143 / 530

九、天孫降臨の地

 関西国際空港に到着し、一行はぞろぞろと空港へと入った。  否応なく、ここで舜平を見送った時のことが思い出される。彰の計らいで舜平を見送ったあの日から、もうすぐ一年が経とうとしていた。  雑踏の中に、つい舜平の姿を探してしまう自分が女々しくて嫌だった。珠生は唇を噛んで、先頭を行く葉山の背中を追う。隣を歩く彰が、ちらりと珠生の横顔を見やった。 「もうすぐ、帰ってくるね」  彰の言葉に珠生は顔を上げた。 「もうすぐ一年だ」 「……はい」 「それにしちゃ、浮かない顔だな」 「……また、いつものように離れられなくなるのかと思うと、少し逆に不安です」 「まったく……昔から君は、悩みぐせが治らないね」  彰はにっこり笑ってそう言うと、歩きながら珠生の肩をぎゅっと抱いた。  背後からそんな二人の様子を見ていた亜樹はぎょっとしている。 「え。斎木先輩って、そうなん? そういう趣味なん? せやから沖野にいつも優しいってこと?」  ひそひそと湊に耳打ちする亜樹は、そう言いながらも二人から目を離さない。湊は呆れて、 「そんな訳ないやん。……斎木先輩、多分彼女おるんちゃうかな」 「えっ、誰? 学校の人?」 「いや……俺が思うに……いや、確証のないことは言われへん……」 「は? もったいぶっといて何やねんそれ!」  二人が話しているを耳にした途端、何だか急に現実に引き戻されたような気分になり、珠生は咳払いをした。ちらりと彰を見上げると、二人の会話などどこ吹く風といった様子で余裕の笑みを浮かべ、飄々と人混みの中を歩いている。  +  +  さて、一行は無事に鹿児島空港へと降り立った。  飛行機の中では葉山の隣に座った亜樹は、初めて乗る飛行機に怯えたり感動したりと忙しかった。亜樹も葉山が隣だと素直にはしゃいだ表情を見せることができるようだ。葉山は和やかな気持ちで、亜樹のことを見守っていた。  さて、空港では、鹿児島に出向している葉山の後輩が迎えに来ているはずだ。葉山は携帯でその男と連絡を取っているのか、空港のバス停の辺りで皆を待たせている。  鹿児島の空は青く、澄んでいた。  京都よりも気温は高いはずなのに、体感温度はそれほどでもない。むしろ清々しい風を感じることが出来て、珠生は深く息を吸った。 「おい、君……斎木彰じゃろ? なぁ、そうじゃろ」  ふと、低い男の声がして高校生たちは振り返った。ベンチに座っていた亜樹と湊、その後ろに立っていた珠生と彰の視線が、一斉にその男に注がれる。  坊主頭の、大柄な男が立っていた。  その男は半袖の白いワイシャツにネクタイはなしで、黒いスラックスを履いている。パッと見は、まるでスポーツ選手のような体格の良さで、どうみても普通の勤め人には見えない。 「……(あつし)?」  彰がその男の名前らしきものを呟いた。男はぱっと顔を輝かせて、彰の手をグイグイと握って握手した。 「久しぶりじゃなぁ! お前が中学生じゃったかのぉ、何年ぶりじゃろうな!?」 「……そうだっけ?」 「なんじゃい、相変わらず冷たいなぁ。お前がこんな力持っとるとはあん時は全く分からんかったけど……いや、すごいわ。お前があの佐為さまとはな」 「まぁね。頭が高いよ」 「変わっとらんなぁ、そういう偉そうなとこ。……ほんで、君が……千珠さまか?」  敦と呼ばれた男は、ぎらぎらとした大きな目に興味津々といった表情を乗せて、珠生の顔を覗きこんでくる。迫力のある二つの目に見据えられ、珠生はきょとんとしてその男を見返した。  敦はぐいと彰を押しのけると、じっと珠生に近寄った。 「ほえ〜、現世でも期待を裏切らへんべっぴんさんじゃなぁ〜」 「……俺、男です」 「分かっとる分かっとる。君があの当代最強の半妖の鬼、千珠さまとは……。本物? 本物なんか?」 「僕が保証するよ」 と、珠生を守るように彰が二人の間に割って入りながらそう言った。 「あ、こんなとこにいたの!?」 と、葉山が早足に戻ってくると、敦はいきなりしゃきっと背筋を正して葉山に一礼した。 「すみません。夏休みなので人が多く、車は少し離れた場所に停めました」 「あ、そう。みんな、こちらは私の後輩の墨田敦くんよ」 「以後お見知りおきを。この度は、霧島神宮の神事にご協力いただき、本当にありがとうございます」  突然慇懃な態度に変わった敦を、珠生・亜樹・湊は胡散臭げに見上げ、彰は大あくびをした。  +  +  ミニバンに乗りこみ、一行は鹿児島市内へと走りだした。  敦が乗ってきたのは有名なドイツ車だ。思いの外ゆったりとした車内で、ほっと一息つく。  適度にきいた空調や、高級感のある革張りのシートにもたれて、珠生はため息をついた。慣れない長旅はつかれるものだ。  珠生と湊は一番後ろの列に乗り込んでおり、その前に彰と亜樹が三人掛けの席に距離をとって座っている。助手席は葉山だ。  葉山と敦は何やら打ち合わせをしている。低い声で話をしている二人の声と、微かに流れるカーラジオのクラシックが、珠生を眠りへと誘い始めた。  車に乗ると眠くなるのが条件反射のようになってきたな……と感じながら、特に我慢するでもなく珠生は目を閉じた。  夢か現か、珠生は大きな鳥居の上に立っていた。  海の中に佇む大鳥居、厳島神社の丹塗りの鳥居だ。  視界の中に、銀色の髪が見える。……ああ、そうか。これは千珠の記憶だ。  きらきらと朝日を映す水面が美しく、千珠はもっと深く呼吸をしようと口布を下ろした。海の匂い、冬の冴えた空気の匂い、そこここに感じられる神気。  ここには神がいるのだ。  しかしそれは、自分が今から封じようとしているもの。禍々しく荒れ狂う神だ。  緋凪の力を喰らい、この世を破壊しようとする(まが)ツ神。  ――そっから降りろ! この罰当たり!  少年の声がして、千珠はそちらを見下ろした。長い黒髪と白装束の覡・緋凪が怒り顔で千珠を見上げている。  あいつはいつも不機嫌だな……と思いながら、緋凪の隣にひらりと降り立つ。  青い海を映す、漆黒の美しい瞳。  人間にしては美しい子どもだと思った。  しかしその身に神を降ろすというには、少年の精神はあまりにも非力に見えた。  その後、彼はどんな人生を送ったんだろうか。   珠生は千珠の目線でありながら、どこか離れた場所で二人のことを見ていた。  厳島神社の風景が、急激に遠ざかる。青い海の上に浮かぶ赤く美しい神殿が小さくなっていく。海の上を、ぐいぐいと引き寄せられるかのように。  珠生ははっとして目を開いた。  完全に湊に寄り掛かって眠り込んでいたらしい。少し日が傾き始めているらしく、真っ白な日差しは少し朱を帯びていた。  一体どれくらい寝ていたんだろう……。珠生はぼんやりと霞みがかったような頭で目を瞬き、湊を見上げた。 「……ごめん、重かったろ」 「え? ああ、起きたん?」  湊は珠生に肩を貸したまま、スマートフォンをいじって何やら熱心に読んでいたが、珠生が起き上がったのに気づくと顔を上げた。 「俺、何時間寝てた?」 「んー、まぁ四十分くらいかな。もう着くってさ」 「そう。あ、俺ずっと寄っかかってた? ごめんね」 「ええよ、重たないし。肩くらい好きに使え」  湊は少しだけ微笑んで、またスマートフォンの画面に目を移した。その冷静な横顔を見ていると、厳島でえらく世話をかけた柊の姿を思い出す。  影のように自分を守る、すらりとした忍装束の柊の姿が。 「夢でも見てたんか?」 「え?」  湊は携帯電話をポケットに仕舞いこむと、窓枠に肘をついて珠生を見た。 「なんとなく、千珠さまの匂いがしたような気がしたから」 「え?そうなの? ……確かに、厳島での夢を見たけど」 「そっか。ここはあそこと同様、神気が高い場所やもんな。刺激されたんと違うか」 「なるほど……」  言われてみれば、いつもより妖気が騒ぐ感じがした。どことなく落ち着かない気分だ。  景色は深い山の中だ。綺麗に舗装された細い道路をひたすらに登って行くと、大きな立て看板が見えてくる。  ”ようこそ、霧島温泉郷へ”  目的地が近いことを感じて、珠生はようやく目を覚ました。亜樹もうとうとしているのか、前のシートで頭が揺れている。彰は無表情に腕組みをして、ただ窓の外を眺めている様子だ。  ふと、珠生は山深い道のほとりにまたひとつ、大きな石の看板を見つけた。  ”天孫降臨の地”  それは一瞬で通り過ぎ、誰もそれに気を留めている様子もない。  ――ここは、神々のいる場所……。  妖気を帯びた自分がここにいて平気なのだろうかと、珠生はふと、考えた。  

ともだちにシェアしよう!