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12 クラス会

 終業式を明日に控え、弛緩した教室の中はいつになくざわついていた。  昨晩の調査では何も見つからず、徒労に終わったため、今日も珠生はなんとなく疲れていた。 「ねぇ、沖野くん」 「……え?」  休憩時間に、斜め前の席、つまりは湊の隣の席に座っている女子が、珍しく珠生に話かけてきた。珠生の隣人、吉良佳史(きらよしふみ)もちょっとそれに反応する。 「年末は実家に帰るん?」 「あ、いや……帰らないと思う。春休みになったら帰るつもりだから」 「そうなん?じゃあさ、明日のクリスマスイブ、クラスのみんなでご飯食べようってことになってるんだけど、行かない?」  その女子、滝田みすずは、少し恥ずかしそうにしながら珠生にそう言ってきた。珠生は姿勢を正すと、きょとんとしてみすずを見つめた。   そういえば、この半年くらいずっとこの席だったのに、ちゃんとこの女子の顔を見たことがなかった。 「そうなんだ……。えと……どうしようかな」  あまり人付き合いに自信のない珠生は、少しためらった。すると湊がみすずに、「あれ、俺は誘ってくれへんわけ?」と言った。 「柏木には沖野くんの後に言おうと思ってたとこ」 「なんでやねん」 「あれ、俺は?」 と、今度は吉良佳史がみすずに尋ねる。みすずはまた苦笑して、 「吉良くんにも沖野くんの後に言おうと思ってたとこ」 「ひでー」 と、佳史は笑いながらそう言った。  そんなやり取りを見ていた珠生は、少しおかしくなって微笑んだ。珠生の笑顔に、みすずがぽっと赤くなる。 「面白そうだね、行ってみよっかな」 「本当!? やった! 明日ね、実家が旅館の梅田くんの家で集まろうってことになってんねん。広間貸してくれるらしいから。場所はねぇ……」  喜び勇んで、印刷された地図の書かれたチラシを珠生に手渡しながら、みすずははしゃいでいた。湊と佳史は、自分たちへの対応の差にぽかんとする。 「幹事に言っとく! あんたらも、聞いてたね! はい、これチラシあげるから!」  みすずは二人にはチラシだけを渡して、さっさとどこかへ行ってしまった。 「おいおい、この差。分かりやすいねぇ」 と、吉良佳史はチラシを眺めながらそう言った。 「ほんまやで。女はこれやらか好かん」 と、湊も横向きに座って足を組んだ。 「珠生、お前の美少年ぷりも無駄ではなかったらしい」  湊の言葉に、珠生は苦笑した。 「そうかな。俺と喋って何が面白いんだか」 「イケメンはいいんだよ、黙って座ってりゃそれで喜ばれんだから」 と、佳史は頷きながらそう言った。 「そうかな」  珠生は佳史を見た。そういえば、この隣人ともあまり話したことがない。  どれだけ回りから浮いた存在だったんだろうと、人間関係をサボっていた自分を、今はじめて反省した。 「吉良くん……も京都じゃないの?」 「俺?俺は東京から引っ越してきたんだ。学校のためというより、親の転勤が決まったからっていう理由で」 「ふうん。中学から?」 「そう」 「関西弁、うつんないんだね?」 「そうだなぁ、そういえば」  佳史は肘をついて、珠生をまじまじと見てくる。珠生はやや居心地の悪さを感じて、身構えた。 「何?」 「いや……あんまり喋ったことなかったから。普通に喋れるんだな」 「そりゃあまぁ」 「授業態度悪いくせに、俺よりも成績良かったし、一体どんなやつだと思ってたんだけど」 「ああ……ちょっと荒んでたから……」 と、珠生は苦笑した。湊が無言で頷いている。 「思ったより、喋りやすいなって思って。それにしてもお前、顔きれいだな」 「あ、ありがとう……」 「女子がキャッキャ言うわけだ」 「そうかな……」 「こいつ、ちやほやされるの慣れてへんから、あんまりいじめたらんとって」 と、湊が助け舟を出した。佳史はへぇ、と声を上げる。 「もったいねー」  二学期の終わりになってようやく、珠生はクラスメイトと会話らしい会話をした。  佳史はクールで話し上手であり、自分よりもよっぽどモテそうなのにと珠生は思ったりもした。それを口にすると、佳史は頭をかいて「関東弁は好かれないんだよ、関西じゃ」と沈んだ声を出す。  あぁ、結構楽しいじゃないか。  珠生はそう思った。  現実はここにあるのに、自分は過去にとらわれてばかり。これからを生きるのは、沖野珠生という自分自身なのに。  珠生はその日から、周りにいる人間達の顔をちゃんと見始めた。  その日は皆が、どこか楽しげに見えた。  +  +  終業式も平穏に終了し、冬休みに突入した。  実家で旅館を経営している梅田直弥の自宅に集まったのは、クラスの約半数の二十名である。  清潔に保たれた明るい畳張りの広間の長机には、豪勢な料理がすでに準備されていた。  午後五時から、クラスの親睦会兼クリスマス会が始まる。  幹事をしている梅田直弥が乾杯の音頭を取って、皆でジュースや烏龍茶などのグラスをぶつけ合う。  こういう賑やかな場に慣れていない珠生であったが、正也と湊に挟まれて、盛り上がっている空気に何となく溶け込んでいた。 「俺、珠生の双子とつきあってんだ、明日から埼玉に帰るからさ、会いに行くんだ〜」  正也は周りに座っている生徒たちにそんな話をしては、ひたすら目尻を下げている。 「クリスマスだもんな、なんかすんの?」 と、吉良佳史がにやにやしながら正也に尋ねる。 「なんかって?」 「ほら、久々に会うんだろ? どこでイチャイチャすんの?」 「え、そんなこと、させてくれるのかなぁ?」  正也はでれでれと赤い顔になりながら、ちらりと珠生を見る。 「……なに?」 「イチャイチャしてもいいか?」  真面目くさった顔で、正也は珠生の両手を握りしめてそう言った。珠生はげんなりとした顔をする。 「何で俺に許可を求めるんだよ」 「何となく……。あと、予行演習してもいいか?」 「はい?」 「珠生……いや、千秋ちゃん……」  目をぎらぎらさせながら顔を近づけてくる正也にぎょっとする。珠生が思わず身を引くと、隣で横を向いて喋っていた湊の背中にぶつかった。 「おい、またか。正也お前、気持ち悪いぞ」  迷惑そうな顔をしながら、湊が正也に物申した。珠生は正也の顔を押し返しながら、「勝手にイチャイチャしろよ。俺は知らないよ」と言った。 「うわー緊張してきた」 と、正也はオレンジジュースを煽った。  そこへどやどやと女子が三人やって来て、珠生の向かいに座ってきた。佳史は座布団から押し出される。 「沖野くん、食べてる?」 「ねぇ、イブにここにいるってことは、彼女とかいーひんの?」 「どんな子がタイプなん?」  わいわいと矢継ぎ早に質問を投げかけてくる女子たちの中に、滝田みすずの姿もあった。女子は群れるとほんとうに強い。 「彼女……いないよ」 「いやぁでもめっちゃいそう。めっちゃ年上とかと付き合ったりしてそうやんなぁ」 「うん、沖野くん可愛いもんな」 「なんか守ってあげたくなる感じやんな」  女子たちは楽しげに珠生に関する感想を述べ合っては笑い合う。珠生は苦笑した。 「何やお前ら、今日は堂々と沖野に絡んでんのか」 と、幹事の梅田直弥が旅館のはっぴを着てやってきた。ビール瓶ならぬ烏龍茶の瓶を持って、あちこち回っていたらしい。「まるで酔っ払いやな」と、湊は女子たちに苦情を垂れた。 「うっさいねん柏木。何であんたいっつもいっつも沖野くんと一緒にいんねん、うっとおしい」 「はぁ? なんやと」 「あんたが隣に仏頂面でいっつもおるから話しかけづらいねん」 「そうやそうや」 「……知るかそんなこと、お前らみたいなやかましい女、珠生は相手せぇへんねん」  額に青筋を浮かべつつ、湊はつんと澄ましてそう言った。すると、女子たちの顔が凶悪に変化する。  「はぁぁ? なんで柏木にそんなこと言われなあかんねん!」 「ちょっと頭いいからって調子乗んなや」 「大体なんやねんその眼鏡!」 「眼鏡関係ないやろ、おしゃれやおしゃれ」  ぎゃあぎゃあと湊に一斉攻撃が向かうのを、佳史と正也が目を丸くして見ていた。湊は耳を塞いで、仏頂面だ。  するりと梅田直弥が珠生の隣りに座った。 「まま、おひとつ」 と、烏龍茶を珠生のグラスに注ぐ。 「あ、どうも……。綺麗な旅館だね」 「そうやろ、改築したばっかやねん。その双子さんとかこっち来はんねやったら、ぜひ当、宝梅館(ほうばいかん)をご利用ください」 「はは、うん、そうするよ」  商人口調の直弥は、珠生の笑顔を見てからりと笑った。直弥はさっぱりと短く刈り込んだ黒い髪をして、いかにも人なつっこい顔をしている。そういえば、クラス委員をしていたはずだ。 「湊が女子とこんなに喋ってんのも初めて見たな」 と、珠生はとなりで大騒ぎをしている面々を見ながら直弥にそう言った。 「柏木は昔からいじられキャラやからなぁ。まぁ毎回こんな感じやけど、女子も言いたいこと言えて楽しそうやろ」 「確かに……」  女子のどんな暴言にもさらりさらりと言葉を返す機転の良さが、女子たちも楽しいのだろう。言い合いをしながらも、笑い声が起きている。 「沖野ってちょっととっつきにくい感じしてたけど、喋ってみるもんだな。この会企画した時にさ、誰が沖野に声かけるかって騒いでてんけど、誘ってよかったわ」 「ありがとう。俺、あんまりこういうの参加したことなかったから、楽しいよ」  そう言って珠生はにっこりと笑った。直弥は話しやすい、柔らかい雰囲気を持った少年だと思った。  珠生の笑顔を見て、直弥は頭を掻いた。 「お前、近くで見るとほんとにきれいな顔やな、女顔やんな」 「多分……双子の姉の遺伝子が強いんだよ」 と、珠生は千秋の強引さを思い出しながら苦笑した。 「美人なんだろうな。大北のやつ、いつのまに」 「GWにこっち来てて、紹介したんだ」 「そっかぁ、いいなぁ」  直弥は頬杖をついて、しばらく珠生のとなりで喋っていたが、また烏龍茶の瓶を持って立ち去っていった。他のテーブルでお酌をしている。  湊は疲れた様子で静かに食事を取りはじめた。 「大丈夫?」 「ほんまに鬱陶しい女どもや。誰のお陰で今平和に暮らせてると思ってんねん」  湊はブスっとしている。珠生は笑った。 「はは、確かにね」 「でもたまにはええやろ?こういうのも。お前、全然クラスメイトに馴染んでなかったもんな」 「うん、結構楽しいね。高校生活ってのも」 「そうやな」  見あげた湊の顔が、一瞬あの柊の涼しげな横顔に見えた。あの頃柊は年上だったが、今は同級生。  いつも影のようにそばに居てくれた柊が、今も自分のそばにいる。いつも何かにつけ、自分を助けてくれている。 「一番、湊に世話かけちゃってんのかな……」 「え?」 「何でもないよ」  珠生は小さく呟いて、周りを見回す。誰も彼もが、楽しげに笑っていた。  ふと、天道亜樹のことを考えた。  あのいじけた瞳の少女は、一体この夜をどう過ごしているのだろうか、と。

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