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十七、恐怖

 その日の晩、珠生は一人で食事を取った後、普段あまり見ないテレビを点けてぼんやりと眺めていた。  今日は金曜日。健介は大学の学生達との飲み会に出かけていて不在である。  ふとテレビのニュース画面に、昼間の学校の映像が映った。  近くにある銀行の定点カメラに、たまたま明桜高校の体育館の様子が写り込んでいたというのだ。 『御覧ください、名門、明桜学園高等部の体育館に、竜巻のようなものが襲いかかっているように見えます! 今日は終日穏やかな気候でしたが、一体何故こんな現象が起こってしまったのか!? 気象の専門家によると……』  その後に続けられたアナウンサーの言葉など、耳に入ってはこなかった。珠生は食い入るように、その映像を見詰めた。 ――竜巻なんかじゃない、これ……これは……。  濃い紫色の煙のようなものが、轟轟と激しく渦を巻きながら体育館全体をすっぽりと覆っている。思わずテレビに近寄って紫色の靄を凝視してみると、そこには無数の人の顔が見えた。それはどれもこれも、虚ろな目から滝のような涙を流し、重々しいうめき声を漏らしながら悶え苦しむ人間たちの顔に見えた。 「うわぁぁぁ!!!」  そのあまりに現実離れした光景に恐怖した珠生は、その場にへたり込んで尻もちをついた。 「そんな……こんなことって……」  頭の中に、これは自分を狙ったのだという考えが閃く。何故だか分からないが、それは確信に近い閃きであった。ふと、副会長・斎木彰の笑みが頭に浮かび上がる。あいつが……なにか関わりを持っているのだろうか……。 ――怖い。怖い。怖い……!!  手が震えるのを何とか堪えながら、珠生は慌ててチャンネルを変えた。やたらやかましいだけのバラエティ番組を流しながら、珠生はテレビの前に置いてあるソファに背を寄せて、身体を抱きしめるように縮こまった。昨日見た夢といい、入学式のことといい、自分の周りに異変が起きているのは確かだ。認めたくはないが、その異変は確かに珠生の直ぐ側まで迫ってきている。 ――どうしよう……どうしよう……。父さん、早く帰ってこないかな……。  時刻は二十二時。そろそろ帰ってきてもおかしくはない時刻ではあるが、普段あまり酒を飲まない父親が羽目を外して楽しい時間を過ごしているとしたら、帰宅時間はもっと遅くなるかもしれない。  もう寝てしまおうか。でも……眠ればあの夢を見てしまう。 ――どうしよう。どうしたらいいんだろう……。  珠生が途方に暮れていると、突然ガチャガチャと玄関のノブが乱暴に回る音がした。珠生は仰天して飛び上がった。 「父さん?」  父親なら鍵を持っているはずだ。あんなに必死になってドアを開けようとしなくてもいいのに……。  そう思いながら玄関に近寄って、ふと足を止めた。  ――本当に、父さんなの? また何か、不気味なものが、俺に襲いかかってくるんじゃ……?  珠生はぞっとした。そしてその場に立ち尽くす。  尚もガチャガチャと回されるノブ。ドアが開いて、外から何か恐ろしいものが飛び込んできて、自分を攻撃をしてくるのではないかという想像をしてしまう。  しかし突然、ぴたりとその音が止む。    バクバクと暴れまわる心臓が、今度は恐怖のあまり止まりそうだ。足の裏に根が生えたように、珠生はそこから動けなかった。

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