107 / 533

百六、連休最終日

 ゴールデンウィーク最終日、千秋が千葉へ帰る日がやって来た。  次の日は学校があるため、千秋は午後一番の新幹線に乗る予定だ。親子三人で少し早い昼食を取ったあと、千秋は荷物をまとめて部屋を片付け始めた。そんな様子を、健介が淋しげに見ている。 「……次は、いつ会えるんだろうなぁ」 「お父さんが帰ってくればいいじゃん、たまには千葉にもさ。お母さんとも、久々に会えば楽しいかもよ」 「う、うーん……」  母、すみれの顔がちらついたのか、健介は難しい顔を浮かべて唸った。キッチンで洗い物をしていた珠生が笑う。 「正月とかさ、それくらいならいいんじゃない? たまには」  キッチンから珠生が声をかけると、健介はくるりと後ろを振り返って困った顔をする。 「お前までそう言うか……そうだなぁ。せっかくまた、こうして二人揃った所を見れたわけだしなぁ……」 「ちょっとやる気になってきた?」 と、千秋。 「考えとく……」  弱々しい父親の台詞に苦笑したものの、千秋は責めてはこなかった。旅行バッグのジッパーを締め、千秋は息をついて立ち上がる。 「お父さん、待ってるからね」 「……分かった」 「珠生も、よく言い聞かせておいて」 「はいはい」 「……どっちが親か、分からんな」 と、健介が苦笑して頭をかく。双子の笑い声がシンクロした。  その時、インターホンが鳴った。  舜平が千秋を京都駅へ送っていく約束があるのだ。健介が鍵を開けると、そこに舜平が立っていた。 「相田くん、すまないね」 「いいえ。荷物も多いやろうし、ええですよ」 と、舜平は微笑んだ。 「さっすが。じゃあ、これとこれと……」  奥から千秋が大量の荷物を持って出てくると、舜平は目を丸くした。 「ホンマに多いな! 新幹線乗れるんかいな」 「大丈夫だって。京都土産がかさばっちゃって」 「パワフルやなぁ、千秋ちゃんは」  千秋と共に荷物を持って階下へ降りていく舜平の姿が見えなくなると、健介は苦笑した。 「相田くんには世話になりっぱなしだなぁ。いい成績つけてあげなきゃ……」 「そだね」 「見送り、父さんの分まで頼むな」 「うん。任せといて」 「ありがとう」  健介は珠生の頭をぽんぽん撫でると、がらんとした和室を見て寂しそうな顔をする。 「はぁ、なんか虚しいね」 「ちょっと、まだ俺がいるんだけど」 「おお、勿論だよ。でもああ賑やかな子がいなくなると、ちょっと家の中が静かで寂しくなるよな」 「それは言えてる」  健介は切なげに、目を伏せた。 「全く、僕は馬鹿なことをしたもんだ……。珠生、すまなかったな」 「俺に謝られても困る」 「はは、そうだな。正月のこと、本当に考えなきゃね」  健介は天井を見上げて、顎に手を当てた。珠生はふと時計を見て、健介の背中を押して玄関の方へ促した。 「下に行こう。新幹線に遅れたらまずい」 「ああ、そうだったそうだった」  二人が階下に降りると、舜平と千秋が楽しげに話をしていた。ようやく降りてきた二人を見てから、千秋は助手席に乗り込む。  珠生も後部座席に乗り込んで、窓を開けた。 「千秋、またな。身体に気をつけるんだよ」  運転席越しに、健介は千秋にそう声をかけた。千秋は笑顔で頷いて、「お父さんも。あんまり仕事ばっかして、珠生を寂しがらせないでよ」と言う。 「あはは……本当だね、気をつける」 「俺のことはいいよ」 と、後部座席から珠生が文句を言った。 「相田くん、安全運転で頼むよ」 「任して下さい。ほな、行きますね」 「ああ。千秋、じゃあね」 「うん、またお正月に!」  千秋は最後にそう言い残して健介にプレッシャーを与えると、にこやかに手を振った。  苦笑いの健介を残して、車は大通りへと出ていく。  千秋は振り返って、父親に手を振った。リアウインドウ越しに見える健介も、大きく手を振って見送っている。 「あれだけ言えば、お父さんも考えるわね」 と、健介が見えなくなった所で、千秋は姿勢を正して前を向いた。舜平は笑う。 「先生のあんな顔、初めて見るわ」 「あれくらい言わなきゃ、すぐ忘れちゃうんだから」 「敵わへんな、千秋ちゃんには」  二人が楽しげに話しているのを聞きながら、珠生は携帯電話が震えていることに気づく。  メールの送信者は、正也だった。  すべてを悟った珠生は、正也に新幹線の時間をこっそりと伝えた。  +  ゴールデンウィーク最終日の京都駅は、恐ろしいほどの大混雑だった。  珠生は呆然として、その人ごみを見つめていた。  さすがにこの交通量で車を停めることは難しいと判断し、珠生が千秋の荷物持ちを手伝って、京都駅に降りているのである。  舜平は少し離れた所で待っていると言って、爽やかに千秋に挨拶をし、どこかへ走り去っていった。 「すんごいね、これ……」 「そう? 東京なんて、いつもこんなもんじゃん」 「もう酔いそう」 「情けないわね。この間の男らしいあんたはどこへ行ったのよ」 「あれはあれ、これはこれだ」 「全くもう……。あ、上まで行かなくていいよ、ここでいいわ」  もっと怒るかと思っていたが、千秋は意外とあっさりと珠生にそう言った。新幹線中央改札口の前だ。  ほんの五日前、千秋を迎えに来たばかりの場所。  今ここで向かい合う二人の中には、あの頃とはまた違った絆が確かに生まれている。 「これからも、あの力を使って何かするの?」 「……うん、後始末があるから」 「そう……。もうあんまり、怪我しないでよ」 「うん、大丈夫だよ」 と、心配そうな顔をした千秋に向かって、珠生はふんわりと笑ってみせる。 「いつもの珠生だ」  千秋は微笑んで、肩をすくめる。 「なんだかんだ、あんたのそういう顔を見てるのが一番落ち着くわ」 「そう?」 「うん。……本当、気をつけてね」 「ありがとう。千秋も、部活頑張れ。全国大会、行くつもりなんだろ?」 「当然」  千秋は勝ち誇ったように笑い、腰に片手を当てた。まるでモデルのようだと、双子ながらに珠生は思った。 「……そうそう、正也が話したいって言ってて」 「え?来てるの? もう一五分くらいしか時間ないんだけど?」 「うん。ほら、あそこ……」  大北正也が、緊張した面持ちで改札口のすぐそばに立っている。二人の視線に気づいた正也は、はっとしたように背筋を伸ばし、顔を赤く染めた。 「ホームまで来てくれるんじゃないかな? 荷物運んでもらえば?」 「……何よ、このシチュエーションは」 「いいからいいから、時間ないんだろ?」 「うん……」 「早く! じゃあな、千秋」  そう言うと、珠生は千秋の背中を押す。千秋は珠生の笑顔が人混みに紛れていくのを、ものさみしい気持ちで見つめていた。ふと気づくと、正也がすぐそばまで歩み寄ってきている。頬を赤くしたまま、正也は千秋の荷物をすべて引き受けた。 「ごめん、急に来て」 「……ううん」  二人は何となく無言のまま、改札を通ってホームへと上がった。自分の前に立ち、大荷物を持っている正也の筋肉質な腕を見つめていると、何となく胸が高鳴ってくるのを感じた。  ――うーん、これって、間違いなく……。  ホームに上がって、乗降口の前にやって来た途端、正也が振り返ってこう言った。 「俺……絶対全国行くから。そこで、千秋ちゃんに認めてもらえるように、頑張る」 「え、あ、うん……」 「俺、千秋ちゃんのこと、好きになった。……付き合って欲しいんだ」  正也は真っ赤な顔をしつつも、ホームの喧騒に負けじときっぱりそう言った。  千秋の目に、バッサリ短く刈ったスポーツマンらしい髪の毛や、珠生とは大違いな健康的な浅黒い肌が、急に色を持って見えてくる。  人生初の、愛の告白。  千秋は実感が沸かないまま、目を丸くして正也を見つめていた。 「……だめ?」  何も言わない千秋に、正也が意気消沈したような声でそう言った。はっとして、千秋は首を振った。 「……だめじゃないけど……。あたし、千葉に住んでんだよ?」 「俺、実家埼玉だもん、近いよ」 「めったに会えないよ?」 「それでもいい。俺が会いに行くよ」 「お金かかるじゃん」 「バイトでも何でもするよ、千秋ちゃんが会ってくれるっていうんだったら」 「……あんたの学校、バイト禁止でしょ」 「うっ……」  必死な顔の正也が可愛く思えて、千秋は笑った。 「なんてね。……いいよ。あたし、ひとと付き合うとか、まだよく分かんないから、遠距離くらいがちょうどいいかもしれないし」 「本当!?」 「うん。そのかわり、ベスト8には入ってよ」 「分かった!!」 「かっこいいとこ見せてよね」 「うん!!」  目を輝かせ、正也は笑って頷いた。千秋も微笑む。  ベルが鳴り、新幹線がホームに滑りこんでくる。千秋はすでに並んでいる人の列を見て、正也の手に握られた荷物を取った。 「じゃあ、行くね」 「うん。夏休みまで、頑張るよ!」  正也は力強くそう言って、千秋の荷物をすべて渡す。ぽっかり空いて寂しくなった手を振って、正也は千秋を見送った。  窓際に座った千秋が、恥ずかしそうに顔を赤くして、さっさと帰るようにジェスチャーを送っているが、正也はいつまでも満面の笑みで手を振っていた。  新幹線が走りだす。  また平穏な日常へと、千秋を連れて帰っていく。

ともだちにシェアしよう!