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23 なすべきこと

 重たい体を引きずって、湊との待ち合わせ場所へと向かう。  地下鉄丸太町駅から地上に出ると、烏丸通と丸太町通のぶつかる交差点に出る。湊は歩道と道路を隔てる柵の上に腰掛けていた。 「どうしたん? なんか、目、赤いで」 「え?いや……ちょっと寝起きで」 「ふうん。また夜更かしか」 「……うん」  湊はそれ以上何も聞いては来なかった。ポケットからスマートフォンを取り出すと、湊は北に向いて歩き出す。 「天道のやつ、どんな顔して来るんやろうな」 「中学の時、そんなに荒れてたの? 今も女子にあんな嫌がらせされるなんて、異常だよ」 「会えば分かると思うけど、あいつほんまに口悪くてな。……まぁ、事情を聞くと、身を守るために意地張ってただけやったんやろうけど。不器用なやり方や」 「そうだね……」 「まぁ、これで少し落ち着けばええな」  湊は微笑んで、隣を歩く珠生を見た。湊は黒いコートに黒いズボンを履いていて、まるで忍装束を身にまとっているかのようだ。  珠生はベージュのフード付きコートを着ているが、それは千秋が飽きたと言って寄越してきたお下がりであるため、女物だ。前を留める金色の金具は女性ものっぽさを物語っているが、珠生にはよく似合っている。 「ここやな」  湊が見あげた建物は、京都らしからぬ趣の、古びた洋館だった。鉄格子の様な門扉に、椿が活けてあるのが目を引く。  かつては白かったのであろう建物の壁は、今はうっすらと黒くくすんでいて、蔦の葉が伝っている。尖った屋根の上には、風見鶏が立っていた。  烏丸通から二筋入っただけの場所なのに、そこはえらく静かだ。近所の家々もそこそこの大きさのものばかりだが、真夏の真昼間の今は人気がない。  珠生たちの顔ほどの高さの石塀に囲まれた敷地の中は見えず、そこに人がいるのかいないのかもわからなかった。 「なんか……不気味だな」  珠生はその洋館を見上げて呟いた。湊も頷く。 「土御門邸とはえらい違うな」  珠生はふと、広大で雅やかな寝殿造りの陰陽寮土御門邸を思い出した。黒装束の陰陽師たちが闊歩していたあの風情のある館は、当然ながらもうここには存在しない。  しんとした家の前に佇んでいると、車のエンジン音が聞こえた。二人がそちらを見ると、葉山の車が角を曲がってこちらへ向かってくるところだった。  葉山は二人を認めると、窓を下げて笑顔を見せた。 「すぐ分かった?」  葉山が車から降りて、二人にそう尋ねた。ちゃんと眠ったらしく、前回よりもずっと顔色がいい。 「はい」 「そう、良かった。さぁ、亜樹さん、どうぞ」  車のドアを葉山が開けてやると、そこから制服姿の天道亜樹がおずおずと降りてきた。その後から、彰が降りて来る。  亜樹は門扉の前に立っている二人を見て、はっとした。 「……柏木、沖野……」 「どうも」  湊はそう言って軽く挨拶をする。あまり面識のない珠生は、ぺこりと会釈した。 「今日からここが、君の家だ」  彰は呼び鈴を鳴らしながら、亜樹を振り返ってそう言った。亜樹は戸惑った顔で、その古びた洋館を見上げる。 「学校も更に近くなるだろ?」 「……はい」  彰に対して、亜樹はいつになく礼儀正しく返事をしている。湊は目を丸くしていた。  その時、がちゃりと門扉が開いて、和服姿の初老の女性が姿を現した。一同を見て、にっこりと微笑む。 「……お待ちしてましたよ。佐為様」 「どうも、柚子さん。おじゃましますよ」  佐為と呼ばれている彰を見て、珠生と湊はまた目を見合わせた。  さっさと中に入っていく彰と、葉山に促されて中へと進む亜樹について、二人もゆっくりと歩を進めた。  重々しい扉を開け、中へ入る。屋内は、思ったよりも明るく広い空間だった。  きれいに掃除され、あちこちに花が活けてある廊下の様子からは、宮尾柚子という女性の心配りが感じられた。  広いリビングに通されると、広い庭に向けて出窓が開け放たれ、明るく清々しい空間が広がっている。少し緊張していた亜樹の表情が、少し緩む。 「どうぞ、お好きな所にお掛けになって」  柚子はゆったりとした動作で皆にソファを勧めると、キッチンへでも行くのか、姿を消した。 「先輩、佐為の名で呼ばれてるんですね」 「うん、彼女には僕も小さい頃から世話になってるもんでね。幼い頃は斎木の名で呼ばれることがとても嫌で、彼女にはずっと昔の名で呼んでもらっていたんだ」 「へぇ」  幼い頃の斎木彰の姿など想像もつかなかったが、彰がえらく宮尾柚子を信頼していることは伝わってくる。珠生はふと、亜樹の様子を窺った。  亜樹はぼんやりと窓の外を眺めている。大人しくしている亜樹を見ていると、彼女の横顔には何となくあの緋凪の影が見えるような気がした。  ちら、と亜樹が珠生の視線に気づいてか、こちらを向いた。  黒目がちの大きな目だった。気の強そうな眉毛と、その上でばっさりと切った前髪、さらりとしたショートボブの黒髪。気の強そうなきつい眼差しに、珠生はぎょっとしてしまう。 「……なに見てんねん」 「いや、何でもない」  つんつんした亜樹の声に、珠生はおとなしくそう答えた。亜樹は珠生の方に向き直ると、じっと睨むように珠生を見た。 「あんたにも、人とは違う力があるんやって?」 「え、あ、うん……」 「……信じられへん」  亜樹は少し苛立ったように、そう呟いた。まだまだ混乱しているらしい。珠生にはその気持ちが痛いほど分かったが、亜樹の刺々しい空気に気圧されて、何も言えなかった。  柚子がお盆に紅茶を載せて入ってくると、膝をついて皆にカップを配る。柚子は終始にこにこしていた。 「あなたが天道亜樹さんね。私は宮尾柚子と申します」 「あ、どうも……」  亜樹の前に膝をついたまま、柚子はにっこりと微笑んだ。 「色々と、辛かったでしょうが、今日からはここを家と思って、ゆっくり過ごしてくださいな」 「……はい」  亜樹は警戒の色を浮かべながらも、軽く頭を下げた。 「ここで過ごしつつ修行をせよと佐為様はおっしゃるかと思いますが、修行といっても、なにか大層なことをするわけじゃありません。見た夢のこと、見えた妖のこと、それを見て感じたことを、毎日私に報告してもらう、それだけです」 「……話すだけ?」 「そう。ゆっくりやって行きましょう。時間はまだありますから」  柚子はそっと亜樹の手に自分の手を重ね、微笑んだ。  珠生には、その言葉の一つが気になった。 「……時間、とはどういうことです?」  声を発した珠生に、柚子はゆっくりと視線を移した。穏やかな目だが、全てを見透かすような否応のない強さも見て取れる。そういう目つきは、葉山のそれとよく似ていた。  亜樹も、じっと柚子を見ている。柚子は微笑んで、ぽんぽんと、亜樹の手を優しく叩いた。 「亜樹さんにも、巫女として務めて欲しいことがあるのです」 「え?」 と、亜樹。 「今年の夏、鹿児島県の霧島神宮で行われる神事で、神託をいただくための巫女を務めてもらいたいと考えているんです」 「神事?」 と、湊。 「古から続く儀式の一つです。神事というと、形式だけのまじないを執り行うものも多いのですが、霧島神事は違うのよ。神降ろしにふさわしい器となる巫女の存在があれば、本物の神託を頂くことができると言われているの」 「……」  突然話が飛躍したような気がして話題についていけず、珠生と湊はまた目を見合わせた。亜樹も怪訝な表情である。 「つまりは君には、神の憑座になってもらいたいってことだ」 と、彰がきっぱりとした口調でそう言った。 「神の、憑座?」 「神事で神を君の身体に憑依させ、その後百年間のうちに起こるである災厄と、それを防ぐための(すべ)を教えていただくというわけだ」 「そんなこと……、聞いてへん」 「それが君の、巫女としての務めなんだ」  突然あまりに大掛かりな話になり、亜樹が怯えている様子が見て取れた。葉山はため息をついて彰に近寄り、持っていたクリアファイルで、彰の頭をポンと叩いた。 「あなたはどうしてそういう言い方しかできないの? 怖がってるでしょう?」 「……ぽんぽん人の頭を叩かないでくれるかな」 と、彰はやや不機嫌な顔で葉山を見あげた。柚子が笑う。 「まぁまぁ、佐為さま、仲がよろしいこと」 「宮尾さん、そういうのはいいですから」 と、葉山がぴしりとそう言う。 「……とにかく。何も怖いことはありません。あなたはただ、ここで宮尾さんと、」 「ちょっと待ってよ、勝手に決めんな!」  亜樹は柚子の手を振りほどいて、勢い良く立ち上がった。怯え、戸惑い、怒り、色々な感情がその目に渦巻いている。 「急にこんなことになって……神とか厄災とか……意味わからん! それに、うちがそのためにここにいるとか……勝手に決めんな!」 「亜樹さん……」 「うちはあの家を出たかっただけや!そんなことやらされるために、ここへ来たわけじゃない!」 「亜樹さん、聞いて……」  葉山が声をかけようとするのを、彰が手で制した。 「力があると言われて、嬉しかったでしょう?」  柚子が、静かにそう言った。亜樹はきっとなって、柚子を見下ろす。 「その力を認めてもらえて、嬉しかったでしょう?だからここへ来たのでしょう?」 「……それは……!」 「ご両親から受け継いだ力、無駄にするのですか? もっと知りたくないですか?あなたの力のことを」 「……」 「何もすぐに返事をする必要はありません。あなたには断る権利もあるのだから。……もうしばらく、ここにいて、ゆっくり考えてみて」 「……でも!」 「あの家に戻るより、ここにいたほうがきっとあなたは幸せですよ。あなたの境遇や戸惑いを分かってくれる、同級生も現れた」  柚子は珠生を見た。 「彼もあなたと同じように、訳のわからぬままに騒動に巻き込まれた一人でした。それでも彼は、戸惑い苦しみながらもきっちりと努めを果たしたんです」  珠生は驚いて、目を丸くした。何でそんなことを知っているんだろうか。 「……柚さんには、僕が全て話しているからね。十六夜のことも知っているし」 と、彰。 「あ、そうなんだ……」  亜樹になぜか睨まれて、珠生は目を瞬かせる。 「沖野のことなんか知らん! あたしはあたしや! 関係ないやん!」 「……何で睨むの」 と、あまりにも強い目で睨むので、珠生はこわごわそう言った。 「しかしまぁ、君にはもう帰る場所がない。とりあえず、ここでしばらく落ち着いてみることだ」  彰が亜樹を宥めるように言葉をかけた。彰には何も言えないのか、亜樹は怒った顔のまま靴下裸足で庭へ出ていってしまった。  葉山は腕組みをしてその様子を見ていたが、不安げに柚子に訊ねた。 「……大丈夫ですか? 今までになく、強気な女の子ですが」 「混乱しているだけですよ。彼女はきっと、努めを果たしてくれます。私に任せてくださいな」  柚子は事も無げに笑ってそう言った。 「柚さんなら大丈夫ですよ。僕が保証します」 と、振り返って彰もそういった。葉山は肩をすくめた。 「珠生は災難だったね」 と、彰が眉を下げる。 「いいえ……まぁ、気持ちは分かりますから」 「高二でクラスが同じになるといいね」 「え、それはちょっと……」 「あははは、やっぱりびびってるんだ」 「びびってませんよ」  珠生が唇をとがらせる。彰は可笑しそうに笑って、紅茶を一口飲んだ。 「そうそう、君たちも、神事には来てもらうからね」 「ええっ? 何でですか?」  湊が困惑した顔でそう言うと、彰はまたにっこりと笑った。 「神事は大事だからね、山の妖も騒ぎやすくなる。巫女を守るために、周りをしっかり固めておく必要があるのさ」 「……はぁ、なるほど」 「九州でしょう? だいぶ遠いけど……いつやるんですか」 と、珠生。 「夏休みだよ。盆前くらいだな」 「……補習にかぶらへんかな」 と、湊。 「君の成績なら、補習にはいかなくても問題ないよ。珠生も大丈夫だろうが、念のため家庭教師は続けさせてもらう」 「……はぁ」 「君は放っとくと、どんな荒れ方をするか分からないからな」 「……うーん」  珠生は言い返せずに、黙った。葉山は苦笑する。 「まぁ詳細は、またちゃんと話すから。今日はありがとう。顔合わせもできたしね」 「珠生くんは、すっかり落ち着かれたんですね」  柚子が微笑んで珠生を見る。 「はい。今はもう。みんなのお陰です。湊は同じクラスだったし」 「そうですか。何よりです。湊さん、亜樹さんのことも、学校ではよく見ていてあげてね」 「……それは、努力します」  湊はそつなくそう言ったが、目線は軽く泳いでいた。 「珠生はびびってるから、君が頼りだよ」 と、彰も湊にそう言った。 「びびってないってば」  珠生がそう言うと、皆が笑った。

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