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13 遭遇
同じ日。舜平は三条通り沿いにある居酒屋にいた。
昨晩遅くに一時帰国し、ゼミの飲み会に呼び出されて参加していたのだ。
皆、舜平と拓のアメリカでの生活を知りたがり、頼りない各務教授がどんな様子なのかを知りたがった。
二人が、健介は英語も堪能で研究者として非常に頼もしかったということをゼミ生たちに伝えると、皆が一斉に感嘆の声を上げた。
ただ、息子のことで散々弱音を吐き、二人にアドバイスを求めてはメールの返信がないことを嘆いていたことは、伏せておく。
「日本語でおもいっきり喋れるってのはええなぁ、実に楽しい。な、舜平」
と、酔って上機嫌の拓は舜平の首に腕をひっかけて、笑っている。
「せやな。関西弁バンザイや」
舜平もほどほどに酔っていて、とても気分が良かった。十五人前後の飲み会の席なのだが、舜平に憧れているという女子学生がずっと隣にいて、舜平のことをおだてて持ち上げるものだから、つい酒が進んでしまった。
「なぁ、この後あの娘、お持ち帰りすんのか?」
と、拓がにやにやしながら舜平に耳打ちをする。
「せぇへんわ。いたいけな一回生を」
「でも、あの子めっちゃお前のこと好きやん。分かりやすいねぇ」
その女子学生というのは、守屋遊花 という一回生だ。のりのいい大阪出身の女子学生で、話していると楽しいし、そこそこに可愛らしい顔をしている。しかも飲み会の最中、あれだけもてはやされれば男として悪い気もしない。
「そうやけどさ……、ノリでそんなことになって、梨香子んときみたいにごたごたすんの、いやや」
「うっ、そう言われると……」
拓は悪夢を思い出したかのように顔を青くすると、舜平から身体を離してビールを飲んだ。
「確かにな、あれは怖い女やった。最初は可愛かったのにな」
「そうやろ」
舜平がポテトフライをつまんでいると、時間制限が来たのか、幹事が会計を求める声をあげていた。
「時差ボケでしんどいし、俺は帰るわ」
と、財布をしまいながら舜平が言うと、拓はつまらなそうな顔をする。
「まじかぁ、まだ九時やん。また俺んちで飲み直そうやぁ」
「うーん」
そんな話をしながら店の外に出ると、すでに出ていた一回生達が二人を取り囲んだ。
「カラオケ行きましょうよ、カラオケ!」
と、幹事をしていた一人の湯田秀典が誘ってくる。すかさず遊花が舜平の腕を引いて、「相田さんも行きましょうよ! もっと喋りたいし!」と元気よく誘う。
京都の繁華街にある居酒屋の前の通りは、人通りが多い。真冬の冷え込みなどものともしない元気な学生たちの周りは、えらく活気に満ちていた。
「河原町まで直ぐですし、ほらほら」
と、秀典。すでにぞろぞろと何人かは河原町方面に足を向けていた。
「まぁ、ちょっとならええか……」
と、舜平が言うと、遊花は嬉しそうに舜平の腕に身体を密着させてきた。分厚いダウンジャケット越しに、遊花の身体を感じる。
「相田さん、また隣に座ってもいいですか?」
「え?ああ……」
「うち、相田さんがアメリカ行ってる間、ほんま寂しかったんですよ」
京都の道は狭い。ぞろぞろと細い列になって歩いていると、いつしか舜平は遊花と二人で腕を組んで歩いているような状況になっていた。
「そんなことないやろ」
「そんなことありますよー。だって、あたし……」
ぴた、と舜平の脚が止まった。
遊花が不思議そうに顔を上げると、舜平はまるで幽霊でも見たかのような驚いた顔で、じっと反対側から歩いてくる集団を見つめていた。
細い道路の反対側を歩いている一団は、高校生くらいに見える若い少年少女たちだ。男女の入り交じった五、六人の集団である。
「……珠生」
「え? 知り合いですか?」
舜平は遊花の腕を振りほどくと、つかつかとその集団に歩み寄り、一人の少年の腕をぐいと掴んだ。
遊花の目には、友達と笑い合っていたその少年の顔が、一瞬で凍りついたように見えた。
+ +
珠生たちは、地下鉄東西線に乗るという滝田みすずや、彼女とよく一緒にいる戸部百合子を送るべく、夜の繁華街を歩いていた。地下鉄沿線の湊と吉良佳史も連れ立って歩いている。
湊は一番先頭で、戸部百合子と喋りながら歩いていた。珠生と佳史はみすずを挟んで喋りながら歩いている。
席が近いこともあってか、この三人で喋っているのは楽しかった。佳史もみすずも会話がうまく、聞いているだけでも面白いのだ。
「ほんま勇気出して誘って良かったわぁ。沖野くんとこんなに喋れると思わへんかった」
みすずは顔を上気させ、楽しげに笑いながらそう言った。
「俺も。新学期、席替えあるのが残念だよな」
と、佳史もそう言う。
「ほんとだね。俺……今度は前の方にされそうだな」と、珠生。
「おまえ、授業態度悪いもんな」
と、佳史がそう言うと、みすずがまた楽しげに笑う。
「うわっ!」
その時、珠生は不意に腕を強く引かれて、軽くよろめいた。どこの酔っぱらいかと振り返った珠生の顔が、一瞬にして凍りつく。
「沖野くん、どうしたの?」
佳史とみすずがつられて立ち止まり、珠生の腕を掴んでいる人物を見た。
背の高い、灰色のダウンジャケットを着た凛々しい顔立ちの男だった。その男の目は怖いほどに真剣で、なにか物言いたげに口を開きかけている。
「……舜平さん」
珠生が息を呑み、そう呟く。
「おい、珠生……」
その男がなにか言いかけた瞬間、珠生は素早い動きでその腕を振り払うと、一目散に駈け出してしまった。佳史とみすずはぽかんとして、ダッシュで消えていった珠生の背を見送っている。
驚いたのはその男も同じだったらしい。数秒ぽかんとしていたが、 「あんの……アホ、なんで逃げんねん!」と言い残し、これまた猛スピードで追いかけて行ってしまった。戸部百合子と喋っていた湊もそれに気づき、「あ!おい、舜平……!」と声をかけかけたが、その声は届かなかった様子である。
「何あれ?」
みすずが湊に尋ねると、湊は困ったような顔をした。
「えーと、珠生の親戚の兄ちゃんや」
「何で逃げたの?」
「……さぁ? 何か怒られるようなこと、してたんちゃうか?」
「ふーん……」
取り残された高校生たちは、顔を見合わせた。
そして、舜平に置いていかれた遊花も、困惑した表情のまま、そこに佇んでいた。
+
「珠生! 止まれ!! 何で逃げるんや!」
「何で追いかけてくるんだよ!」
「お前が逃げるからやろ!」
――疾い……!くそ、距離が縮まらへん!
人混みの合間を縫って速度を上げる珠生の背中を見失わないように、舜平は必死で追いかけた。
クリスマスで混みあった三条河原町を抜けて、珠生は一気に鴨川まで出ると、三条大橋の欄干を蹴ってひらりと河原へと飛び降りる。
「あいつ……こんなとこで!」
しかし回り込んでいる暇はない。舜平は橋の欄干に脚をかけると、珠生と同じように河原へと身軽に飛び降りた。さすがに真冬ということもあり、河原にはあまり人気はなく、珠生のカーキ色の上着を探すのも容易かった。
さらに北へと走り、舜平はあたりに人気がないことを確認すると、印を結ぶ。
「縛!」
「うわ!!」
珠生の足首を、金色の糸のようなものが縛り付けた。つんのめった珠生は地面に手を着き一回転すると、体勢を立て直して片膝を着き、舜平に向き直る。
舜平は肩で息をしながら、印を結んだまま珠生に近寄った。
「こんなとこで術を使うなんて」
暗がりのなか、珠生の怒った顔とキラリと光る目が見えた。
「どうせ一般人には見えへんやろ」
珠生はまだ立ち上がれないのか、片膝をついたまま、舜平からぷいと目を逸らした。舜平は珠生の前にしゃがみ込む。
「何で逃げた」
「だって……びっくりしたから」
「びっくりして?……獣か、お前は」
「五月蝿いな。術をといてよ」
「ああ」
術から解放されて、珠生は立ち上がって砂を払った。だいぶ北まで駆けてきてしまったらしく、人気も明かりもない。もう少し北上すれば、珠生の家のそばまで行ってしまいそうだ。
「いつ……帰ってきたの?」
「昨日の夜」
「一言言ってくれたら、逃げなかったのに」
そう言って舜平を見つめる珠生の目は、未だに少し怒りを含んでいる。服に枯れ葉が付いているのを目に止めた舜平は、すっと珠生に向かって手を伸ばした。その手を、珠生は思い切り払いのける。舜平は驚いて、手を引っ込めた。
「……触らないでください」
「その葉っぱ、取ったろうと思っただけやん」
「放っといてよ、帰る」
「ちょう待て、珠生。何怒ってんねん」
くるりと身体の向きを変えた途端、ぐいと腕を掴まれたが、珠生はまたそれを振りほどいて拳を固めた。
振りほどいた反動を利用して、舜平に殴りかかる。
「うおっ!」
珠生の動きは早かったが、体格で勝る舜平にはその当たりは軽い。珠生の拳を握りこむと、舜平は腕を引いて珠生を地面に引き倒した。
ずん、という鈍い衝撃が珠生の身体を通じて舜平にも伝わってきた。
珠生が奥歯を噛み締める音がかすかに聞こえる。
ごうごうと流れる黒い河の音だけが、辺りには響いていた。
「……いたい……」
「お前、どうした?何してんねん、一体」
「……」
ぽろり、と珠生の眼から涙があふれた。舜平ははっとして、掴んでいた珠生の腕を離した。
珠生は起き上がって、拳で涙を拭う。舜平はどうしていいか分からず、ただただ嗚咽をこらえる珠生を見ていた。
「……何で泣くねん」
「知らないよ!! 何で……何で帰ってきたんだよ!」
「え? いや、正月休みくらいは実家で過ごせって向こうの教授に言われてな」
「何で……なんで、俺にわざわざ声かけてくるんだよ!! どうせまた、すぐにアメリカに帰るくせに!」
「……ああ、そうやな」
「せっかく……やっと慣れてきたとこなのに、何で……!」
舜平は珠生を引っ張って立たせると、ぎゅっとその身体を抱きしめた。一瞬それを振りほどこうと暴れかけた珠生であったが、さらに舜平に強く抱きすくめられると、観念したように抵抗するのをやめた。
「ごめんな……俺も、何も言わへんつもりやったけど、今日お前の姿見たら、身体が勝手に動いて……」
「もっと……考えてから動けよ……! バカ!!」
「ごめん」
「ばかやろう……っ」
珠生は、舜平の背中に両手を回してしがみついた。その懐かしい感触に、涙が溢れるほど安堵する。
舜平の匂い。舜平の体温。
ずっと求めていたものが、今、自分の腕の中にあるのだ。
「舜平さん……」
「ん?」
「酒臭い……それに、苦しい」
「え、ああ。すまん……」
体を離して、舜平は改めて珠生の顔を見た。珠生はまだ怒ったような顔をしているが、潤んだ瞳にはありありと舜平と会えた喜びが見て取れる。否応なく、舜平の胸はときめいた。
――やっぱり、可愛い……。
どうしようもなく変化していない自分の心に、舜平は呆れた。
「……そんな目で見るな」
「どんな目だよ」
舜平は目をそらして、珠生から手を離した。珠生は上着を着直しつつ、じっと舜平を見あげている。
「物欲しそうな目や」
「……なっ。そんな目してないよ」
「してるやん。そういう……」
舜平が言葉を切った。珠生もはっとして、空を見上げる。
大きな妖気の流れを感じたのだ。
西の方向に、青い光の柱が立ち上っているのが見えた。
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