50 / 530

四十九、美術部

 放課後、珠生は美術部の見学へ向かった。  美術室は西校舎の一番端にあった。美術室の外はすぐ水泳部の更衣室とプールがあり、どことなくじめじめとしている。  とりあえず籍を置いておきやすい部であるため、幽霊部員の人数は校内一であると聞いている。珠生にはむしろそちらのほうが有りがたかった。絵は静かに描きたいものだ。    がらりとドアを開くと、西日の差しこむ教室の中で三人の生徒がめいめいイーゼルに向かって座っている。 「……失礼します」  珠生がそう言って中に入ると、三人の生徒は顔を上げて珠生を見た。男子生徒が一人と、女子生徒が二人。皆、地味なタイプに分類されるであろう生徒たちであり、華やかな容姿をした珠生を見て固まっている。 「あ、あの君は?」  ぽっちゃりした大柄の男子生徒が、小さな丸い目をぱちくりさせて、珠生を見ていた。女子二人も、同様の反応だ。 「……どうも。あの、俺、一年A組の沖野珠生です。美術部に入部したくて、見学に来ました」  珠生は名乗って、ぺこりと頭を下げた。 「あ、そうなんや。実際見に来る人なんて、珍しいからびっくりしたわ。僕、1ーCの都築(つづき)博です……。先輩らも、自己紹介したら?」 と、博己は後ろを振り返って女子にそう声をかけた。 「私は2ーCの西川結子です……」 と、ショートカットの小柄な女子がそう言った。言い終わると、真っ赤になって隣の女子をつつく。 「2ーDの最上(もがみ)満寿美(ますみ)です」  その隣の女子は、結子に比べるとどっしりとした体型で、肌の色も浅黒い。結子が珠生と目を合わせないようにしているのに対し、興味津々という様子で珠生を観察している。そしてやや低めの声でこんなことを言った。 「日常的に部活に来るのは、まぁここにいる三人くらいのもんやわ。うちら三人とも中学から美術部やねんけど、高校入ったらみんな勉強に熱心になるし、部員も減る一方やったから、賑やかになってええわ」 「はぁ……」 「沖野くん、っていったっけ。あんた高校からやろ? 中学も美術部やったん?」 「はい」 「へぇ、見た目の割に地味なんやな」 と、満寿美は腕組みをしてそう言った。隣で結子が満寿美の袖を引っ張っている。 「……そんな言い方したら、可哀想やで」 「大丈夫です。よく言われますから」 と、珠生は苦笑した。その笑顔を見て、結子は真っ赤になった。  都築博はにこにこしながら椅子をひとつ引いてきて、珠生に座るように促した。彼は唯一の同級生ということか。 「何を描くのが好きなん?」 と、博。 「風景、ですかね……。人物はあんまり得意じゃなくて」 「あ、僕は一年やから敬語じゃなくてええよ」 「あ、うん」  博は人がよさそうな顔で、ふくふくと笑った。つるんとしたもち肌の持ち主である。 「西川先輩は人物画がうまいから、いっぺん描いてもろたら?」 と、博が言うと、また結子は真っ赤になった。 「いや、私なんて、そんな……」 「モデルになったことはないから……恥ずかしいです」 と、珠生は苦笑してそう言った。すると満寿美は、珠生の周りをぐるりと歩きまわった。 「ふうん、背はあんま高くないけど、スタイルいいな。一回くらい、モデルやってもらおか」 「えっ」 「ええやん、別に脱げって言っとるわけちゃうねんから」  満寿美はそう言うと、がははと大口を開けて笑った。豪快な性格をした先輩であるらしい。 「いつも皆適当にお題決めて、好きに描いてるだけやから、沖野くんもいつでも気軽に来てや」  博はそう言うと、書きかけのキャンパスを持って来て珠生に見せた。 「ちなみに今は、”夕空”ってテーマで絵を描いてんねんか」 「へぇ、面白いね。それに、すごく綺麗な色だ」  珠生は博の描いた透明感のある色使いに、目を輝かせた。博は嬉しそうに微笑む。  四人はしばらく絵の話や幽霊顧問の話などをして、笑いあった。和やかな雰囲気に、珠生はほっと安堵していた。  もう一つ、日常ができた。ここでなら、静かな自分の時間が持てそうだ。それも、皆絵を描くのが好きな人ばかりの、居心地のいい場所で。  しかし、珠生が穏やかな気持ちで過ごしている時間を断ち切るように、がらりと無遠慮に美術室のドアが開いた。 「たーまき、やっぱりここにいた」  非日常の代表格である斎木彰が、満面の笑みで入ってきたのだ。美術部員たちは、驚いて彰を見た。 「斎木、あんた沖野と友達なん?」 と、話の腰を折られて不機嫌そうな満寿美がそう言った。 「ていうかノックくらいしろや」 「あ、ごめんごめん。うん、まぁ昔からの知り合いっていうかね。ねぇ珠生、一緒に帰ろうよ」 「あ、はぁ……」 「沖野、こいつちょっと気持ち悪いやろ?キモかったら断ってええんやで?」 と、満寿美は胡散臭げな目線を彰に向けてそう言った。 「ちょっと、満寿美ちゃん、変なこと言わないでくれる?」 「……仲、いいんですね……」  思いの外仲のよさそうな二人を見て、珠生は少し和んだ。 「ほら珠生、用事があるんだってば。早く早く、早く帰ろう」 と、彰はぐいぐいと珠生の腕を引っ張ってくる。珠生は迷惑そうな顔をしながらも、渋々カバンを持って立ち上がった。 「じゃあ、また明日も来ます。よろしくお願いします」  珠生は礼儀正しく一礼すると、珠生を急かして一足先に美術室を出ていった彰を追いかけた。     +  +    「斎木先輩、用事ってなんですか?」  せっかくのプライベートな時間を邪魔されて、珠生は少し虫の居所が悪いながらも、彰のすらりとした背中を追った。 「猿之助が舜平にも宣戦布告しにきた。彼の元カノをさらって消えたそうだ」  彰は地下鉄の駅に向かいながら、珠生に淡々とそう告げた。思わず、珠生の脚が止まる。 「あいつ……まだあの女の身体に棲みついてたんだ。もっとちゃんと、見ていれば……」  いつになく悔し気な彰の声。信号で立ち止まった彰の横顔を見上げると、彰はちらりと珠生を見てちょっと微笑んだ。 「大丈夫、これからはもう、油断はしない」 「……はい」 「それに、珠生のあの力……嬉しかったな、久々に君の強さが直に見れて」 「そんな……」 「徐々に、思い出してきているんだろう」 「そうかもしれません」 「いいよね、あの偉そうな命令口調、たまらないよ」 「……すいません。生意気なこと、いいましたよね」  彰はにやりと笑って、また前を向いた。 「いいんだ、嬉しくてね。本当だよ、懐かしくて」  珠生は夕日に照らされた彰の横顔を見上げた。彰はいつも笑を浮かべたような薄い唇をしている。 「ところで、舜平はどうだった? ちゃんと君の気を高めたようだけど」 「ああ……はい……」  珠生は俯く。信号が青に変わり、二人は歩き始めた。 「すごく、優しかったです……」 「そう。……君の気持ちも聞かずに、勝手なことをしたかなと後から後悔してしまってね」 「いいえ……千珠が離れられなかったわけが、分かりました。すごく……あの……良かったから」 「ははっ、そうか。珠生の台詞はいちいち色気があるね」  彰は面白そうに笑った。 「そうですか?」 「うん、ちょっとドキドキしたよ」  彰はまるでドキドキしたような風でもなく、そう言って笑っていた。 「本当はそっちが聞きたかっただけなんじゃないんですか?」 「ご明察。君たちの行動にはとても興味がある」 「佐為も千珠が好きだったの?」 「うーん、舜海とは違う感情だろうが、好きだったよ。兄弟のように思ってたし、彼といるととても楽しかった」  彰は目を細めて、珠生を見た。地下鉄の出入口で立ち止まった彰は、ぽんと珠生の頭に手を置いた。 「僕は珠生といるのも、とても楽しいよ。あんまり邪険にしないでくれたまえ」 「……してませんよ」 「美術部邪魔されて、ちょっと怒ってたろ?」 「ああ、まぁ……」 「ま、君の気の流れもいいし、部活は楽しそうだし、舜平とも良い感じなら、僕の懸念事項は全て片付いた。一安心一安心」  そう言って、彰はさっさと階段を降りていった。珠生は苦笑して、その後を追った。

ともだちにシェアしよう!