは人間の霊魂ではなく、どちらかというと妖 のようなものに近い気配がした。強い残留思念が形を成した人間の魂ではなく、なにかもっと深くこの地に根付いている記憶のような……それが何かしらのきっかけを得て、はっきりとした形を成したようなもののように感じた。
そして、愛らしい顔立ちをしたあの少年との出会い。
どこか似ている。白い妖とあの少年の気配……。
そして、突き動かされるような感情の高ぶり。あれは……何だというのか。
男になんか興味はないが、唇が触れ合った時に感じた、むせ返るような愛おしさ……そして泣きたくなるような懐かしさ。ずっとずっと探し求めていたものを、ようやくこの手に出来たというような安堵感。それらがない混ぜになって、言葉よりも何よりも、まず身体が動いていた。
……しかし、キスしてまうなんて……。あの子にも、悪い事したやんな……。
周りに誰もいなくてよかったと、今更ながら安堵する。
「完全に変質者やもんな、はたから見たら……」
「誰が? お前か?」
更衣室のロッカーから白衣を取り出して、その扉を閉めると、扉の裏に一人の青年が立っていた。舜平は仰天して、狭いロッカールームの中で後ずさって背中をぶつけた。同期の屋代拓 が、白衣のポケットに手を突っ込んで立っていたのだ。
「お前かい! びっくりするやん!」
「ぼーっとしてたんはお前やろ。どうしたん」
「……いや、何でもない」
「えらい薄着やな。遅かったやん」
拓はTシャツ一枚の上に白衣を羽織った舜平の出で立ちを物珍しげな眼で見ている。
「ああ……。さっき河原で病人を介抱しててん」
「はぁ? どういうボケや」
「ボケちゃうわ。しんどそうにしてるガキがおって、そのガキ引き起こした時にシャツが汚れてな。洗って返してくれるって言い張るから渡してきた」
「へぇ、ドラマみたいな出会いやな。可愛い子やった?」
拓はにやりとしながら、舜平の脇腹を肘でつつく。舜平は煩そうにそれを避けると、
「可愛かったけど……女じゃないねん。男や」と言いながらロッカールームを出る。
「なんや、つまらん。男か」
拓は急に興味を亡くしたようにそう言いい、二人は並んですたすたと実験室へと向かって歩いた。
「各務先生んとこ、息子が越してきて一緒に暮らし始めたらしいで。さっき嬉しそうにそう言ってはった」
「へぇ、先生子どもおったんや。離婚したとは聞いてたけど」
二人は実験室の外で手を念入りに洗い、消毒しながらそんな話を続けた。
ガラス越しに見える実験室の中には、顕微鏡を熱心に覗きこむ各務健介教授の姿が見えた。心なしか、いつもよりも雰囲気に張りがあるような気がするのはそのせいか。
「そら嬉しいやろうな」
と、舜平は笑みを浮かべながらそう言った。
「きっと変わった子なんちゃうか。あの人の息子やし」
と、拓はにやりと笑いながら薄手のゴム手袋をはめる。
「そうやろうな、多分」
舜平も笑みを返しながらそう言い、マスクをして実験室に入った。
各務教授は二人が入ってきたことにも気づかず、一身に顕微鏡を覗いている。二人は顔を見合わせて、各々の実験の続きに取り掛かった。
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