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八十四、千秋の声

 影龍に身体を奪われても、千秋の意識は目覚めていた。  自分の目も耳も生きているのに、身体は自分の意志に反して動き、だれか違う意識が口を通じて喋っているという異様な体験をしていた。  ――信じられない。こんなこと、現実じゃないに決まっている。訳がわからない……。  夢なら早く醒めて欲しかった。  それに、あの怒りにぎらつく珠生の目。自分を奪い返すために怒っているのは分かったが、それでも初めて見る珠生の険しい顔を見て、千秋は少しショックを受けていた。  ――それに何だろう、あの剣のようなものは。何であんなに早く、動いているの? 珠生は一体、どうしてしまったんだろう。  何もかもが信じられないまま、千秋の身体は移動していた。それも、自分では考えられないほどのスピードで。  前を行く、短いスカートの女子大生風の女の人も、自分と同じ目に遭っているのだろうか。隣をゆく、男性看護師の制服を着た男の人も。  ――もういや、わけ分かんない! 早く元に戻りたい!  千秋が強くそう念じると、身体を操っているであろう人物が、不意に頭を抑えた。かげたつ、という名で呼ばれている男だ。 「……女、意識があるのか」  ――え、私に話しかけてるの……? 「他に誰がいるのだ。くそ……子鬼の片割れだからか、霊力も強いらしい」  ――子鬼……? 何言ってんのよ。どういう意味? 「お前はあの青葉の鬼の生まれ変わりの片割れであろう。何も知らぬのか」  ――青葉の鬼……? 「そんなことも知らぬのか。あの千珠とやらの魂、お前には受け継がれていないようだな」  ――せん、じゅ……? それって、珠生のこと? 「あっちのガキのことか。そうだ。あいつは千珠という名の子鬼の生まれ変わり。我々の敵だ」   ――生まれ変わり……敵……。千珠ってやつが珠生を乗っ取ってるわけじゃないの? 「何を言うか。あのガキそのものが千珠どのだ。ようやく、完全に覚醒したらしい。保臣のやつ……早めに処理しておけばよかったものを」  ぎり、と奥歯を噛み締める影龍を、ちらりと弓之進が見た。 「誰と喋っておられるのです?」 「この女だ。意識がある」 「なんと、強い霊気をお持ちらしい。まぁ、当然か。千珠殿の片割れですものね」 「何も知らんらしい、この女は。まぁいい、俺達には関係ない」 「何を喋っている。もうすぐアジトだ」  前を走る猿之助が、横顔で振り返ると二人にそう告げた。  廃ビルが見えてくる。  千秋は混乱した頭のまま、今まで起こったことや見てきたことを必死で振り返っていた。  ――覚醒……? よく意味はわからないけど、珠生は珠生なのに、あたしは酷いことを言ってしまったかもしれない。  声を荒げる珠生の悲しげな瞳に気づいていたのに、どうして信じてあげられなかったんだろう。  どうして……一番あいつを分かっているはずの自分が、珠生をはねつけてしまったのだろう……。  千秋の目から涙が溢れてきた。影龍はぎょっとして、頬を濡らす水に触れる。 「なぜ……涙が」  ――ごめん……珠生。あたしが馬鹿だったんだ。ごめん……!!  アジトに到着し、猿之助は眠るためにさっさと引っ込んでいった。明日の夜戦に備えるのだろう。  影龍は頭の中で騒いでいる千秋の声が耳障りで、頭を押さえたまま人気のない空間に座り込んだ。弓之進が心配そうについてくる。 「影龍さま……」 「大丈夫だ。ハエが騒いでいるようなものだ」  ――誰がハエよ!  と、千秋の声がギャンギャンと五月蝿い。影龍は苛々しながら脚を抱えて座り、膝に顔を突っ伏した。 「……五月蝿い女だな。今さらここで謝っても届くものでもなかろう」  ――あんたには関係ないわ。さっさとあたしから出ていってよ! 珠生に……謝らなくちゃ。あいつ、絶対気にしてるもん。 「ふん、あの子鬼にそんな感情があるのかね」  ――そりゃあんたは知らないでしょうけどね、珠生は優しい子なの。自分のことより人のこと気にするような奴なのよ! 「自分のことより……」  間宮敬吾の肉体を奪っていた時、珠生に言われた言葉を思い出す。  ……猿之助を、止めたいんだ……  あの時の珠生という少年の瞳には、迷いも曇りもなかった。本当に、都を守りたい。犠牲を出したくない、そういう思いがまっすぐに伝わってきた。  ……今更、都を滅ぼして何になる。お前たちだって、都を守りたかっただけだろう……?  影龍の心が揺らいだ。  結界術を壊すことに意味が無いことくらい、影龍には分かっていた。しかし、ずっと付き従ってきた猿之助を裏切るようなことは、できない。今まで自分たちが成してきたことが、全て無になってしまう。  影龍は耳を塞いだ。千秋の言葉が、いちいち影龍を刺激する。  あの子鬼の言葉と、だぶる。  「黙れ……! 黙れ黙れ!! 顔に傷を付けるぞ! ここから飛び降りて、お前の肉体を滅ぼすことだってできるのだからな!」  ――……!  千秋が黙った。影龍はため息をついて、肩を落とす。 「少し眠る。お前のお喋りに付き合っている暇はない」  影龍はそう言い放つと、ごろりとコンクリートの床に横になった。ひんやりとした硬い床で、寝心地の悪いこと限りないがそれでも疲れはどっと襲ってくる。  目を閉じると、千珠の白い背中が見えた気がした。  あの光に、俺は勝てるのだろうか。  猿之助さまは、勝てるのだろうか……。

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