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三十四、佐為の今

   二人は地下鉄の駅へと歩きながら、ぽつぽつと降りだした雨を見上げた。 「珠生、傘ないんでしょ? 真壁が折っちゃったからね」  隣を歩く彰が、持っていた傘を開いて珠生の上に持って来た。珠生は目線の先にある彰の肩を見て、傘を見上げる。 「すいません」 「他人行儀だな。こんなにも千珠の匂いがするのに」 「はぁ……」 「僕の家で話をする? 両親は仕事で遅いから、気を遣わなくていいし」 「両親……ですか」 「そ。僕にも現世ではちゃんとした親がいる。小さい頃からおかしな記憶を持っていた僕を、まぁよくも気味悪がらずに育ててくれたものだ」  そう言って、横顔で彰は笑った。  一ノ瀬佐為であったころの彼は、幼い頃に両親を殺されている。ひとり取り残された佐為は、囚われた先で酷い暴力と陵辱を受けたのだ。  その時の恐怖体験がきっかけで、佐為は目覚めた。身に潜む強力な妖力と霊力をその手にした佐為は、そこにいた人間全てを殺したのだ。  そんな佐為を救い出し、匿ったのが都の陰陽師衆だったのである。佐為はそこで力の使い方を学び、数多の術式を学び、仲間と居場所と権力を得た。 「家があるというのは、暖かいものだね。でも……彼らと同じ血が流れているのに、僕の記憶は佐為(ぼく)のまま。……よく戸惑うよ。どういう顔をしてあの二人の前にいればいいのかってね」 「そうなんですか……」  珠生はついさっき、彰は何であんなに上手く転生ができているのかと、少し羨ましく思ったことを思い出した。彰は彰なりの戸惑いや苦しみがあるらしい。 「その御礼に、将来は彼らの面倒を見てあげなくちゃなと思ってるよ。それが、彼らに対する礼儀だからね」 「親の面倒……佐為も、そんなことを考えるんだ」  昔の名を呼ばれた彰は、笑みを浮かべて珠生を見た。 「変だよね。前世での僕は、生涯独り身で家族も持たず、陰陽師衆の汚れ仕事ばかりを請け負っていたというのに」 「うん……でも、今はそんなことしなくていいわけですし」 「そうだね。……ん?」  雨に紛れていたせいで、辺りの霧が濃くなってきていることに気づかなかった。彰ははっと周りを見回し、ぴたりと脚を止める。珠生もつられて立ち止まる。  京都市のど真ん中を走る御池通り。  普段ならば多くの人や車で混み合う夕方の時間帯が、こんなに静かなはずがない。    見回す範囲には人も車も動くものは何もなく、辺りはうっすらと紫色の霧に包まれているのだ。珠生は警戒しながらあたりを見回す。この霧の色を、どこかで見たことがあるような気がして、落ち着かない。 「……これは、陰陽師衆の使う煙幕型の結界だ。何故……?」 「陰陽師衆? 佐為の他にも、転生している人がいるんですか?」 「いいや。いないよ。僕と業平さまだけだ」  彰は傘をその場に落とすと、両手で印を結んで目を閉じた。辺りを探るように、彰の気が動き回っているのを感じる。  ふと、珠生の鼻孔を、どこかで嗅いだことのある香りがかすめた。  雅な匂い。  現世ではない、千珠であったころに嗅いだもの。これは……知っている。香りに抱き込まれた記憶が、蘇る。 「欝鬱と降り続く雨の日を待っていた。……こんな風にな」  背中合わせに立つ二人の直ぐそばで、女の声がした。

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