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エピローグ
八条口の辺りで舜平と合流した珠生は、正也のことを舜平に話して聞かせた。舜平は感心して、正也の勇気を褒め称えている。
「結果は?」
「さぁ、また学校で聞くよ」
「はは、そうか」
舜平は混雑した京都駅前の道をのろのろと進みながら、そう言って笑った。
「あのさ……本当に、ええと……どこか行くの?」
と、珠生が舜平の横顔にそう尋ねると、舜平はちらりと珠生を見て、頬を赤らめた。
「……一日経って、冷静になったら……なんちゅーこと言うてしもうたんやろって、恥ずかしくなってもうてたとこや」
と、赤面しながらそんなことを言う。珠生は吹き出した。
「あははは、そんなことだろう思った」
「昨日、お前が物欲しそうに泣くからやん」
「また俺のせいにするんですか?」
と、珠生が口をとがらせる。
「それを言うなら、舜平さんが俺にキスなんかするから」
「ちゃう、あれは治療や。そのおかげで今ピンピンしてるんやろ」
「まぁ、そうだけど」
「つい先月までは、あんなにしおらしくて可愛らしかったのに、すっかり生意気になりよって」
と、前方を向いたまま、舜平がそう言った。
「自分だって、俺を傷物にしたくないとか言ってたくせに」
「うう……言い返せへん」
憎まれ口を叩く珠生を、舜平はちらりと見た。
窓枠に肘をついている珠生は、今日もとてもきれいだと思った。
久しぶりの夏日で、珠生は着ていた上着を脱いで、半袖の白いTシャツ一枚になっている。ベージュのチノパンと白いシャツ、そして白い肌を晒している珠生の白さは、千珠の姿を彷彿とさせる。
「何見てるんですか」
そう言ってこちらを睨む表情は、千珠のそれそのものだった。舜平は思わず吹き出した。
「千珠みたいな物言いやな」
「いやまぁ、あれは俺だからね」
と、珠生はツンとしてそう言った。
「そうやな。ほんま、その通りや」
あの日。
珠生と初めて出会った日、舜平はただ鴨川を散歩していたわけではなかった。
前日は大雨で、ひどく寝苦しい夜だった。
眠れず夜通しぼんやりと起きていて、どうどうと降りやまぬ雨が自室の窓に叩きつける様子を、舜平はじっと眺めていた。
変な気分だった。
何か、思い出したいのに思い出せない。何を思い出したいのかもわからない、そんなもどかしい夜だった。
夜が明けてから少し眠った舜平は、ふらふらと寝不足の頭で大学へ向かった。
しかし気づくと、その場所に立っていた。
ぬかるんだ河原を歩いていると、ずうっと昔にもここを一人で歩いたような気がして、ひどくもどかしい気分になった。
その時、舜平は軽いめまいに襲われて、目を閉じた。そしてもう一度目を開いた時、そこにはいつもとはまるで違う景色が広がっていた。
舗装などされていない、ありのままの自然を宿した加茂川の風景がそこにあったのだ。
しかし舜平は、驚かなかった。
ただただ、その景色が懐かしく、むせかえるような切なさを感じていた。
この季節の匂い、風の感触、虫の声、川のせせらぎ……それらのものに五感を委ねていると……。
桜の下に、千珠の姿を見た。
川面にせり出すように咲いた見事な桜の下、綻ぶ花弁を見上げるあの美しい姿を。
その愛おしく懐かしい匂いを、確かに舜平は感じていた。
強い風が吹いた時、舜平は白昼夢から醒めたようにはっとした。
辺りを見回すと、そこは普段と変わらぬ河川敷の風景があるだけ。訳がわからぬまま、舜平は呆然と川の流れを辿って風上を見上げると……。
そこに、珠生がいた。
苦しげに蹲るその姿は、まるで自分の手を待っているかのように見え、舜平はすぐに珠生に駆け寄ったのだった。
そうして二人は、再会を果たす……。
舜平のそんな話を、珠生は黙って聞いていた。
ちょうど一ヶ月ほど前の出来事だ。あれから、二人の関係も随分と変化したものだ。
適当に車を走らせながら、舜平はその日のことに想いを馳せる。
「今となっては懐かしい話や」
「変な話だよね……」
「そうやな」
「今でも、目覚めたら全部夢だったんじゃないかって、思うよ」
「はは、そうか」
「でも、千珠はいた。確かにこの世界にいたんだ。みんな、ここにいたんだよね」
「……そうやな」
「千珠と舜海の絆も、きっと……」
「……ああ」
数百年立っても消えない、甘い呪い。互いを縛り付ける、強烈な感情。
珠生は苦笑する。
「十六夜のことが終われば、もっと落ち着くかと思ったけど」
「何がや」
「……舜平さんが、美味そうに見える病気」
「……病気扱いかよ」
微妙な顔をした舜平を見て、珠生はまた楽しげに笑う。
その笑顔がどうしようもなく可愛くて、舜平も苦笑するしかない。
珠生はさらりとした髪を風に揺らされながら、気持ちよさそうに目を閉じている。白い肌が、眩しい太陽に透けるようにきらめく。信号待ちをする間、気付けば珠生に見惚れていた。
「……きれいやな」
「ん? ああ、景色? うん、きれいだね」
「あー……、うん、せやな」
赤面する舜平をそっと盗み見て、珠生は密やかに微笑んだ。
「あ。せや、あの不気味な二人組も連れて、飯でも食いに行くか。打ち上げや」
「打ち上げ? 不気味な二人って、斎木先輩と湊のこと?」
「そうや。無事に結界も張れたんやし、ゴールデンウィークも今日で最後やしな」
「いいね、誘ってみる」
「俺が言っても来うへんやろうから、お前が連絡せぇよ」
「はは、そうだね」
楽しげに笑いながら携帯電話を取り出す珠生を見て、舜平はまた微笑む。
珠生の笑顔が、とてもとても愛おしい。その笑顔を見ていると、ふわふわと心が浮かれて、しあわせな気分で満たされる。
――俺が守りたいものは、今も過去 も、この笑顔なんやろうな……。
不意に湧き上がったその想いを珠生に伝えられるわけもなく、舜平は照れ隠しをするべくカーラジオに手を伸ばした。
琥珀に眠る記憶〈1〉ー十六夜の邂逅ー ・ 終
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