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十五、波乱の入学式

 こういう式典というのは、形式が大事なのであって、内容としてはお決まりのものが多い。珠生は、ただ流れるように過ぎていく入学式の中に身体を置いているだけで、耳では何も聞いていなかった。  各学年の教員の紹介がゆるゆると続く中、右隣に座る大北正也が大あくびをしている。しかし左隣に座っている背の高い眼鏡の少年は、じっと身じろぎ一つせずに壇上を見上げていた。  次に、生徒会の生徒が壇上に登って自己紹介を始めた。  この学校は大学受験が免除されているためか、生徒会長は三年生の男子生徒が卒業まで務めるらしい。さっぱりとした黒髪と涼し気な目元で、いかにも優等生、いかにも生徒会長、という大人の望む理想を絵に描いたような男子生徒が、壇上で新入生を熱烈に歓迎しているのだが、珠生は正也につられてついついあくびをしてしまった。  しかし次に一歩前に出た男子生徒を見て、珠生は目を見開いた。顔から、血の気が引いていく。  そこには、昨日、舜平の実家の寺で出会った、狐目の少年が立っていたのだ。 「副会長の斎木(さいき)(しょう)です。会長を支えながら、みなさんの学生生活を有意義なものにしていきたいと思います。よろしく」  マイクを握り、当たり前のような顔でそこにいるその少年は、そつのない笑顔を浮かべて淀みなく手短に喋った。  昨日見た制服……見覚えがあると思ったら、自分が今着ているものと同じではないか。何で気付かなかったんだろう。  明日が楽しみ……そう言えば、あいつはそんなことを言っていた。  珠生は斎木彰と名乗ったその男を見上げながら、微かに震える拳を握りしめた。彰はすぐに、前から二列目に座っていた珠生を見つけてにやりと笑う。珠生は弾かれたように、パッと目を逸らした。残り二人の役員の自己紹介など、耳に入ってこなかった。 「気分悪いん?」  左隣に座っていた眼鏡の少年が、小さな声で珠生にそう尋ねてきた。珠生ははっと我に返ると、太いフレームの黒縁眼鏡を掛けた少年をそっと見上げる。 「いや……大丈夫だよ」 「ふうん、ならええねんけど」  その少年はすぐにまた壇上に目を戻した。珠生は軽く息をついて、再び目線を前に戻そうとした。  その時、屋外でずずず……と低く重い音が聞こえてきた。  どぉん、どぉん、と雷のような音が響いて、地震のように体育館の壁が激しく揺さぶられる。体育館の窓には全て暗幕が引かれているため外の様子は分からないが、それが異常事態であるということは火を見るより明らかだ。体育館の中は俄にざわついて、皆が天井や壁を見上げていた。 「何だ何だ?」  右隣の正也が、目を覚ましてあたりを見回す。珠生も、天井でぶらんぶらんと派手に揺れる大きなライトを見上げた。  刹那、鋭く破裂するような音が響き渡り、体育館の窓という窓のガラスが次々に砕け散る音が響く。バシッバシッと、耳をつんざくような鋭い音であった。  その直後、体育館がフッと真っ暗になった。女子生徒の悲鳴が響き、皆が立ち上がったり椅子を蹴倒したり動く音が暗闇に響き渡る。 「なんだよこれ、事件かぁ?」  正也はむしろそんな状況を楽しんでいるかのように、明るい声を出していた。左隣の少年は、あまり動かずあたりを見回している。 「皆さん! 落ち着いてください! 大丈夫です、ただの突風です!」  男性教諭の声が、マイクで拡声されて響いた。あまりに大きな声でそう言ったたため、わんわんと体育館に声がこだまする。 「その場に座って、動かないでください。暗幕があるので割れたガラスは飛び散りません。大丈夫です!」  徐々に静けさを取り戻す中、教職員がわらわらと外の様子を確認しに走る気配が伺われた。 「……春一番にしては、強烈やな」 と、左隣の少年が呟く。珠生は、こんな状況だというのに、えらく落ち着き払った少年の様子に興味を惹かれ、その横顔を見上げた。 「そうだね」  彼は独り言のつもりでそう言ったのだろうが、珠生は自然とその声に言葉を返していた。眼鏡の少年はそんな珠生を見ると、ちょっと驚いたような顔をして、目を瞬く。 「……俺、柏木湊いいます。よろしゅう」  すると、こんな混乱の最中(さなか)だというのに、眼鏡少年は淡々と自己紹介してきた。面食らったものの、関西屈指の進学校、さすがに変わった者もいるようだ……と思い直して、珠生は軽く会釈した。 「あ、どうも。沖野珠生です……」 「おいおい、こんな状況でよく自己紹介なんかできるな、お前ら」 と、正也がまた面白そうに二人に割って入る。正也は珠生の隣にいる湊にも興味を持ったのか、ぐいと手を伸ばして握手を求める。 「俺、大北正也。よろしく」 「……どうも」  湊は暗がりで正也の手が見えなかったのか、無視をしたのか分からないが、ぼそりとそう言った。正也は唇をとがらせると、その手をそのまま珠生に向ける。 「よろしく、って二回目だけど」 「ああ。うん」  珠生がぎゅっとその手を握り返すと、正也は嬉しそうに笑った。その純朴な笑顔に、珠生も自然と顔を綻ばせる。  その時、ぱっと電気が復旧し、皆がまたざわついた。  ばたばたと何ごとかを連絡し合う教師陣を眺めていると、教頭がマイクを取ってスイッチを入れた。きーん、と不愉快な音が響く。 「はい、ええ……季節はずれの突風が吹いたようですな。ええ、本日の入学式は予定通り終了いたします。この後は各教室で……」  連絡事項を言い始めた教頭の声は、ざわついた生徒の声の声に負けている。  そんな落ち着かない雰囲気の中、珠生の入学式は終った。

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