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四十九、美術部
放課後、珠生は美術部の見学へ向かった。
美術室は西校舎の一番端にあった。美術室の外はすぐ水泳部の更衣室とプールがあり、どことなくじめじめとしている。
とりあえず籍を置いておきやすい部であるため、幽霊部員の人数は校内一であると聞いている。珠生にはむしろそちらのほうが有りがたかった。絵は静かに描きたいものだ。
がらりとドアを開くと、西日の差しこむ教室の中で三人の生徒がめいめいイーゼルに向かって座っている。
「……失礼します」
珠生がそう言って中に入ると、三人の生徒は顔を上げて珠生を見た。男子生徒が一人と、女子生徒が二人。皆、地味なタイプに分類されるであろう生徒たちであり、華やかな容姿をした珠生を見て固まっている。
「あ、あの君は?」
ぽっちゃりした大柄の男子生徒が、小さな丸い目をぱちくりさせて、珠生を見ていた。女子二人も、同様の反応だ。
「……どうも。あの、俺、一年A組の沖野珠生です。美術部に入部したくて、見学に来ました」
珠生は名乗って、ぺこりと頭を下げた。
「あ、そうなんや。実際見に来る人なんて、珍しいからびっくりしたわ。僕、1ーCの都築 博です……。先輩らも、自己紹介したら?」
と、博己は後ろを振り返って女子にそう声をかけた。
「私は2ーCの西川結子です……」
と、ショートカットの小柄な女子がそう言った。言い終わると、真っ赤になって隣の女子をつつく。
「2ーDの最上 満寿美 です」
その隣の女子は、結子に比べるとどっしりとした体型で、肌の色も浅黒い。結子が珠生と目を合わせないようにしているのに対し、興味津々という様子で珠生を観察している。そしてやや低めの声でこんなことを言った。
「日常的に部活に来るのは、まぁここにいる三人くらいのもんやわ。うちら三人とも中学から美術部やねんけど、高校入ったらみんな勉強に熱心になるし、部員も減る一方やったから、賑やかになってええわ」
「はぁ……」
「沖野くん、っていったっけ。あんた高校からやろ? 中学も美術部やったん?」
「はい」
「へぇ、見た目の割に地味なんやな」
と、満寿美は腕組みをしてそう言った。隣で結子が満寿美の袖を引っ張っている。
「……そんな言い方したら、可哀想やで」
「大丈夫です。よく言われますから」
と、珠生は苦笑した。その笑顔を見て、結子は真っ赤になった。
都築博はにこにこしながら椅子をひとつ引いてきて、珠生に座るように促した。彼は唯一の同級生ということか。
「何を描くのが好きなん?」
と、博。
「風景、ですかね……。人物はあんまり得意じゃなくて」
「あ、僕は一年やから敬語じゃなくてええよ」
「あ、うん」
博は人がよさそうな顔で、ふくふくと笑った。つるんとしたもち肌の持ち主である。
「西川先輩は人物画がうまいから、いっぺん描いてもろたら?」
と、博が言うと、また結子は真っ赤になった。
「いや、私なんて、そんな……」
「モデルになったことはないから……恥ずかしいです」
と、珠生は苦笑してそう言った。すると満寿美は、珠生の周りをぐるりと歩きまわった。
「ふうん、背はあんま高くないけど、スタイルいいな。一回くらい、モデルやってもらおか」
「えっ」
「ええやん、別に脱げって言っとるわけちゃうねんから」
満寿美はそう言うと、がははと大口を開けて笑った。豪快な性格をした先輩であるらしい。
「いつも皆適当にお題決めて、好きに描いてるだけやから、沖野くんもいつでも気軽に来てや」
博はそう言うと、書きかけのキャンパスを持って来て珠生に見せた。
「ちなみに今は、”夕空”ってテーマで絵を描いてんねんか」
「へぇ、面白いね。それに、すごく綺麗な色だ」
珠生は博の描いた透明感のある色使いに、目を輝かせた。博は嬉しそうに微笑む。
四人はしばらく絵の話や幽霊顧問の話などをして、笑いあった。和やかな雰囲気に、珠生はほっと安堵していた。
もう一つ、日常ができた。ここでなら、静かな自分の時間が持てそうだ。それも、皆絵を描くのが好きな人ばかりの、居心地のいい場所で。
しかし、珠生が穏やかな気持ちで過ごしている時間を断ち切るように、がらりと無遠慮に美術室のドアが開いた。
「たーまき、やっぱりここにいた」
非日常の代表格である斎木彰が、満面の笑みで入ってきたのだ。美術部員たちは、驚いて彰を見た。
「斎木、あんた沖野と友達なん?」
と、話の腰を折られて不機嫌そうな満寿美がそう言った。
「ていうかノックくらいしろや」
「あ、ごめんごめん。うん、まぁ昔からの知り合いっていうかね。ねぇ珠生、一緒に帰ろうよ」
「あ、はぁ……」
「沖野、こいつちょっと気持ち悪いやろ?キモかったら断ってええんやで?」
と、満寿美は胡散臭げな目線を彰に向けてそう言った。
「ちょっと、満寿美ちゃん、変なこと言わないでくれる?」
「……仲、いいんですね……」
思いの外仲のよさそうな二人を見て、珠生は少し和んだ。
「ほら珠生、用事があるんだってば。早く早く、早く帰ろう」
と、彰はぐいぐいと珠生の腕を引っ張ってくる。珠生は迷惑そうな顔をしながらも、渋々カバンを持って立ち上がった。
「じゃあ、また明日も来ます。よろしくお願いします」
珠生は礼儀正しく一礼すると、珠生を急かして一足先に美術室を出ていった彰を追いかけた。
+ +
「斎木先輩、用事ってなんですか?」
せっかくのプライベートな時間を邪魔されて、珠生は少し虫の居所が悪いながらも、彰のすらりとした背中を追った。
「猿之助が舜平にも宣戦布告しにきた。彼の元カノをさらって消えたそうだ」
彰は地下鉄の駅に向かいながら、珠生に淡々とそう告げた。思わず、珠生の脚が止まる。
「あいつ……まだあの女の身体に棲みついてたんだ。もっとちゃんと、見ていれば……」
いつになく悔し気な彰の声。信号で立ち止まった彰の横顔を見上げると、彰はちらりと珠生を見てちょっと微笑んだ。
「大丈夫、これからはもう、油断はしない」
「……はい」
「それに、珠生のあの力……嬉しかったな、久々に君の強さが直に見れて」
「そんな……」
「徐々に、思い出してきているんだろう」
「そうかもしれません」
「いいよね、あの偉そうな命令口調、たまらないよ」
「……すいません。生意気なこと、いいましたよね」
彰はにやりと笑って、また前を向いた。
「いいんだ、嬉しくてね。本当だよ、懐かしくて」
珠生は夕日に照らされた彰の横顔を見上げた。彰はいつも笑を浮かべたような薄い唇をしている。
「ところで、舜平はどうだった? ちゃんと君の気を高めたようだけど」
「ああ……はい……」
珠生は俯く。信号が青に変わり、二人は歩き始めた。
「すごく、優しかったです……」
「そう。……君の気持ちも聞かずに、勝手なことをしたかなと後から後悔してしまってね」
「いいえ……千珠が離れられなかったわけが、分かりました。すごく……あの……良かったから」
「ははっ、そうか。珠生の台詞はいちいち色気があるね」
彰は面白そうに笑った。
「そうですか?」
「うん、ちょっとドキドキしたよ」
彰はまるでドキドキしたような風でもなく、そう言って笑っていた。
「本当はそっちが聞きたかっただけなんじゃないんですか?」
「ご明察。君たちの行動にはとても興味がある」
「佐為も千珠が好きだったの?」
「うーん、舜海とは違う感情だろうが、好きだったよ。兄弟のように思ってたし、彼といるととても楽しかった」
彰は目を細めて、珠生を見た。地下鉄の出入口で立ち止まった彰は、ぽんと珠生の頭に手を置いた。
「僕は珠生といるのも、とても楽しいよ。あんまり邪険にしないでくれたまえ」
「……してませんよ」
「美術部邪魔されて、ちょっと怒ってたろ?」
「ああ、まぁ……」
「ま、君の気の流れもいいし、部活は楽しそうだし、舜平とも良い感じなら、僕の懸念事項は全て片付いた。一安心一安心」
そう言って、彰はさっさと階段を降りていった。珠生は苦笑して、その後を追った。
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