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三十七、食事を共に

「え、先生、いいひんのか?」  舜平は素っ頓狂な声を上げた。珠生は苦笑しながら、キッチンに立っている。 「急な出張だって。九州大学で、新しいバイオ何とかが発見されたもんで、すぐ見に行きたいからって。帰ってくるのは日曜の夜中だそうです」  健介がウキウキ弾むように出かけていったであろう風景が、舜平の目には浮かぶようだった。各務教授が研究のことになると他のすべてを忘れてしまう節があるのは、よくよく分かっていることだ。 「ご招待しておいて何ですけど……」 「いやまぁ、俺は毎日のように大学で会ってるからええよ。それより珠生は久しぶりやな」 「はい、ご無沙汰してます」  珠生は丁寧にそう言うと、キッチンから大きな鍋を持って出てきた。すでに置かれている鍋敷きの上にそれを置く。三人分並べられたランチョンマットの上には、健介が舜平と飲もうとしていたのか、小さなお猪口が置いてあった。 「まぁ、先生がおったら出来ひん話しもあるしな」 「そうですね。まぁどうぞ」  珠生はいそいそと食事の支度を整えると、流しの下から日本酒の瓶を取り出して持って来た。 「え、酒?」 「父さんが、呑ませてあげてくれって」 「ははぁ……。お、これはええ酒やな」  銘柄を見た舜平は、嬉しそうに笑うと椅子に座った。珠生が鍋の蓋を開けると、そこには美味そうな湯気をたてるおでんが大量に入っていた。だしのいい香りに、舜平は目を丸くする。 「これ、お前が作ったんか?」 「はい。父さんはもちろんのこと、母さんも家事しない人だったから、僕ら兄弟はそこそこに料理できるんです。そこそこですけど」 「いやいや、めっちゃうまそうやん。いただきます」  舜平が合掌したところで、ピンポン、とインターホンが鳴った。珠生は立ち上がって出ていくと、誰かが部屋に入ってくる気配があった。 「いやぁ、悪いねぇ。僕まで誘ってもらっちゃって」  と、斎木彰が上がりこんでいる。舜平は驚いて立ち上がった。 「お前! なんで……」 「父さん、出かけちゃったし。最近先輩には色々と面倒事を片付けてもらったもので」 と、珠生は彰の茶碗なども用意しながらそう言った。彰は驚き顔の舜平を見下ろしながらにやりと笑う。 「ごめんね、邪魔して」 「い、いや、別に……。ちょっとびっくりしただけやし」 「ふうん」  彰は舜平の隣に座りながら、にやにやと笑っている。珠生は二人を見比べながら、他にもサラダや唐揚げをテーブルに並べた。 「すごいねぇ! これ全部珠生が作ったの?」  彰は目をきらきらさせて喜ぶと、すぐに箸を持って合掌した。 「いっただきまーす。あ、ご飯ある?」 「ありますよ」 「お前は来て早々寛ぎ過ぎやろ」  珠生に白ご飯をよそってもらいながら喜んでいる彰を見て、舜平はそう言った。 「まぁまぁ、この一週間のことでも振り返ろうじゃないか。色々あったもんね、珠生」 「はぁ……」  珠生は苦笑いしながら、舜平の向かいの椅子に座ると、今度は舜平のお猪口に日本酒を注いでやっていた。 「……気ぃ利くなぁ、お前」  そのそつのない動きに、舜平は目をぱちくりとさせながら、美味そうに酒を飲む。隣で彰が、じっと舜平の手元を羨ましそうに見つめながら、ごくりと生唾を飲んだ。 「あかんで、お前。未成年やろ。しかも昔からお前の絡み酒はひどいからな」 「……そんなことは覚えてないなぁ。まぁ、確かに。成長途中にある大切な脳細胞を、その場の勢いで飲むアルコールで破壊したくはないからやめておくよ」 「嫌な言い方すんなや」  二人のやり取りを見ながら、珠生は笑った。数百年越しの同窓会のような雰囲気は異様だったが、それがとても懐かしくもあった。 「美味しい。珠生、料理めっちゃうまいやんか。俺のおかんよりも上手や」 と、舜平。 「ほんとだ。ちょっとびっくりするね」 と、彰。 「お口に合ってよかったです」  珠生は淡々とそう言うと、自分も食事を取り始める。  話題はこの一週間のことになり、珠生の学校生活について、どういうわけか彰がぺらぺらと舜平に話して聞かせている。特に訂正するところもなかったため、珠生は黙々と食事を取ったり、舜平に酒を注いだりしながら聞いていた。  真壁を打ち倒した件、そしてその日の真壁の発言について、舜平はあからさまに怒りを顕にしていた。 「そんなこと言うやつがおるんか!? 半殺しにしたろかそのクソガキ」 「はは、それは頼もしい」 と、彰が棒読みでそう言ったので、舜平はその頭を思い切り(はた)く。その後彰が真壁に忘却術をかけ、学校全体にもその術を施したことなどを聞いて、舜平は安心した様子である。 そして、猿之助に憑依された梨香子のことになると、舜平の表情は翳った。気が重そうに、ため息をつく。 「プライド、ねぇ。確かにあいつ、相当我儘やったからなぁ。付き合いたての頃はそんなことなかってんけど」 「舜平があの子に飽きてきたから、気を引こうとしてたんじゃないの? それがうまく行かずに逆効果になったとか」 「あのな、高校生のお前に意見されたくないねんけど」 「こういうのはさ、客観的に見たほうが分かることもあるんじゃないかなぁ? ねぇ、珠生」 「はぁ……」 「あれ以降、梨香子が逆に捕まらへんねん。どこ行ったんやろ。あいつの友だちに聞いたら、マンションには帰ってるみたいやねんけど」 「避けられてるんだ」 「……どうやろ」  舜平はそう言って、ぐいと日本酒を煽った。今度は彰が酒を注いでやる。  猿之助の今後の動きについて、彰が舜平に話をしている間、珠生は立ち上がって冷たいお茶を汲んでいた。  二人は真剣な表情で、次にいつ何が起こるか、それはいつ頃かということを話し合っていた。二人の会話のテンポはよく合っており、昔からこうして対策を練ってきたのであろうということがよく分かる。お互いを信頼している目をしているからだ。  珠生は千珠の記憶は持っているものの、それはまだ、どこか実感を伴わない部分も多いと感じている。あの二人のように、昔を懐かしむような思いで話をするような感覚ではない。それを少し、珠生は寂しいと思った。 「ところで、舜平は車なんじゃないの? さっきから随分飲んでるけど」  彰は珠生からお茶をもらうと、美味そうに飲み干した。珠生も初めてそれに気づく。 「ああ……少し酔い醒ませば大丈夫やろ。酔ってへんし」  舜平は少し目元を赤く染めていたが、意識ははっきりとして口調もいつもと変わりはなかった。 「駄目ですよ、そんなの。今日、泊まっていってくださいよ。俺、父さんの部屋で寝るから」 「えっ!? い、いや……それは……ちょっと」  舜平が戸惑いを隠せない様子を横目で見ながら、彰は笑った。 「……変わらないね、君も」 「はぁ? どういう意味や」 「別に」  彰はにやにやと笑っている。珠生は舜平にも冷たい麦茶を渡しながら、「そのまま送り出して、事故って死なれても目覚め悪いですから。泊まっていってくださいね」と言った。 「……お前、言うようになったな。……分かったよ。泊まらしてもらう」  舜平はもごもごとそう言うと、ぐいと麦茶を飲んだ。

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