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七、旅のしおり

 土曜日。今日は宮尾邸にて、神事の打ち合わせをする日である。  のんびり朝寝を貪った珠生は、寝ぼけ眼をこすりながら、久しぶりにEメールを確認してみることにした。  父親から大量のメールが送られているのを見て、珠生は苦笑する。コーヒーを飲みながら、簡単な返事をいくつか送った。  写真付きのメールもある。添付ファイルを開いてみると、そこには数名の白衣を着た学生たちと共に、大掛かりな設備の前で撮影した集合写真があった。  金髪や、黒人、東洋人……ありとあらゆる人種の中、中心で笑顔を見せる父親は、日本にいるよりもずっと活き活きとして見えた。  その中に、舜平の姿を見つける。  二列に並んだ研究者たちの後列の中ほどに屋代拓と並び、笑顔で写っている舜平の姿。  白衣姿を見るのは久しぶりだ。背の高い舜平は、諸外国人の中に違和感なく溶け込んでいる。充実した笑顔を浮かべて、満ち足りた表情をしているのを見て、珠生の胸は否応なく高鳴った。  液晶画面の中にいる舜平に触れてみようとして、やめた。    ――声が聞きたい。体温を感じたい……眠らせていた感情が身体に蘇る。 「……舜平さん」  呟いた声が、しんとした部屋の中へ溶けていく。 「……俺は、平気だよ」  自分に言い聞かせるように、珠生は一人、呟いた。    +  +  珠生は一人、浮かない気持ちで宮尾邸への道のりを歩いていた。地下鉄の駅からは徒歩五分程度、定期券内で動けるのは有りがたい。湊の自宅と宮尾邸はえらく近所なので、きっと自転車でやってくるだろう。  朝っぱらから舜平の写真などを見てしまったから、珠生の気持ちは揺らいでいた。これで亜樹に憎まれ口を叩かれるのかと思うと、またさらに憂鬱になる。  昼過ぎの日差しはきつく、珠生は眩しい太陽を仰ぎ見る。 「暑い……」  京都の暑さは異常だ。湿度は高いし日差しは容赦なく突き刺さって来るし、まったく風を感じない。  今夜あたり、比叡山にでも行ってみようかと考えながら、珠生は宮尾邸の呼び鈴を押した。  湊の自転車がすでに停めてあるのを見て、珠生は少しほっとする。  玄関で迎えてくれた柚子についていくと、珠生は前回通されたリビングへ案内された。程よく涼しくされた快適な部屋の中で、湊はすでにアイスティーを振舞われている。 「お、珠生。暑いなぁ、今日は」 「うん……、やばいね」 「さぁ、珠生くんもどうぞ」 と、柚子に勧められてアイスティーを一口のんだ珠生は、その美味さに舌を巻く。 「おいしい! これ、どうやって作るんですか?」 「あら、嬉しい。これはね……」  珠生が柚子にレシピを聞いていると、二階から亜樹の足音がした。亜樹はリビングのドアを開けて、二人がすでにいることに驚きの表情を浮かべている。 「もう来てたん?」  二人の座っているソファの方へ歩いてくる亜樹の私服姿が意外と可愛らしいことに、二人は驚愕していた。  ぴったりとした黒いTシャツに、涼し気な青と白のタータンチェック柄のミニスカートと、黒いニーハイソックスを履いている。すらりとした脚に、ボックス型のミニスカートがよく似合っていた。 「……なに?」  二人の視線に、亜樹は胡散臭げな目付きを向ける。 「別に」  二人は同時にそう言うと、目をそらして再びアイスティーを飲む。 「柚さん、うちも飲みたい」 「はいはい、ありますよ」 「あれは? 昨日食べたクッキーある?」 「あれならキッチンの棚の中やし、取ってきて」 「はーい」  しばらく見ない間に、二人の会話はまるで親子のようなものになっていた。そのことにも驚いたが、亜樹が柚子の言うことは素直に聞いているということも驚きだった。 「……なんか、色々と意外やな」 「うん。俺もそう思ってたとこ」  二人がそんなことを言い合っていると、藤原と葉山、そして彰がやって来た。 「わぁ、業平様。お久しぶりですね」  珠生と湊は立ち上がって、笑顔でそう言った。久しぶりに藤原の顔が見れたことが嬉しかったのだ。 「久しぶり。十六夜以来だから、もう一年ぶりになるのかな? 今回私は大した用事はなかったのだが、君たちの顔が見たくてね」  藤原はにこにこ笑いながら、一人がけ用のソファに腰を下ろして、珠生と湊の顔を見比べた。 「ふたりとも、少し背が伸びたんじゃないか?珠生くんは、気も安定しているね、いいことだ」 「ありがとうございます。お陰さまで」  彰と葉山が藤原の後ろに立つと、たくさんの部下を引き連れていた黒装束の業平の姿が蘇ったように見えた。  そこへ亜樹がクッキーの入った缶を持って戻ってきた。初めて眼にする藤原の姿に、目を丸くしている。 「……誰?」 「君が天道亜樹さんだね。この度は、霧島の神事の件、引き受けてくれてありがとう。日本政府を代表して、君に礼を言うよ」  藤原は立ち上がり、丁寧にそう述べると、大きな手をすっと差し出した。おずおずと歩み寄ってきた亜樹が、そろそろとその手を握る。 「私は藤原修一と申します。ここにいる佐為と葉山の上司といったところかな」 「サイ?」 「僕の前世の名だ」  疑問符が浮かび上がっている亜樹に、彰は冷静にそう言った。いつもお洒落な彰だが、今日は紺色のTシャツにベージュの綿パンという、いたってシンプルな格好をしていて涼しげだ。 「私も転生者だ。亜樹さんの力は理解している。何も怖がらず、この国に力を貸してくれたまえ」 「……はい」  亜樹はクッキーの缶を抱えたまま、こくりと素直に頷いた。いかにも権力を持っていそうな藤原を前に、どことなく畏れを抱いているようにも見えた。  すると葉山がバッグからファイルを取り出し、皆に冊子を配り始めた。  めくってみると、それはまるで修学旅行のしおりのように、細かな日程が書き込まれている。後ろの方には、持ち物まで書いてあった。 「なんやこれ、まるで修学旅行のしおりやな」 と、湊が冊子をめくりながら、珠生の思っていた通りのことを口にした。葉山はにっこり笑う。 「そうでしょう? 作ってて懐かしくなっちゃってさ」 「何ですか、この自由時間@鹿児島空港って」 と、珠生。 「おみやげ買う時間はそこしかないわよ」 「遊びに行く感じ満々じゃないですか」 「まぁ忙しくなるから、最後くらいはと思ってね。まぁいいから、説明をはじめるわよ」  葉山がぱんぱんと手を叩くと、皆が静まり返ってソファに座る。亜樹も熱心に冊子を見ていた。彰は窓辺に立ったまま、パラパラと冊子をめくっている。  まず出発日時や飛行機の便、宿泊場所、現地での移動手段等のおおまかなことが説明された。  葉山はまるで教師のように、しおりに沿いながらきちきちと説明していく。  出発日は八月五日、滞在期間の一週間を経て、京都帰着は八月十二日だ。鹿児島までは飛行機で向かい、現地にて鹿児島に出向している宮内庁特別警護担当官と合流せよとのことであった。  鹿児島空港から霧島神宮までは車で一時間程度。かなり山奥になるという。しかしそこは有名な温泉地でもあり、滞在中はとある温泉旅館をひとつ貸し切るということであった。  現地では神事を行うにあたっての準備もあり、亜樹の力を高めるための儀式や禊といった予定が組み込まれていた。  衣装合わせというよく分からない時間も入っており、珠生は首をひねった。  また、夜の警備担当というところに、ローテーションが組まれていた。珠生、湊、彰の名前と、見慣れない”墨田”という名前が書かれている。 「この時期、巫女が来たことを察して、妖の数が増えると思うから。しっかり追い払ってね。巫女の血は妖たちにとってはごちそうなのよ」 と言って、葉山が笑うと、亜樹がさっと青くなる。  この地は有名な観光地でもあるが、この一週間は一般人の入山を制限し、神事のために清めの儀式を行うという。そういった儀式のたぐいは、地元の宮司連盟及び、再び(みやこ)の陰陽師衆が行うことになっているとのことであった。 「じゃあまた藤原さんの弟さんとか、葉山さんの妹さんが来はるってことですか? 舜平の親父さんとか」 と、湊。 「葉山や私の家族は来るが、相田くんのお父さんは来ないよ。盆の前後、お坊さんは忙しいからね」 「あ、そっか」 「ちなみに、向こうに出向中の職員というのは新人でね」 と、藤原はちらりと彰を見て、 「君は彼に会ったことがあるね? まだ中学生くらいの頃だったか」 と訊く。彰は無表情に、頷いた。 「はい。彼は大学を出てすぐに入庁したんですよね。あんな奴でも、一応国家公務員か」 「あんなやつ?」 と、亜樹が反応する。 「人のことは言えないけど……彼もかなり性格のねじ曲がった人物だということは言っておこう」 「分かってるんじゃないの」 と、葉山が口を挟むと、彰がチラリと葉山を見て咳払いをした。 「まぁ、腕はいいらしいから。僕としてはきちんと仕事をしてくれればそれでいい」 「らしい……って。あまり関わりがないんですか?」 と、珠生が尋ねると、彰は微笑んだ。 「まぁね。小さい頃しか関わりなかったし。十六夜の時はやつを呼ばかったから、実際彼がどういう術の使い方をするのかは見たことがないんだ」 「へぇ」 「ま、とにかく。実際神事でどういうことをするかについては、向こうに行ってから話します。とりあえず、日程等のことはご家族にはちゃんと伝えておいてね」  葉山は湊と彰を見てそう言った。珠生は一人暮らし状態だし、亜樹は全てを知っている柚子が今は家族だ。  湊は膝に肘をついて、少し低いテーブルに置いた冊子をめくりながら、ため息をついた。 「昔とはえらい違いますねぇ。あまりにも現代風で、俺はついていかれへんわ」 「確かになあ」 と、珠生。 「まぁ、準備は必要やな。昔とはちゃうもんな」 と、湊は自分に言い聞かせるようにそう言った。 「はは、まあそういうことだ。君たちは、ちゃんと家族のある高校生だからね。きちんと段取りはしておかなければいけない」  藤原はおっとりとそう言った。 「さて、今回伝えることは以上だ。何か質問は?」  ぐるりと若者を見回して、藤原がそう尋ねると、高校生たちは顔を見合わせて首をふった。 「結構」  藤原はにっこりと笑い、アイスティーを美味そうに飲み干した。

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