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15 鬼道を開く力

 珠生は常人の目には映らないほどの速さで、急いでその場へと駆けつけた。  青天井が立ち上っている場所は、例によって明桜学園高等学校の体育館である。 「また学校……?」  珠生はそう呟いて、ひと気のないことを確認しながら、裏門をひらりと飛び越えて敷地内を走った。  遠目からは美しい光の柱に見えたが、能面のような顔をした青白く光る駒霊たちがわらわらと集合し浮遊しているさまは、ひどく不気味で、珠生は眉を寄せた。 「う……厳しい眺めだな」  その光の柱は、体育館の中から空に向かって立ち上っている。その柱に吸い寄せられるように、駒霊たちが踊り回りながら集まっているのだ。珠生は体育館のドアを開けようと、押したり引いたりしたがびくともしない。少し周りを見回して、そのドアを思い切り蹴り飛ばした。  ガン! と鍵の壊れる音がして、ドアはあっけなく開いた。学校中のスペアキーを作ってくれた湊がいてくれたら、と思ったが時間がない。土足で体育館に入ると、建物中をすべて埋め尽くす駒霊の数に圧倒される。 「なんだよ、これ……」  暗い体育館は、青い光で満ちており、まるで水の中のようだった。珠生はその中へ入ろうと、一歩足を踏み出した。 「待て!」  鋭い彰の声がして、珠生はぴたりと動きを止めた。ざ、ざ、と走ってくる足音がして、彰が体育館に飛び込んできた。少し後に、舜平も駆けつける。 「迂闊に入るもんじゃない」  彰は珠生の前に立つと、印を結んで目を閉じた。 「封魔霊光、急急如律令」  彰がそう唱えると、辺りを埋め尽くしていた駒霊の動きがぴたりと止まった。青い光が、すぅと弱まる。  すっと切れ長の目を開くと、彰はさらに呟いた。 「示せ」  彰の身体からまばゆい光が溢れ、珠生と舜平は思わず目を覆った。その光は空にまで駆け登り、体育館内にいる駒霊の群れと、空に立ち上っていた駒霊の群れをも一掃する。強い風が、体育館の中を駆け巡り、暗幕や緞帳を大きく揺らした。  珠生は目を細めて、光のなかに溶けこむように立っている彰の背中を見た。開いた脚を微塵も動かさず、黒いコートをはためかせて、彰はその光景をじっと見据えていた。  その光は瞬く間に収縮し、一本の細い光の筋となって体育館の一箇所を示す。  ステージ裏に向かって伸びる光が、珠生と舜平にもはっきりと見えた。  彰が印を解くと、体育館の中を荒れ狂っていた風が一瞬にして収まり、何事もなかったかのように静かになった。 「……すごいな、お前」  舜平がぽつりと呟いた。彰は横顔だけで振り返ると、唇をちょっと吊り上げて笑う。 「まぁね」 「ステージ裏……何かあるんでしょうか」 と、珠生はひくひくと鼻を蠢かしながらそう言った。 「行ってみよう」  三人は土足のまま体育館の中を進み、段差のあるステージの上にひょいと飛び乗った。  緞帳の裏には、ピアノやケーブル、アンプ、スピーカーなどがごちゃごちゃと置かれている。終業式後はここで部活も行われていないため、終業式の時に飾ってあった花や垂れ幕がそのまま置いてあった。 「……妖の臭いがするかい?」 と、彰は珠生に尋ねた。珠生は眉をひそめる。 「何か……変な感じです。これは……人間?」 「え?」  先に立ってい歩いていた舜平が、蠢くものに気づいて足を止めた。二人もそれに倣って立ち止まる。 「……何やろう。誰かおる」 「え?」  舜平が近寄った先には、式典などの際に体育館の中に敷き詰めるグリーンのシートが重ねられていた。スチール製の椅子で床を傷つけないようにするためのシートである。かなりの厚みと重みがあるものだ。それらは二巻ずつ重ねられてステージ裏の隅に置かれているのだが……その内の一つが微かに動いている。 「おい……これ……!」  舜平がそれに駆け寄って、急いで重なっているシートを移動させた。重たいシートとシートの間に、誰かが挟まって横たわっているのだ。 「女の子がおる! おい、縛られてるやん、大丈夫か?」  舜平は慌ててその少女を抱き起こし、口に貼られているガムテープを剥がし、手首に巻き付けられている梱包用の細い紐も何とか解いてやった。  珠生はその少女の顔を見て、はっとした。 「天道、亜樹」  そこでぐったりとしているのは、秋に珠生が駒霊を退治したときに出くわしたあの少女だった。忘却術を破り、記憶を取り戻しかけていたあの少女。 「この子……なにか変だな」  彰は舜平に抱えられている亜樹の傍らに膝をつくと、その額に手を当てた。珠生も彰の横に膝をついて、亜樹の顔をじっと見つめた。  明らかな暴行の痕があった。終業式は昨日だったから、丸一日ここに放置されていたことになる。珠生は眉を寄せて、痛ましさに顔をゆがめる。 「……駒霊は、この子に呼ばれてやってきたようだ」  彰は、亜樹の顔を見つめながらそう言った。 「え?どういうことですか」 「……この子には、鬼道を開く力があるのかもしれない」  彰は珠生と舜平を見ながら、そう言った。二人は訳がわからずに、目を見合わせた。 「なんてこと……」  三人が振り返ると、そこには葉山が立っていた。いつもの黒いスーツ姿で、険しい顔をして立っている。  葉山はつかつかと亜樹に近づくと、亜樹の額に手を触れた。 「この子……巫女の血の者じゃないかしら。この間は、気が弱くて分からなかったけど、今日はずいぶん強まってるのを感じる」 「巫女?」  舜平はが尋ねる。 「海の気配……例えば、厳島」  葉山の呟きを耳にした珠生の脳裏に、大鳥居の映える高舞台の上に立つ、黒髪の少年の姿が蘇った。 「……緋凪(ひなぎ)」 「海神を操った、あの少年(かんなぎ)のことか。業平様に話は聞いてる」 と、彰が言った。  舜平は緋凪を知らないため、話についてこれていない様子ではあったが、とりあえず黙って聞いている。 「何故……何の保護もされずにこんな所に。すぐに彼女の家へ行きましょう。話を聞かないと」 「保護って?」 と、舜平が口を挟む。 「陰陽師の血筋と同様に、霊力の強い巫女の血筋もまた、脈々と密かに受け継がれているの。放っておくと、その力に引き寄せられて妖が集まったり、自然と鬼道が開いてしまうといった非常事態を招くこともあるから、宮内庁が保護することになっているのよ」 「へぇ……。そしたら、こいつが」 「あの、天道さんのご両親は、すでに亡くなっているって、湊が言っていました。それで今は親戚の家に預けられているって」  珠生が葉山を見上げてそう言うと、葉山は頷いた。 「そう……そうなの。だから、正しいことが伝わっていないのね」 「それか、面倒になったその親戚が、何もせずに放置しているかだ」 と、彰は言った。 「何にせよ、僕も話をしに行くよ。業平様も、すぐには来れないだろうし」 「いいわよ来なくて。高校生がいたら、却って変でしょ」 と、葉山はむっとした顔で彰を見た。 「こういうことは僕のほうが詳しいだろ。説明は僕がするから」 「いいえ、これは私の仕事です。お子様は引っ込んでなさい」 「あの……とりあえず、天道さんも寒そうなんで……どこか暖かいところへ行きませんか」  言い合いをしている葉山と彰の間に珠生は割って入ると、二人を宥めながらそう言った。二人が同時に珠生を見る。 「珠生の言うとおりや。とりあえず、体育館は寒い。車に運ぼう」  舜平は亜樹を軽々と抱き上げると、さっさとステージを降りて体育館の中を横切っていった。珠生もその後に続く。  葉山は彰をちらりと見ると、「……分かった。あなたもついてきて」と言った。 「おや、いいのかい?」 「衰弱が激しすぎるわ。つれて帰って医者を呼んでもらいましょう。それに、早いうちにきちんと話をつけなきゃだめだわ」 「そうだな。行こう」  葉山はヒールを履いているのにもかかわらず、身軽にステージから降り立った。  彰は葉山の少し後ろを歩きながら、その髪が少し濡れているのに気づく。手を伸ばして、葉山の髪に触れた。 「濡れてる。風邪引くよ」 「……え? あぁ、急いでたから……って、そんなこと言ってる場合じゃないわ! すぐに乾くからいいわよ」 「後で暖めてあげようか」 と、彰がにっこり笑うと、葉山はやや赤面しながら彰を睨みつけた。 「こんな時に、なに余裕ぶっこいてんのよ! さっさと行くわよ!」 「……すみません」  葉山の剣幕に、彰は素直に従った。舜平が亜樹を葉山の車に乗せている。 「とりあえず、君たちは帰ってて。また連絡するからね」 「はい」  珠生と舜平が同時に返事をする。葉山はふと、舜平を見あげた。 「あれ? アメリカに行ってたんじゃなかったっけ?」 「年末年始はこっちで過ごすんです。一週間くらいしたらまた向こうに」 「そうなんだ! 良かった、いい時期に帰ってきてくれたわ」 と、葉山はにっこり笑って舜平の腕を叩く。 「珠生をちゃんと送って帰ってね」 と、彰はそう言い残すと、亜樹の横に乗り込んだ。簡単な手当を施すようだ。 「わかってる。連絡、待ってるからな」 「オーケー」  珠生と舜平は、学校の裏門から走り去る車を見送って、何となく佇んでいた。  珠生ははっとして、あたりを見回す。 「逃げなきゃ!」 「え?」 「俺、体育館のドアの鍵、壊したから……」  眼の前で起こった風景と、今珠生が心配している事柄の大きさの落差に、舜平は拍子抜けして吹き出した。舜平はひとしきり大笑いすると、憮然としている珠生をあやすように頭を撫でる。 「何がおかしいんだよ!」 「いや……何でもない何でもない。早う行こか。今ならまだ地下鉄も動いてるしな」 「うん」  二人は早足に、学校から離れた。  暗闇の中に鎮座している体育館は、今はいつもと変わらぬ表情へと戻っていた。

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