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四十八、猿之助の接触
振り返ると、そこには梨香子がいた。
必死の形相で、舜平にすがるような目をしていた。猿之助の憑座となっている可能性を思い出し、舜平は咄嗟に身構える。
「……梨香子」
「ちょっと……来て」
「分かった」
舜平はあっさりと梨香子の言葉に従うと、拓に目配せをして梨香子について歩き出した。拓は心配そうに二人を見送っている。
梨香子はずんずんと一人で歩を進め、大学の図書館裏にやってきた。
そこは木々が茂っていて、フェンスの向こう側は道路である。人気の少ないそんな場所で、梨香子は舜平に向き直った。
久々に見る梨香子は、えらくやつれていた。眼の下にははっきりとしたくまができ、顔色も悪い。いつも気を使っていたお洒落もせず、ジーパンに長袖のシャツを着ただけの軽装だった。
「ねぇ……何なのこれ。あたし、何かに取り憑かれちゃったみたいなの……」
「え?」
佐々木猿之助のことだと、舜平は思った。梨香子は夢で語りかけてくる男のことや、ふと気づくと違う場所にいることなどを、涙ながらに舜平に話した。
その顔には恐怖の色しかなく、梨香子は芯から怯えている様子だった。
「もう、どうしたらいいか……わからないんだよ」
「……どうしたら……か」
「ねぇ、舜平んち、お寺だったよね。お祓いでもなんでもいいから、助けてよ。あたし、頭がおかしくなっちゃう!」
梨香子は舜平の腕にすがってそう喚いた。梨香子の茶色いふわふわの髪は、乱れてぼさぼさだ。そんな変わり果てた梨香子を見て、舜平はさすがに胸が痛んだ。
「……ああ、分かった。わかったから、落ち着け」
舜平は梨香子の腕を押さえて、顔を覗き込もうと屈みこんだ。梨香子の顔は涙に濡れて、化粧っけのない顔はところどころそばかすが見える。
今更ながら、そばかすなんてもんは、化粧で塗り隠してしまうよりも、こうして見せていたほうが可愛いのにと、思った。
「親父に連絡したるから、な。今は家に帰っとき」
「……いや、一人でもういたくないの!」
「でも……」
「怖いんだよ、舜平! ……あたし……」
がくっと、梨香子の頭が垂れた。舜平の腕にすがる梨香子の白い指の力が、急激に増した。みしみしと、まるで舜平の腕を砕くかのような力で、白い指が食い込む。
「おい、痛い痛い! お前……」
「お祓いなんかされたら、たまらないわ」
梨香子の声と同調して、不気味な低い声が聞こえた。がっくりと垂れていた頭がのろのろと持ち上がり、梨香子は唇を釣り上げてにやりと笑う。
その表情は、もはや梨香子のものではなかった。
「お祓いなんかされたら、この身体にいられないじゃないの」
「……お前、猿之助か」
舜平は腕を掴まれたまま、梨香子の目を覗きこんだ。その黒い瞳の中は、どろどろと暗い紫色が渦巻いている。
「くくく……何言ってるのよ、私は梨香子よ。舜平、あなたの恋人じゃないの」
「外見、はな。おい……どうして梨香子を憑座に選んだ」
「この女はなぁ、お前と、あの千珠殿の生まれ変わりのガキが憎いらしい。……ふふ、俺とまったくおんなじだ」
「……同調したんか」
「そういうことさ。……や、昨日は失敗だったなぁ、式を取り憑かせるのでは不十分だったか。あんなに千珠殿の力が戻っているとは思わなかったよ」
梨香子の姿をした猿之助は、じっと舜平を見上げてほくそ笑んだ。
「それにお前も、この女の体を無碍には扱えまい……」
「その女も何も、現代じゃ人一人おらんくなったら大騒ぎやねんぞ。とっとと出ていけ」
「ふん、しばらくはここにいさせてもらうさ。もっと、力が戻るまでな……ふふふ。祓われてもつまらぬ、しばらく姿を消すとしようか」
「待て! この……」
舜平は、がっしりと舜平の腕を掴んだ白い指を払いのけ猿之助を捉えようと、手を伸ばして印を結ぼうとした。しかし、猿之助の手はぴくりとも動かない。
「なんやこの怪力は……!」
「力が戻らぬとはいえ、お前ごときには負けぬさ」
梨香子はにいと笑うと、ばっと飛び上がって後ろにふわりと一回転し、舜平から距離をとって着地した。
「まあ、この女の体は俺に預けておけ。死なせはせぬよ」
「おい! 待たんかい!」
舜平が印を結ぶのよりも早く、猿之助はすっと掌を前に出して唱えた。
「縛道雷牢 !!」
舜平の周りに、金色の光でできた檻が地上から生えた。その中心部に巨大な金色の南京錠がどこからともなく生まれ、ガシャン、と施錠される。
「くそ……!!」
「はははは! 無様な姿だな、舜海よ。まぁ、ゆるりと見ているがいい。この世が地獄と化す様をな! あっはははは!」
梨香子の姿をした猿之助は、高笑いをしながら、ふっと姿を消した。
舜平は悔しさに顔を歪め、金色の牢を思い切り拳で殴りつける。
「くそ!!」
――梨香子……! どうする、どうするんや。あいつと戦えっていうんか? しかも、こっからどうやって出ればいい。
それに猿之助のやつ、どこに消えた……!!
「解錠!」
女の声が響き、がしゃん、と南京錠が外れた。するすると地面に解けるように、金色の牢は消えていく。舜平ははっとして、声のした方を見た。
「えっと……葉山さん」
「嫌な気を感じたから来てみたら……正解だったわね」
「あ、ありがとうございます……」
「逃げていく姿だけは見えたわ。あの女の子に取り憑いてるのね」
「はい……俺の元カノ、なんすよ、あれ……」
「ええぇ!? それはまた、やりにくい相手を奪われてしまったものね」
葉山は白いシャツに濃いグリーンのカーディガンを羽織って、今日も黒いスラックスを履いていた。姿だけ見ていれば、学生とも職員とも取れる姿である。
「藤原さんに連絡する。あなたがあの子と話したことを教えて」
「……はい」
舜平は頷いて、携帯電話を取り出す葉山を見ていた。
どろどろとした不安が、舜平の胸に渦巻いてゆく。
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