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二十二、日本政府の男
午後七時過ぎに、舜平は珠生を迎えに来た。そして、斎木彰に指定された場所へと向かう。
「……あのな、俺は何もせぇへんから。そう警戒せんといてくれへんかな」
珠生はちらちらと舜平を横目で窺い、明らかに距離をとっていた。昨日しでかしてしまったことを思えば、珠生の反応は当然のものなのだが、ここまで露骨な反応をされると、さすがの舜平も多少は傷つくのだ。
「はぁ……。あのう、舜平さんって彼女さんいましたよね。週末に俺と、こんなとこいていいんですか?」
「え? ああ……彼女。実はこないだ別れたんやけど……向こうは納得してないみたいで」
「それって、別れたってことにならないんじゃないですか?」
「うー。そうやんな……」
珠生の言葉は正論だ。ぐうの音も出ない。やはり一度、きちんと話をしなければならないかなと、舜平は思った。
昨日の飲み会の席では、友人たちが散々適当な意見をふざけ半分に投げ寄越してきたものだが、珠生の意見はその中でも唯一まっとうだった。
「俺……あれからまた夢を見たんです」
珠生は、フロントガラスから見える景色を見つめながら、夢の内容を舜平に話して伝えた。舜平は黙ってその話を聞いていたが、信号で停まる度に珠生の横顔を見つめて様子を窺う。
その夢は、ちょうど舜平が昨晩見た夢の内容と合致しているようだった。ただ、見ている視点が違うだけで、二人は同じ場所に居合わせたということになる。
舜平はそれを珠生に話して聞かせると、珠生はため息をついてシートに深く寄りかかった。
「もう、決定的ですね。俺たち、完全に何かに巻き込まれてる」
「せやな……。まったく、オカルト映画みたいやな。こんな体験」
「そうですね」
珠生はちょっと笑った。
景色はどんどん人里を離れ、車は暗い山道を進んでいく。ベッドライトが道を照らしているものの、まるでこのまま異世界へと迷いこんでしまうような深い闇だ。舜平は運転に集中し、ナビの音声に従ってハンドルを切った。
すると車は突然開けた場所に出た。そこにはすでに、一台の車が停まっていて、その奥に明かりのついた建物が黒く佇んでいる。
「ここですか」
「ああ、そうみたいやな。行こう」
二人は車を降りると、少し湿った地面を歩いた。すると建物のドアがさっと開き、建物の内側から漏れた光が地面に帯を作って二人を照らした。開かれたドアの前には、あの斎木彰が制服姿で立っている。
「よく来たね、早かったじゃないか」
「遅刻するよりマシやろ」
「はは、それもそうだな。どうぞ」
彰は身体を引いて、二人を中へと促した。建物の中は少し古びたログハウスという雰囲気だ。木の匂いが満ちていて、柔らかい照明と静かな音楽が流れている。部屋の中央には薪ストーブが据えてあり、ぐっと冷え込む山中の夜をじんわりと温めている。その手前には一対のソファセットと長方形の大きな木のテーブルがでんと腰を据えていて、そこだけ見るとまるで小さな喫茶店のようだ。
もっと殺伐とした空間を想像していた珠生は、きょろきょろと左右を見回しながら中に進む。
「ここは……?」
「十年くらい前まで、ここいら一帯は別荘地としてそこそこ流行っていたんだけど、景気が悪くなって安く売りに出されていたもんで、業平さまが買ってくださったんだ。こういう時に使えるようにね」
「業平さま?」
「私のことを、まだ夢には見ませんか。千珠さま」
部屋の奥にある二階へと続く階段の上から、例のスーツ男が降りてきた。今日はジャケットもネクタイも身に付けてはおらず、ワイシャツ姿の寛いだ格好である。口元に穏やかな笑みを湛えている四十路がらみのその男は、よく見ると往年の日活映画のスターを彷彿とさせるような整った容姿をしている。
「……あの白い鬼のことですか」
「そう。ようやく、ご理解いただけたのかな」
業平と呼ばれた男は、二人を広いリビングのソファに座るように促し、自分もその向かいに座ってゆったりと脚を組んだ。健介と同じ程の年齢に見えるが、身を包むオーラはまるで父のそれとは違っている。どっしりとした威厳と余裕を漂わせた、魅惑的な大人の男だ。さっと軽く流してある艶やかな黒髪、緩やかな上がり眉と穏やかな目元……面と向かっていると、その男の瞳の深さに、珠生は微かな既視感を覚えた。
「君は今、沖野珠生くんといったね。そして君は、相田舜平くん」
男はスラックスのポケットから名刺入れを出すと、二人に一枚ずつ名刺を手渡した。
「私は今、こういう名前で生活をしているんだ」
二人は揃って、手元にある名刺を見おろした。そこには『日本政府 宮内庁付特別警護担当官 藤原修一』と書かれている。
「日本政府……?」
舜平は目を丸くして、目の前で微笑む男を見た。修一は微笑むと、「ただの国家公務員さ」と言った。
「何でそんな人が……」
と、舜平は藤原修一をしげしげと観察しながらそう呟く。
「ま、とりあえずお茶でも」
皆に紅茶を振る舞い終えた彰は、向かい合わせに置かれた応接セットの横に据えてある一人掛けのソファに腰を下ろした。そして、珠生を見てにっこり微笑む。
「また少し、千珠のにおいに近づいてきたね」
「えっ」
「昔みたいに、冷たく僕の名を呼んで欲しいな。ほら、言ってみてよ」
「……え。えと、さ、斎木先輩……」
珠生は目を瞬かせながらも一度咳払いをして、一応おずおずながらも彼の名を呼んでみた。しかし、彰は不服げに首を横に振り、こんなことを言う。
「ああ、違うよ。僕のかつての名は佐為 っていうんだ」
「サイ?」
「そう。ほら、もっと偉そうに、横暴に」
「……どんな人だったんですか、その人」
珠生は千珠という少年の人格を疑った。
「まぁそれはおいおい分かるからいいじゃない。ほらほら、言ってみて」
無邪気に珠生を煽る彰にやや呆れながらも、珠生は一生懸命冷たく横暴な気持ちになろうと務めた。そして、少し強く彰を見つめると、「佐為」と語気を強めて名を呼んでやる。
すると彰は懐かしげに笑った。その表情は、とても嬉しそうだ。
「……うん、良い感じだ」
「おい、何のプレイや」
舜平は仏頂面でそんな二人を見比べた。藤原も苦笑である。
「まぁ、佐為の趣味はさておき……。なぜこういう事態になったのかをまず、説明しよう」
藤原は一口紅茶を飲むと、一息ついて、ゆっくりとした口調で話し始めた。
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