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十九、身に刻まれた慕情

 舜平は早足で夜の道を歩きながら、ついさっきしでかしてしまった道外れた行為を思い出していた。珠生の身体に触れ、崩れてはいけない何かが、瓦解して消え失せてしまったような気がするのだ。 「……何なんや。この気持は……」 ――珠生が欲しい、抱きたい。もっと、あの声が聞きたい……。  おそらく、崩れたのは理性という名の壁だろう。その向こうにあった舜平の真意が顕になったのだ。舜平はその考えを打ち消すように、首を降って荒々しくため息をついた。 「くそ……! 訳わからへん!」  思わずそう呟くと、ひゅうっと冷たい風が舜平の頬を撫でた。妙な感じがして顔を上げると、ぽつんと立った街灯の下に、あのキツネ目の少年……斎木彰が立っていた。  舜平は仰天して目を見開いた。会わねばと思っていた相手だったが、暗闇に突如現れられるのはいくらなんでも心臓に悪い。しかし彰は相変わらず口元に笑みを浮かべたまま、余裕たっぷりの表情で舜平を見つめている。今日は制服ではなく、ジーンズに淡いベージュのカーディガンを羽織り、中には黒いTシャツを着ているだけ。そんな砕けた姿をしていると、どことなく昨日の不気味さは薄まるように感じられる。それでも、舜平は身構えた。 「何でここにいんねん」 「そう警戒しないでよ。かつての仲間だろ、寂しいなぁ」 「お前なんか知らんって、言ってるやろ」 「またそんなこと言って。舜海……あ、今は舜平くんだっけ。随分イライラしているみたいだけど、どうしたの? 何かあった?」 「別に、なんもないわ」  舜平はぷいとそっぽを向き、一度瞬きをした。すると、二メートルほど離れていた彰の姿が、すぐ目の前にあるではないか。 「!」  舜平は動くこともできず、目の前にある切れ長の瞳を呆然と見返すことしかできなかった。舜平の仰天などお構いなしに、彰はくんくんと舜平のパーカーの匂いを嗅いでいる。 「離れろ……!」 舜平は彰を突き飛ばそうとしたが、彰はひょいとその手をかわして、また一メートルほど離れた。 「珠生の匂いがするね。そろそろ彼を抱きたくなったんじゃないの?」 「……な!?」 「そうなんだろ?」 彰は反応できない舜平を、楽しげに眺めている。舜平は何も言えず、拳を握りしめて俯いた。 「……教えてくれ」 「ん? 何をだい」 「俺のこの気持は、何や。俺は男にもガキなんかにも興味ない。なのに……何でこんな気持ちになるんや」 「まぁ、誰かを好きになってしまうことに理由なんか必要ないんじゃない? それがたとえ同性で、歳の差があったとしても」  彰は舜平に諭すようにそう言いながら、数歩、近寄ってきた。 「そんなこと聞いてんのとちゃう!! 前世となんか関係あんのかって、聞いてるんや!」  舜平はきっと彰を睨みつけると、声を荒げてそう言った。 「やれやれ、君はそんなことも覚えてないのか」  彰は呆れたようにそう言うと、腕を組んだ。 「君は昔から、千珠のことを何よりも大事にしていた」  と、彰は昔を懐かしむような顔で、そう言った。舜平はごくりと唾を飲み込む。 「君たちの繋がりは、自分たちが思っている以上に深いものだった。千珠も舜海のことを強く強く求めていたしね」 「……それって」 「ん? 分かりにくい? 二人は心も身体も深く結びついていた。特に君は、誰よりも千珠のことを深く深く愛していたろう? それこそ、共に暮らした女よりもずっとだ」 「……!」 「そんな話を、君たちにゆっくり聞かせてあげようと思ってたところだ。千珠……いや、珠生が僕の後輩になったんだ。いつまでもあんなふうに怯えてもらってちゃ困るんだ。学校でやりづらいからね」  そう言って、彰はにっこり笑う。 「そんな怖い顔しないでよ。昨日はふっ飛ばして悪かったって。明日、時間ある?」 「……ああ、ある」 「じゃあ、午後八時、珠生を連れてここへ来てくれる?」  彰はポケットから紙片を取り出すと、舜平に渡した。開いてみると、そこには住所が書かれている。 「そこはね、今風に言うならアジトって感じかな。ちょっと遠いけど、あまり人に聞かれたくない話だから」 「……分かった」 「じゃあね、楽しみにしてるよ」  彰は微笑み、すっと手を上げて背中を向けた。そして、夜闇に溶けこむように姿を消す。  舜平は紙片に目を落とすと、それをじっと見つめた。 ――君は、千珠のことを何よりも大事にしていた……。  彰の言葉が、耳に残る。この気持ちは、前世からもたらされたものだとでもいうのだろうか。  そして珠生の中にも、自分を慕うような感情が残っているとでも……?

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