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桜の時期の番外編『桜に喚ばわれ』〈舜平視点〉
こんばんは、そろそろ桜の時期ですね。
関西はいつもより少し遅めな気がします。
そんなわけで、久しぶりに番外編を書きました。
時期としては、珠生が高校三年生のあたりです。
本編が進まずで申し訳ないのですが、SSで少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
よろしければ……!
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「……ったく彰のやつ、どんだけ人使い荒いねん」
京都でもようやく桜が咲き始めたある日のこと。
舜平はレジャーシートを小脇に抱え、賀茂川のほとりをため息混じりに歩いていた。
唐突な連絡だった。
明桜大学への進学をやめて京都大学の医学部に進学したばかりの彰から、『そろそろ花見の時期だねぇ』とメッセージが届いたのだ。
ただ世間話がしたいだけだろうと思い『そうやな』とだけ返信すると、すぐさまポコポコと通知が鳴った。
『珍しく土日空いてるから花見をしよう』『舜平は空いてる?』『夜でも昼でも僕は構わないよ』という彰らしい一方的な連絡が続き、気づけば舜平が場所取りをしてやらねばならないことになっていた。
面倒なのでどう断ってやろうかと様子を見ていたが、とどめのように『珠生には僕から声をかけてあるからね〜』と勝手にやりとりを切り上げられてしまい、断るタイミングを失ってしまったのだった。
——ったく……珠生をダシに使いよって。
前世からそうだった。
彰は珠生のことが好きすぎるあまり距離感がいつもおかしい。
恋愛感情を抜きにした好意であるから仕方がないか……と思ってはいるものの、恋人である自分を差し置いて珠生を花見に誘うとはなにごとか。
そういうわけで、ずっと続けているバイク便のアルバイトを終えたあと、一旦研究室に寄ってレジャーシートを借り、こうして河原へとやってきた舜平である。
心底面倒だったけれど、珠生から『花見弁当は俺が作ってくね』と短いメッセージが届いていることに気づくや、急に「たまには花見もええもんやな」と思えてしまう自分のチョロさに内心呆れた。
花見といっても、北区の桜はまだ二分から三分咲きといったところだ。
たまたま日当たりのいい場所に植えられた桜はようやく五分咲きといったところだろう。
しかも時刻は十八時前で、水面を吹き抜ける風はけっこう冷たい。
厚手のアウターを羽織っていたため寒さは感じないけれど、服装を間違えればすぐに風邪をひいてしまいそうな気候である。
——ま、彰と湊はそのへんは抜かりないし大丈夫やろけど。
心配なのは珠生だ。
舜平はさっとスマホを取り出し、珠生に厚着をしてこいという旨のメッセージを送っておく。
「おっ。ええとこ空いてるやん」
そうこうしているうち、見事な枝ぶりの桜が目に入った。
今後もっと華やかに桜が咲き誇り始めれば、きっとこのあたりは花見客でいっぱいになるだろう。
だが今はまだ、本格的に花見をしてやろうといった類の人々は見当たらない。
ジョギングをしたり、散歩をしたり、自転車を走らせたり——と、普段通りの風景が広がっている。
脇に抱えていた荷物を置き、舜平は桜を見上げて目を細めた。
ちら、ほらとこちらを向いて咲いている薄桃色の花弁の愛らしさに、思わず口元が綻ぶ。
——ん? そういえばここ……珠生と最初に再会したときの……
あの日よりはまだ花が少ないせいか、ぱっと見違う木に見えた。
だが、この枝ぶり。この場所。
間違えるわけがない。
「……どうやっても、ここに引き寄せられるってことか」
何気なく、垂 れている枝の先に咲いた小さな桜に手を伸ばす。
するとそのとき、指で触れられる距離で風に揺れる薄桃色の花弁が大きく揺れ、ぶわりと強い風が舜平を包み込むように吹き乱れた。
舜平が思わず目を閉じると、風に煽られた花びらが頬を撫でる感触がある。
風が収まるのを感じ、舜平が薄く目を開くと——……どういうわけか、辺りが暗い。
ついさっきまで、舜平は夕暮れ間近の河川敷にいたはずだ。
一瞬にして夜になるわけがない。
「……え? なんや、これ……」
戸惑い、舜平は慎重に辺りを見回した。
ついさっきまでそこにいた街の人々の姿はなく、空には大きな月が白く輝いている。
さらさらと流れる川の流れの音はそのままだが、電灯の光や車の音といった人工物の気配がまるでなく、しんと静かな夜である。
ただ、そこにはやはり桜の木があった。
ついさっき見上げた五分咲きの桜ではなく、たわわに咲いた満開の桜が。
冴えた月光を吸って薄桃色に妖しく光を湛えた見事な桜が、舜平の頭上で咲き誇っていた。
「……は、はは……桜に攫われるってこういうことか? しかも俺みたいなんが?」
笑うに笑えない状況だが、あえて言葉に出しつつ腕組みをする。
桜に攫われる……というのは、儚げな容姿をした美少年に対して使う形容詞のようなものだ。
珠生ならともかく、舜平は自らの容姿を儚げとは程遠いと自覚しているが……。
「ま、まあ。もうすぐあそこには彰も来るし……なんや異変あるならなんとかしてくれるやろ」
舜平はそう言って自らを落ち着けると、煌々と夜空を照らす月を仰ぎ見た。
冴えざえとした見事な月である。
「満月か……。千珠が人の姿になってまうな……」
ふとなにげなく口にしたとき——……背後から不意に、懐かしい声が舜海の耳をくすぐった。
「舜海?」
「……えっ……」
弾かれたように後ろを振り返る。
舜平は目を見張った。
月光を受けて仄淡く光を湛えた見事な桜の下に、千珠が佇んでいる。
長い銀色の髪を夜風になびかせ、懐かしげな表情で舜平を見上げる琥珀色の瞳が、そこにあった。
「せ、千珠……?」
「ふ……。なつかしい間抜けづらだな」
「んなっ」
あまりに驚きすぎてリアクションさえ取れない舜平とは打って変わって、千珠は普段どおりの生意気な口調だった。
確かに千珠がそこにいる。
片方だけになった紅い耳飾りが小さく揺れ、艶やかな表情で舜平を見つめていた。
一歩、一歩とゆっくり舜平に近づいてくる千珠の姿から目が離せない。
千珠の揺れる銀髪を彩るように、淡く発光する桜の花弁がひとつ、ふたつと舞っている。
それはあまりに、美しい眺めだった。
「……千珠、どうして」
「俺にもわからない。ここがどこかも、どうして俺がこの姿で、お前が来世の姿なのかも」
「そうか……」
「ただ、桜を見上げるたび、俺はお前を懐かしく想っていたよ。……お前を見送ったあともずっと、ずっとだ」
「……っ」
考えないようにしていたことだった。
半妖である千珠と人間であった自分の寿命は、やはり大きく異なった。
千珠とて老いないわけではない。
ただ、その速度はゆるやかだった。
この手はみるみる萎れていくというのに、千珠の美しさはいつまでも変わらない。
あの日を境に触れることはなかった愛おしい存在を置いて、先に逝く——……それを耐えがたいと想っていた頃もあった。
だが、老いとともにその感情は薄れ、受け入れることができるようになっていった。
いつかまた、再び出会えると信じていたから。
自分であれば必ず、千珠を見つけることができると——……
どっと押し寄せる前世の記憶だ。
めまいを感じて額を押さえていると、ふわ……と甘い香りが舜平の鼻腔をくすぐった。
すぐ間近で、千珠が舜平を見上げている。
手を伸ばすまでもなく触れられるほどの距離に、千珠がいる。
「……千珠」
そっと持ち上げた手が微かに震える。
白い頬に触れてもいいのだろうか。その頬に、触れることができるのだろうか。
逡巡し、触れるか触れないかの距離で動きを止めた舜平の手に——そっと、あたたかな白い指が重なった。
「っ……」
息を呑む舜平の手のひらに、そっと千珠が頬擦りをした。
銀色のまつ毛を伏せ、愛おしげな微笑みを紅い唇に浮かべながら、噛み締めるように。
胸を突く切なさに身じろぎさえ忘れ、舜平はただひたすらに千珠を見つめた。
すると琥珀色の瞳がそっと開かれ、間近でゆっくりと瞬きをする。
言葉はなくとも伝わってくる想い。
ただ見つめ合うだけで、互いの感情が通じている感覚が舜平の心を切なく満たす。
やがて千珠は唇に微笑みを乗せ、こう言った。
「見つけてくれたんだな、来世の俺を」
「……ああ、見つけた。ちゃんとな」
「ふふ……さすがだ。まぁ、きっとそうなると思っていたよ」
「へえ、意外と信頼されてたんや、俺」
照れ隠しに軽口を返すと千珠が目を瞬き、ふっと小さく噴き出した。
「ははっ、調子にのりやがって」
「だってそういうことやろ」
「ふん。……まあ、来世の俺もさぞかし美しいだろうから、助平なお前がふらふら引き寄せられたのだと思えば納得はいく」
「……そこは……うん、否定はできひんな」
「あははっ」
珠生が可愛いことは抗いようのない事実なので素直に頷くと、千珠は艶やかな花が咲くような笑顔になった。
しばらく笑い合ったあと、千珠は頬に触れさせたままの舜平の手のひらにそっと唇を寄せた。
柔らかな弾力が、確かにそこにある。
薄く涙に覆われた琥珀色の瞳が、月の光を吸って妖しく輝く。
半妖の千珠が、月の光の下で妖の姿でいられるはずがない。
だからこそ、ここが異界だということがよくわかる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
ただ、そこに千珠がいる。言葉を交わすことができる。
こんなにも幸せな神隠しがあるとは思わなかった。
ざあ……っと、涼やかな風が吹き抜ける。
千珠の笑顔が、無数の花びらの向こうに霞みはじめた。
「っ……これは? 千珠……!」
「……俺を見つけてくれて、ありがとう」
「えっ……!?」
ざあっ……とまた強い風が吹く。
触れていたはずの千珠のぬくもりが遠ざかる。
直感でわかった。
ああ、この時間はもう終わる。
この世界はもうわずかな時間で閉じてゆくと……。
舜平は思わず叫んでいた。
「来世では、今度こそお前を離さへん! 生涯お前を愛し抜くからな!!」
——わかってる。もちろん俺もそのつもりだ。
「千珠……!」
——来世でお前と共に在れることを、楽しみにしているよ……
ざあっ…………舜平の黒髪をめちゃくちゃに乱し、儚い花弁を頬に打ち付けるほどの風が不意におさまった。
閉じていた目を薄く開くと——珠生の顔がすぐそこにある。
しかも泣きそうな顔だ。
珠生が舜平の胸にすがって不安げに瞳を揺らしている。
「た……珠生?」
「ああ、よかった……!! 心配したんだぞ……!」
むくりと起き上がってみると、そこは見慣れた河川敷だった。
「あ……いや、どうしたんやろ俺」
「揺さぶっても動かないから、救急車呼ぼうかと思ってたとこだよ! ああ……よかった、舜平さん……!」
「わっ、珠生……」
ぎゅう、と珠生に抱きしめられてドキドキしていると、遠巻きにふたりを見守る京都市民の視線に気づく。
舜平は慌てて「ね、寝不足やったからな〜〜〜ちょっと気ぃ遠なってしもたんかもな〜〜〜」と無事をアピールしておいた。
「寝不足? ほんとにそれだけ?」
「そ、それだけやって。ちょっとくらっときてしもて」
「そんなの花見なんてしてる場合じゃないじゃん! 先輩も先輩だな、舜平さんが疲れてるのに無理やり駆り出すなんて……!」
「いや、そんな怒るほどのことちゃうから。ほら、俺元気やし」
「でも……」
こんなにも珠生が心配してくれるとは思わず、顔がゆるゆるゆるゆる緩んでしまう。
珠生の後頭部をそっと撫でると、くるみ色の柔らかな色をした大きな目がうるりと揺れた。
「ほんまほんま、ちょっと寝落ちしてただけやねん。それに……ええ夢も見れたし」
「本当に? 無理してない?」
「してへんよ、大丈夫」
そう言って微笑むと、珠生の眉間からようやく力が抜けてゆく。
ホッとしたように胸を撫で下ろす珠生が、愛らしくて愛らしくて仕方がなかった。
——『来世の俺もさぞかし美しいだろうから』って……どんだけ自分の美貌に自信あんねん、あいつ。
自信に満ち溢れた千珠の言葉を思い出し、ふと笑う。
前世の頃よりもずいぶん可愛らしい恋人の頬を撫で、舜平は目を細めた。
「……ほんまに可愛いな、お前」
「え? ……え? なんだよ急に」
「愛してるぞ、珠生」
「……えぇ? 舜平さん、やっぱりどっか悪いんじゃないの? 頭でも打った?」
「打ってへんて。ほんまに好き。大好きやで」
「え、こわ……」
さっきとは打って変わって塩対応な珠生もまた可愛らしく、舜平の顔は緩みっぱなしだ。
するとそこへ、彰と湊が連れ立ってやってきた。
「ん? どうしたの、ふたりして。レジャーシートも敷かないで」
「あー……いや、別に」
彰が首を傾げている横で、湊は腕組みをしつつ顎を撫でている。
「なんやイチャついとるように見えたけど、気のせいやんな。こんな公衆の面前ではさすがにありえへんよな」
「そんなわけないだろ! 舜平さんが立ちくらみしちゃったみたいでさ」
「立ちくらみぃ? 風邪ひとつひかへん舜平がかぁ?」
湊の生ぬるい顔に、舜平はちょっとムッとした。まるでバカは風邪をひかないだろとでも言いたげではないか。
「あのな。いっとくけど俺、現世じゃかなり偏差値高いほうやねんで」
「わかってるて。せやけど、偏差値の高さと性格のあれは違うわけやし」
「はぁ?」
大人げなく文句を言い返そうとしたそのとき、怪訝な顔をした彰が舜平の目の前にかがみ込み、すんすんと鼻をひくつかせた。
思わずちょっと身を引くと、彰は閉じていた目を開き、じっと舜平を見つめてくる。
「……なんだろう、千珠のにおいがするな」
「えっ?」
「気のせいかな……なんだか変な感じ。においというか、気配というか……うーん」
「へ、へえ……。まあ、気のせいちゃう? そ、それより急に花見したいて、どうしたんやお前。大学でなんかあったんか? 友達できひんのか?」
「違うよ。失敬な」
なんとなく幻の中で千珠と顔を合わせたことを言い出しにくく、舜平は慌てて彰にそう尋ねた。
すると彰は、怪訝な表情から鎮痛な面持ちへと豹変し、ため息をつく。
「実は葉山さんと喧嘩しちゃって、どう対応すべきだったか皆の意見を聞きたくてね」
いつになく重苦しい空気を醸し出しながらゆるゆると首を振る彰が珍しく、三人は顔を見合わせた。
「葉山さんと喧嘩ですか……そら大変そうですね。とりあえず、レジャーシート敷こか。キャンプ用のランタンも持ってきたで」
「わ、さすが湊。……あ、お弁当作ってきたから、よかったら先輩もつまんでよ。熱いお茶とコーヒーもあるから」
「酒があった方がよさそうな雰囲気やな……て、彰もお前らもまだ未成年か」
「みんな……優しいな。ありがとう……」
珍しく彰がしみじみしている。
いそいそと場を整えつつ、舜平はちらりと珠生の横顔を盗み見た。
——ほんまになんやったんやろ、さっきのあれは……。
桜が、この土地が、ふたりの魂を引き合わせてくれたのだろうか。
それとも、ただの幻か——……
彰の相手もそこそこに、気づけば舜平はじっと珠生の顔を見つめていた。
すると珠生はすぐに舜平の視線に気がついて、小首を傾げる。
「どうしたの?」
「……あ、いや。なんでもないで」
「そう? なんか変だなあ、今日の舜平さん」
「うん……また今度、ふたりきりのときにゆっくり話すわ」
そう言って微笑むと、珠生の頬がぽっと薔薇色に染まる。
そして小さく頷きながら「……ん。わかった」といって、珠生も笑みを返してくれた。
すると、どこからともなく彰の恨めしげな声が聞こえてくる。
「……いいよね君たちはいつもいつも仲良しで。人目も憚らずいつでもどこでもイチャイチャイチャイチャしちゃってさぁ」
「べ、べつにイチャイチャなんてしてへんやん」
「いーや、してるね! だいたい舜平は珠生のこと独り占めしすぎ! 僕だってたまには珠生とふたりきりでのんびり過ごしたいのに」
「俺らのことはもうええて。お前は葉山さんのことで悩んでんねやろ?」
「ああ……うん、そうだった」
そうしてまた鎮痛な面持ちになる彰も、前世から比べるとかなり人間らしくなったものだ——と、つくづく思う。
こうして前世からの絆が続いている今を当たり前のように感じていたけれど、これは奇跡にほかならない。
過去の別れを経て、数百年の時を超えて珠生と共に過ごすことのできる日常は奇跡なのだ。
ひらり、と桜の花びらがひとひら宙を舞う。
それは風に舞い上げられ、夜空へ吸い込まれるように消えてゆく。
珠生を今すぐ抱きしめたい衝動をなんとかやりすごしながら、舜平は彰の悩みに耳を傾けるのだった。
『桜に喚ばわれ』 おわり
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