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18 悠一郎の写真

   北崎悠一郎は、昨日から大学で開催中のクリスマスイベントの係員にあたってしまっていた。  どうせ彼女もいないのだから、用事があるのは逆に気が楽ではあったが、次から次へと訪れるカップルたちを見ているのは、さすがに飽きた。  芸大というだけあって、大学のキャンパスはそこここに面白みのある仕掛けが施してある。  そのへんに何となく置いてあるオブジェも、この大学の卒業生が残していったものであり、大成している人物も多いので貴重品だ。  恋人を連れて歩く学生が、そんなオブジェについて我知り顔で説明し、それに対して彼女から尊敬の眼差しを得るという構図ももう見飽きた。背後からそっと近寄って、その間違った情報を意地悪く訂正してやりたいとも何度も思った。  悠一郎は革ジャンの腕に巻いた係員の腕章をちらりと見て、受付ブースから立ち上がる。そろそろ休憩だ。  昨日夜に降った雪が、うっすらと芝生の上に残っている部分もあったが、クリスマス当日は見事な快晴であったため、少しずつ溶けてきている。  午前中にここを訪れる者は少ない。カップルたちはどうせどこぞのホテルでまだ長寝中だろうと、悠一郎は一人で腐っていた。  悠一郎はチュッパチャップスを舐めながら、キャンパス内の東屋の中で、ぼんやりと空を眺めた。  青々した芝生と、晴れ渡った空を見ていると、何だか無性にサッカーがしたくなってくる。 「悠さん、何してるんですか」  ひょいと、首だけで仰のいていた悠一郎の視界に、珠生の顔が現れた。何の気配もなく現れた珠生に、悠一郎は仰天して身体を起こした。 「珠生くん、いい時間帯に来たなぁ」 「昼前がいいって言ってたから」 「ちょうどよかった。もー、暇やねんかー。あ、そうそう、昨日さ、結構ポストカード売れてん。あ、大丈夫! 売り物には珠生くんの顔入れてないしな!」 「うん、分かってるよ。でも、良かったね。綺麗な色だもん、悠さんの写真」 「え、やっぱりそう思う? 君はほんっまに俺のよき理解者やなぁ。飴をあげよう」  悠一郎はにこにこ笑って、珠生の頭を撫で、革ジャンの胸ポケットからチュッパチャップスのいちご味を取り出し、珠生に渡した。  珠生は素直に笑って、それを受け取った。くさくさしている所へやってきてくれた珠生の美しい笑顔を見ていると、心が晴れてくる。 「展示見るやろ? おいで」 「うん」  悠一郎はジーパンの尻を払って、校舎の方へ歩き出す。  珠生は初めて入る芸術大学という非凡な雰囲気のキャンパスを、興味深そうにあちこち見て歩いている。 「珠生くんも芸大受けたらええねん。絵、上手なんやし」 「うーん……でも、芸大で絵を専攻するとなると、だいぶ創造性がいるよね。……俺、気が向いたら描くって感じだから、義務になると辛いかも」 「そっか。まぁ確かに、のびのび描いてるほうが、君には合うてるかもしれんな」 「でしょ。……あ、ちょっと待ってください」  珠生はポケットから携帯電話を取り出した。 「はい。ええ、もう中です……え? 場所?」  不意に珠生に携帯を手渡され、悠一郎は驚いたがすぐに手に取った。出ると、聞き覚えのある声がする。 「あれ、お前……舜平か?」 『おお、北崎やん。久しぶりやな』 「アメリカじゃなかったんか、お前」 『二日前から帰っててん。ていうか、この展示の案内寄越したん、お前やんか』 「いやまさか、本当に来てくれると思わへんかったし」 「会ってから話せばいいのに」 と、珠生は悠一郎の腕をつついて言った。 「あ、そっか。お、来たきた」  悠一郎の目線の先に、電話を耳に当てたままの舜平が見える。広い芝生を挟んで遠目に見ると、背の高い舜平には華やかな存在感があった。舜平は二人の姿を確認すると、電話を切って手を上げた。 「舜平、久しぶりやなぁ! 結局半年ぶりやんか!」  悠一郎は駆け寄って、ばしばしと舜平の肩を叩いた。 「ああ、そうやな。元気やった?」 「うん、そりゃあもう。珠生くんと知り合ってから、創作意欲が湧いて湧いて。教授や周りからの評判も上々やねん! 全部珠生くんのおかげやで」 「へぇ」  舜平は黒い細身のパンツにいつものモッズコートを着て、にこにこしながら二人を見ている珠生を振り返った。首に巻いた白いマフラーがかわいい。  三人は写真・デザイン専攻の学生たちの展示スペースへと、脚を進めた。中へ入ると、一人で見に来ている若い男女や、近所からふらりと立ち寄ったような雰囲気の中年男性などが、思い思いに写真を見ていた。  白く明るい建物の中は、まるで美術館のようだった。天井は吹き抜けて高く、陽の光が差し込んで気持ちのいい明るさだ。 「普段はここ、カフェやねん。俺のは奥のほうやから、のんびり見てや」  悠一郎はそう言って、ちょっと仕事があるといい、受付の方へ駆けていった。  珠生と舜平は、何となく連れ立って写真を見ながら歩いた。  一枚の大きな写真に全てを賭けているものもあれば、小さな写真と、PCで作成した映像を併せて展示しているものもある。また、写真と言いながらカメラだけがぽつんと置いてあるものもあった。 「写真ちゃうやん、カメラやん」  舜平がもっともなつっこみを入れるのに、珠生は笑った。舜平はあまり芸術系には興味が無いと言いながらも、珠生に説明を求めたり、感想を呟いたりしながら丁寧に作品を眺めていた。 「うわ、気持ち悪」  写真にとった裸の人体をばらばらにして、赤いフィルムを貼りつけてあるといった展示の前で、舜平は眉を寄せてそう言った。 「声がでかいよ」 「あ、すまん」  珠生に注意されて、舜平は小声で謝った。 「こんなん撮るやつもおるんやな。俺には分からへんセンスや」 「でもタイトルが、”再生”……だから。この先ここからまた何か生まれるんだよ、きっと」 「ふうん……。そう思ってみれば、見れなくもないか。なるほど……うーん」 「いや、見方は人それぞれだと思うよ。……たしかに気持ち悪いしね」  二人がひそひそと喋りながら進んでいると、ちらちらと周りの視線を感じた。見咎められているのかと思い、舜平は咳払いをした。 「あの……」  大きな一眼レフカメラを肩にかけた女性が、珠生たちに声をかけてきた。 「あ、すいません。うるさかったですよね」 と、舜平が思わず謝ると、三十代後半に見える女性は手を振って笑った。 「ううん、違うんです。あの……この先にあった写真、写ってるのあなたですか?」  おそらく悠一郎の作品のことだろう。珠生は頷いた。 「はい、そうです」 「そっかぁ。いや、きれいな子やし性別もよく分からへんかったから、CGで作った画像を写真に合成したんかと思ってたんですけど。すごい、本物や」 「はぁ」 「あなたが撮ったの?」 と、女性は珠生に尋ねた。 「え?いいえ、俺はただ協力してるだけで」 「あら、作者さんに会いたかってんけど……、あなたじゃないわよね」 と、舜平を見上げて、女性は首を傾げた。 「ちゃいますちゃいます。俺はこういうの、まったくやから。作者は俺の同級生なんですよ」  舜平が苦笑すると、女性もやっぱりという顔で頷いた。舜平はそれに少し傷ついたような表情を浮かべている。 「あの……受付にいるって言ってましたよ。黒い革ジャンと黒いブーツを履いた、髪の長い男の人です」 「あらそう、ちょっと行ってみよかな。いい作品やったよ、これからも楽しみにしてるわ」 「ありがとうございます」  珠生は悠一郎の作品が褒められたことが我が事のように嬉しくて、にっこり笑った。女性も微笑んで、建物を出ていった。 「好評やん。どれどれ、見てやろう」  舜平はそう言って、悠一郎のブースに進んでいった。珠生も後から付いて行く。  悠一郎のスペースは、そこだけこんもりとしていた。  タイトルは、”とある少年の見た世界”とあった。  正面に立って作品を見る。  珠生は言葉が出なかった。  壁に四季を表現するオブジェを貼り付けているため、悠一郎のスペースは立体的だった。   春は桜、夏は緑の葉、秋は紅葉、冬は南天と、四季折々の植物を中心に、まるで森の中を覗いているような気分にさせられる。  そして、その植物の下に、写真が数枚ずつ展示されていた。  風景写真と、珠生の映った写真が、不規則に並んでいる。  写真だけではなく、植物をモチーフにしたテザインオブジェとの融合が、とても美しいと思った。  春は、珠生が鴨川で楽しげに笑っている写真だ。輝くような色使いの写真と、珠生が気に入っていた桜と白い猫の写真が展示されている。夏は、珠生の横顔と白いTシャツの肩だけが写っており、あとは海と太陽の写真だった。  秋は、大原で撮った紅葉と、淋しげに微笑む珠生の笑顔。そして紅葉の絨毯を踏みしめる白いスニーカーの図。  そして冬は、和服の珠生が、うら寂しく朽ち果てそうな家屋の前で、厚手の羽織りを軽く引っ掛け、気だるそうにこちらを眺めている写真と、霜柱と冬山が映った、遠近のはっきりした構図の写真だった。  四季の写真の中心には、伸びた青い葦を撫でる珠生の白い腕が写っていた。青い空と白い雲と、珠生の白い肌が眩しい。  舜平も何も言わず、ただその作品に魅入っているようだった。  自然の中にある珠生の姿は、どれも伸びやかで美しい。その存在は自然の一部であり、そこが彼の住処であるように見えた。  千珠がそうであったように。  青葉の美しい自然の中を、自由に駆け回る千珠はとても自由で、美しかったことを思い出す。  森も山も川も、その風景に溶け込む千珠の姿を見るにつけ、彼が自然に愛されているということを感じていた。  また珠生も。  自然が彼を異物と思わず、自分たちの中に受け入れていることが感じられた。それ故に、この写真は美しいのだ。 「お前は……今世でも自然に愛されてんねんな……」  ぽつりと、舜平がそう呟いたのを聞いて、珠生は作品から目を話して舜平を見あげた。 「千珠も、そうやったもんな」 「え?」 「ほんまに、ほんまにきれいや」 「……そうだね」  珠生ははっとした。舜平の目が、微かに潤んで揺れているのを見たからだ。  そっと腕に触れると、舜平はぴくっと身体を揺らして珠生を見下ろした。そして、ちょっと笑う。  珠生も微笑んで、舜平のダウンジャケットを引っ張った。 「行こう……」  少し混みあい始めた建物から、二人は外へ出た。  +  +  外に出て二人が無言で歩いていると、受付の方から悠一郎が戻ってくるのが見えた。  悠一郎も二人に気づくと、笑みを浮かべて駆け寄ってくる。 「おう、どうやった?」 と、悠一郎は少し緊張した面持ちで二人にそう尋ねた。 「すごく綺麗でした。まさか立体と写真を展示してるとは思わなかったから、いい意味でびっくりしたし」 「そう? どうしても自然を取り入れたくてさ、立体はあんまり得意じゃないから頑張ったんやでぇ」  珠生の賞賛に、悠一郎はにこやかにそう言った。 「北崎、見なおしたわ。前もって何枚か写真は見とったけど……ああやって飾ってあると雰囲気が全然違うな」 「本当? いやぁ、嬉しいなぁ。芸術を解さない舜平にもそう言ってもらえるなんて」 「前言撤回したろか」 「あ、うそうそ。嬉しいわぁ、ほんま。舜平が珠生くんと友達じゃなかったら、この作品は生まれへんかったわけやし」  ふと、悠一郎は舜平と珠生を見比べて微笑んだ。 「それにやっぱり、二人は一緒にいると絵になるな」 「何言ってるんですか」 と、珠生が少しばつが悪そうな顔をした。  以前、舜平の写真を見せられた時に泣いてしまったことを思い出したのだ。悠一郎は何も言わず、そんな珠生と舜平の関係を掘り下げることもなく、受け入れている様子だった。  実際、いつもよりも珠生の表情がいいように思えた。  特に、笑った顔がいつもより素直で、可愛らしく見える。  ――ふたり一緒に居るのが、いいんやな。  悠一郎はそう思って、肩にかけていたカメラに手を伸ばしかけたが、やめた。この顔は、自分が切り取っていいものではないと感じたのである。 「学食で飯でも食っていかへん? 俺、まだ休憩やから」 「お、ええなぁ。芸大の学食」 と、舜平。 「メニューはよそと大して変わらへんけどな」  悠一郎は笑って、二人を案内して学食へと向かった。

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