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十六、舜平の煩悶
舜平はその日、ぼんやりしながら講義を受けていた。
夢を見たのだ。
あの二人の怪しい男が言うように、今までに見たこともないほど、リアルな夢を。
ひたすらに黒板に向かって喋っているような健介の背中を窓際の席から見守りつつも、思い出すのはその夢のことばかりだった。
舜平の目線は、まるで夢の中で進行する物語の登場人物そのものだった。
戦国時代なのか、鎧に身を包んだ男たちが闊歩する城の中を、彼はどかどかと歩いていた。その国の長である男――名を大江光政 というらしい――に呼び出された夢の中の舜平は、奥まった座敷へとやって来た。そこで目の当たりにしたのは、長い銀髪を垂らした細い背中……。
それは紛れもなく、あの桜の木の下で見た白い着物の少年だった。
夢のなかの自分は、その少年の美しさに、すぐさま心を惹かれていた。光政から、その少年は千珠 という名であること、この国のために鬼の力を振るうため、光政と盟約を結ぶのだということ、その二つを告げられた。
そして自分は、その盟約の儀の証人として、千珠の生き血を飲み干す光政の姿を見守ったのだった。
夢のなかで舜海 、と呼ばれていた自分。
昨日寺で、自分をそう呼んだあの二人組。
訳が分からない。
二人の口ぶりからすると、あの千珠という少年は珠生であるということになるが……。
輪廻転生……それはただの仏教思想だ。現実に起こりうるわけもなく、しかも前世の記憶を持っているなんてことはあり得ない……。
頭ではそう理解しようとしていたが、その記憶はあまりにもリアルで生々しい。その城で嗅いだ埃っぽい風の匂いまで思い出せてしまう程だった。
昨日別れ話になった梨香子のことなど、すっかり忘れてしまっていた。が、教室移動の時にちらりとその後ろ姿を見かけ、ようやく昨晩の修羅場のことを思い出す。そして、梨香子を抱きながら、思い描いた珠生の姿。艶めかしく悶える、珠生の乱れた表情……。
――あかんあかん! 何考えてんねん俺は! あの子は先生の息子さんや! それに、男や!男!!
舜平はぎゅっと目を閉じて、頭を抱える。しかし、考えないようにすればするほど、珠生の顔が浮かんできてしまうのだ。
――おいおい、ホンマにどうしたんや、俺は……!
屋代拓は、隣で悶えている舜平を薄気味悪そうに見つめると、ため息をつきながら囁いた。
「おい、どうしたんや。」
拓の声を耳にして、舜平ははっと顔を上げた。軽く咳払いをすると、何ごともなかった風を装って、真面目に前を向く。
――珠生くんも夢、見たんやろうか……。
すぐに気がそれてしまう。
今度はコツコツとシャープペンシルでノートを叩きはじめた舜平を、拓はげしっと足で蹴った。
「おい、ええ加減静かにせぇよ。後で話し聞いたるから」
「……すまん」
⌘
「お前、ここんとこ変やで。気色悪いねん」
授業が終わるやいなや、拓は舜平にそんなことを言った。優しく話を聞いてもらえると思っていた舜平は、その冷ややかな台詞にむっとして拓を睨む。
「気持ち悪いはないやろ。ひどいなぁ」
「何があったんや? 四月に入ってから、何か変やで」
「……うーん」
拓の真面目な顔に、舜平は何をどう言っていいのか分からず、腕を組んで首をひねった。
拓が心配してくれているというのは、伝わってくる。しかし、今回の騒動について話したところで、まともに信じてもらえる自信もなかったため、取り敢えず、まず解決しなければいけない梨香子の件について、舜平は話すことにした。
講義室を出て中庭へと歩きながら、舜平は昨日の出来事をかいつまんで拓に聞かせた。もちろん、珠生のことは伏せている。
「ふうん、お前もそんなことするんやな」
「……昨日は、いらいらしてしもうて。たしかに最低やと思う」
「まぁ、梨香子も梨香子やしな。あんだけ我儘言うてて、捨てられへんほうがおかしかったんちゃう?」
「そうかな」
「ああ、お前はよう頑張ったって」
「拓……!」
ばしばしと舜平の背中を痛いほどに叩く拓。舜平は涙目になりながら、そんな彼の言葉に友情を感じた。
中庭に並んだベンチに座ると、舜平はそこにだらりと脚を投げ出して空を仰いだ。
天気の良い午後、真っ青な空。彼方に見える飛行機雲。
つい一週間前の舜平ならば、そんな風景をしみじみと鑑賞することなどなかっただろうが、色々なことが起こって少しナーバスになっている舜平には、その風景は心にしみるほど美しく見えた。
「あーあ」
「何や」
上を向いたまま気の抜けた声を出す舜平に、拓は紙パックのジュースを吸いながら応じる。
「空が綺麗やなぁ」
「はぁ? お前、やっぱ頭ちょっとやられてんちゃうか」
「せやなぁ〜」
長い足を投げ出して、ぐったりと上を向いている舜平を見ながら、拓は尋ねる。
「今夜の基礎ゼミの飲み会、行くやろ?」
「え? ああ……車やし飲まへんけど、行く」
「何や、飲まへんのか? 今日くらい、がっつり飲んだらええやん。ほんで気、紛らわしたらええのに」
「せやなぁ……」
「一回生に可愛い子、おるかもしれへんで。俺はそれが楽しみや」
「可愛い子、ねぇ」
「失恋を癒すには新しい恋って、言うやん」
「……うーん」
舜平はぼんやりと空を見上げたまま、気のない返事を続けていた。
「ま、飲むか飲まんかはその場の雰囲気で決めたらええけど。飲むんやったら俺んち泊めたるで」
「そうかぁ? まぁ、そこまで言ってくれるんやったら、そうしよかな」
拓は北大路堀川で実家暮らしだ。大学のそばの居酒屋からでも歩けなくはない距離である。
「よし、今日は飲みまくんぞ」
「いいねぇ」
舜平の決意に、拓は面白そうに口笛を吹いた。
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