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16 すなおな気持ち
二人並んで地下鉄の中に立っていると、なんだか不思議な気分になった。
さっきまでクラスメイト達と親睦会をしていた自分と、妖と遭遇していた自分と、今舜平と一緒にいる自分が、すべて乖離しているように思えたからだ。
暗い窓を見つめて、なにか考え込んでいる様子の舜平を見上げる。
少し髪が伸び、より一層舜海に面差しが似ていると思った。目に少しかかる前髪が、舜平の強い目を更に際立たせている。
「何や。何見てんねん」
「髪、伸びたね」
「ああ……切ってへんかったからな」
「舜海を見てるみたいだ」
「そうか?」
舜平は珠生を見る。写真の中の珠生は、髪が伸びて大人びて見えていたが、あれからさっぱりと髪を切ったらしい。出会った頃の、大人しく遠慮がちだった珠生を思い出す。
珠生はモッズコートのポケットに手を突っ込んで、地下鉄の扉に寄り掛かって立っているのだが、それだけでとても絵になっている。実際、近くに座っていた乗客たちが、ちらちらと珠生を見ていた。
「舜平さんが帰ってるってことは、父さんも? 帰ったら家にいるの?」
「いや、先生はひとつ出張をこなしてから帰るって言ってはったから、帰国は……明後日やな。メール見てへんの?」
「あ……うん。週に一回は見るようになったんだけど……」
「そっか。帰ったら見とけよ」
「うん」
さきほど脱兎のごとく逃げ出した珠生とは思えない素直な返事に、舜平は驚いて珠生を見た。
少し眠たそうな珠生を見下ろして、舜平は苦笑した。
あまり言葉を交わさないまま、二人は珠生のマンションに到着した。
舜平はエントランスで別れようと思っていたが、珠生は当たり前のように、「上がっていく?」と言った。
「……ええんか? さっき、アホみたいに俺から逃げとったのに」
「ああ……もういいんだ」
先に立ってさっさとエレベーターに乗り込む珠生を、慌てて追いかける。
久しぶりに訪れた珠生の自宅は、思ったよりも変化がなかった。健介がいなくなったことで、散らかったり乱れたりしているのではないかと思っていたが、全くその気配はなく、むしろ以前よりも片付いているように見える。
珠生は何も言わずにキッチンに立って、コーヒーを入れていた。
珠生の入れる珈琲の匂いが懐かしい。舜平はソファに座り、TVをつける。
「当たり前のように寛がないでください。ここ、教授んち」
「まぁ細かいこと言うな。……そっか、今日はクリスマスイブか。忘れとったわ」
「もうすぐ日付が変わるから、クリスマスだね」
珠生はそう言ってマグカップを舜平に手渡すと、その隣に座った。
何となく並んで、クリスマスモード満開のテレビ番組を眺めながら、舜平はふと思い出したように言った。
「明日、北崎と会うねん。クリスマス展示をするから見に来いって」
「ああ……俺も行くよ、それ」
「そうか、専属モデルやもんな」
「写真、見たの?」
「ああ、見た。先生に見せたら、喜んではったな」
「そっか」
珠生はちょっと微笑んで、コーヒーを飲む。
「きれいな写真やったな、全部。あいつの撮る風景に、お前が溶け込んでて」
「俺も悠さんに撮られるのは、結構楽しくて。写真の色も構図も好きだしね」
「悠さん、か。えらい仲良くなったんやな」
「まぁ、芸術的な部分で通じ合った感じだよね」
「凡人には分からへん世界やな」
「そうだろ?」
少し面白くなさそうにそう言った舜平を見て、珠生はおかしげに笑った。そんな笑顔が、また舜平をどきりとさせる。
舜平はマグカップをテーブルに置くと、空のカップを弄んでいる珠生の手首を掴んだ。白く細い手首が、ぴくりと反応する。
引き寄せられるままに、珠生は舜平に抱きすくめられていた。
舜平の匂い、体温、力強い手……どれもこれも珠生が求めてやまなかったものだ。珠生は目を閉じて、夢中になって舜平にしがみつく。
「ちょっと……痩せたんちゃうか」
「……そんなことないよ」
「珠生……」
舜平の腕が、更に珠生を強く抱きしめると、珠生は思わず息を漏らした。
そんなため息ひとつで、舜平の身体は熱くなる。
舜平は珠生をソファに横たえると、その瞳をじっと見つめた。
美しい目だと思った。薄茶色の潤んだ瞳が、自分をひたむきに見上げている。
そっと、ゆっくりと唇を重ねた。珠生は抵抗せず、舜平のシャツをぎゅっと握りしめている。久しぶりに味わう感覚を確かめるように、ゆっくりと唇をついばんでいたが、徐々に沸き上がってくる欲求に、舜平の息も上がってくる。
深く深く珠生と唇を重ねていると、手が自然と珠生のシャツの中へと伸びていく。
「や……やめて……!」
その手を遮り、珠生は舜平を押し返した。舜平ははっとして、珠生から手を放す。
「これじゃ……また……元通りだ」
珠生は赤い顔で息を弾ませながら、悲しげにそう言った。今の舜平には、その表情ですら扇情的に見えてしまう。
肘をついて起き上がろうとしている珠生を、舜平はまた乱暴にソファに押し付けた。珠生の目が見開かれる。
「やめてってば」
自分を見下ろす舜平の眼差しには、静かな猛りが見て取れる。
舜平のその眼が、昔から好きだった。珠生は思わずどきりとして息を飲む。
欲しい、と思った。しかし、ここでいつものように肉体関係を結んでしまえば、また離れられずにつらい思いをするだけだとも分かっている。珠生は無理に笑おうとした。
「……もう、やめようよ。こういうの……。俺はひとりでも、平気だよ……」
「珠生」
「……何だよ」
「あのなぁ、泣きながらそんなこと言われても、説得力ゼロやで」
「泣い……」
言われて初めて気づく。珠生の目から、涙が一筋、二筋とこぼれ落ちていた。舜平は親指で珠生の目元を拭った。
「もっとうまく言えるように、練習しとけ」
「……」
珠生は急に気が抜けて、ため息をついた。そのため息とともに、また涙が溢れ出す。
「……どうしていいか分からなかったんだ……ずっと。寂しいとか、会いたいとか、そんな言葉じゃ片付かないくらい、痛くて。舜平さんがそばにいないのが、信じられなくて……」
珠生は拳で目を覆うと、小さな声でそう言った。
舜平は珠生の手を掴んで顔をあらわにさせると、ぽろぽろと流れ落ちる珠生の涙を、唇で受けとめる。
塩辛く、熱い涙だった。
「でも……そんなこと、どうしようもないし、舜平さんにだって、舜平さんの人生があるから……」
「……寂しい思いさして、ごめんな」
「謝らないでください……謝って欲しくて、こんな情けないこと言ってるわけじゃないんだ」
「……」
舜平は無言で珠生をまた抱きしめた。珠生は震えながら、涙を流し続けている。
愛おしさに胸がつまり、珠生と一緒に泣きたい気持ちになった。
「……会いたかった。ずっと。こうやって、抱いて欲しかった」
「お前……素直に言えるやんか」
「……うるさい……」
「俺だって、こうしたかった。お前を……抱きしめたかった」
「本当に……?」
珠生の手が伸びて、舜平の頬を挟んだ。引き寄せられるままに、珠生とまた唇を重ねる。組み敷いている珠生の脚が、舜平の脚に絡みつく。
「それなら……早く、抱いてよ」
珠生の生意気な言葉に、舜平はちょっと笑った。泣き笑いの顔で、珠生はようやく微笑んだ。
「どうされたい?」
「舜平さんのことしか考えられなくなるくらい……激しいのがいい」
色香の漂う美しい笑みを浮かべてそんなことを言う珠生に、舜平はついつい赤面した。ため息をついて、ゆっくりと首筋に舌を這わせながら、珠生のシャツに手を掛ける。
「……かわいいやつ」
「ん……は……っ」
「珠生……珠生……」
「ぁ、あ……っ、ん」
シャツを脱がせ、しっとりと艶を湛えた珠生の肌を思う存分唇で愛撫すると、珠生は身をくねらせて悩ましげな声を漏らした。促されるまま舜平もシャツを脱ぎ捨て、素肌と素肌でしっかりと抱きしめあい、二人は深いキスを何度でも交わした。
「舜平……さん」
「会いたかった。……珠生、俺を、見ろ」
「……ん、んんっ、ァ、あ、」
「泣き顔も、きれいや」
舜平の熱い眼差しに射抜かれながら、高められてゆく喜びと快感。舜平の手のひらで身体の中心を優しく扱かれながら、珠生はもっともっととキスをせがんだ。
「舜平さん、もっと……もっとそばに、きて」
「お前のそばに、おる……ほら、感じるやろ」
「ぁ、ンっ……ん、ふぅっ……ん」
「今夜はもう離さへん。……寂しい思いをさせてしもたぶん、お前をいくらでも愛してやる」
「ん、んっ……あ、しゅん、ぺいさ……」
「珠生……」
舜平に抱かれる珠生の唇にも、しあわせそうな笑みが浮かぶ。
心地よいぬくもりと、舜平の匂いが、愛おしい。
クリスマスソングの流れるテレビ番組をBGMに、二人は深く強く、抱きしめあった。
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