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三十五、銀色の光

 拝殿の中で一人、亜樹はじっと目を閉じて座っている。  すでに衣装と化粧は完璧に施され、亜樹は気の引き締まる思いでこれまでのことを振り返っていた。  自由に妖や人霊が見えた、幼い頃。それを当たり前に受け止めて、認めてくれていた優しい両親。  事故で失った愛する両親と、失われた霊力。  引き取られた先で受けた冷たい仕打ち、浴びせられた心ない言葉達。  ずっと孤独だった。ずっとこの先も、こんな人生が続くのだと絶望していた。  誰に何を言われようと、折れない強い心が欲しかった。だから周りを強く拒絶し、自分をかたくなに固めることで心を守ってきた。  そんな時、珠生たちと出会った。  我が身に戻ってきつつあった、霊力と、それを示すかのように現れた小さな妖たち。  そして亜樹は自分に与えられた、力と使命を知った。  目の縁を赤く彩られた亜樹の瞼が開く。黒く艶やかなまつ毛の下には、澄んだ瞳があった。  ――感じる、霊力の高まりを。腹の中から湧き上がってくるような、風を感じる。  短い髪はぴったりと撫で付けられ、その上には黄金の冠を戴いている。金糸が複雑に絡み合ったかのようなつくりをしたそれには、きらびやかな赤い石の散りばめられた、えも言われぬほどの美しさを誇る黄金の冠。  平安時代にこの世に生まれ、遥かなる時代(とき)を超えて受け継がれてきた国宝の一つ、龍帝冠(りゅうていかん)。神降ろしをする巫女だけが身につけることを許された、神聖な宝具の一つだ。    亜樹はふと、珠生のことを思った。  自分を孤独から救い上げ、唐突に訪れる危険から、いつも自分を守ってくれる、珠生の姿を。  暗い拝殿の広間には、燭台の明かりだけが灯っている。ゆらゆらと揺れる橙色の炎が、一瞬大きく揺らいだ。 「……?」  どぉん……!どぉん……!  山の方から、地面を揺るがせるほどの音が聞こえてくる。雅楽の太鼓の音とも違う、地鳴りの音。  禍々しい妖気が、急激にこちらに近づいてくるのを察した亜樹は、思わず立ち上がった。この中にいれば安全だと言われたが、外の様子が気になって仕方がない。  ――珠生は? 湊は? 舜平、彰は……? 皆、無事なんだろうか。  他人のことなど気にかけたこともなかった亜樹が、こんなにも心を揺らされる。  葉山や雅楽隊、帯刀達は、拝殿の直ぐ側に立てられた宿舎に詰めていると言っていた。  ――そこにいる人たちは……? あそこにも結界が張ってあるんやろか……?  亜樹は居ても立ってもいられず、窓のない拝殿の中をぐるぐると歩きまわった。  オォオオオオ!!  耳をつんざく咆哮に、亜樹ははっと耳をふさいだ。いる、すぐそばに何かいる……!  それと同時に、珠生の妖気が燃え上がるようなイメージが脳裏に閃く。一体、外では何が起こっているというのか。   亜樹は拝殿の木扉にすがりつき、外の気配を必死で窺おうとした。  でも、何も見えない。はっきりとした音も聞こえない。  ――もどかしい……何で、自分には共に戦う能力がないんだろう……!!  亜樹は唇を噛んだ。   +   + 「固めろ!! 拝殿にやつを絶対に近づけたらあかん!」  舜平は大声でそう言って、拝殿に敷いた結界術を守っていた。土毘古の禍々しくも攻撃的な瘴気を遮るため、藤原徳人と葉山美波が南北に座し、印を結んで必死で耐え忍んでいる。  巨木の結界を突き破らんとしている土毘古が、咆哮を上げて木々を薙ぎ倒す。直径二、三メートルはあろうという太い木を、いとも容易く片腕で薙ぎ倒した土毘古の力に、舜平と敦は息を飲んだ。  葉山は神楽殿のすぐ脇に雅楽隊と協会の人間たちを集め、保護していた。土毘古は亜樹の霊力に引かれて歩を進めているようだが、もしこちらに攻めて来られては一溜まりもない。妖の見えない者たちも多い中、葉山はパニックを抑えるために皆の意識を奪って眠らせていたが、帯刀だけが唖然として、ゆらゆらと揺らめく防御結界の外に見える土毘古を凝視している。 「帯刀さんは見えるんですね」 「あ、ああ……見える。しかし五十年前の神事では……こんなことは」 「状況は変わるものです」  葉山はあぐらをかいて印を結び、力なき人々を守るための結界に力を常に送り込み続けた。これを解いてしまえば、只人は土毘古の瘴気で死んでしまう。 「彰くん、珠生くん、早く……早く来て……!!」  葉山は祈るような気持ちで目を閉じた。  +  + 「土爆天閃(どばくてんせん)!! 急急如律令!!」  舜平の鋭い声が響き、土毘古の足下の土が激しく爆ぜる。突然目の前に現れた舜平に怯んで足を止めた土毘古の片足が吹き飛び、迸るどす黒い血が舜平の上に降りかかった。舜平はさっと身を避けると、拝殿を守る敦の前に立つ。 「おい! この霧みたいなん吸うたらあかんで! これは毒や!」 「うっさいのぉ分かっとるわ!! けど、こんくらい……どうもない、ゲホッ」 「ほんならせいぜい、死なんようにせぇよ!」  舜平は拝殿を背に庇うように仁王立ちすると、大声で詠唱した。 「風來爆火(ふうらいばっか)!! 急急如律令!!」  印を結んだ舜平の身体から紅蓮の炎が立ち昇り、土毘古を襲う。足元から燃え上がる炎に焼かれた土毘古が、足をもがれふらつきながら、苦しげに吠えた。そして、般若面の奥に潜む双眸に舜平の姿を認めると、標的を舜平に定めるかのようにぴたりと動きを止める。 『……お前も陰陽師か……どいつもこいつも忌々しい……目の前にこんなにも美味そうな餌があるというのに……』 「餌って、巫女さんのことか?お前が食ってええもんとちゃうで!!」  舜平の言葉に、土毘古が低く笑う。 『弱々しい霊気だ……こんなもので、我を退けられると思っている辺りが悲しいねぇ……』 「なんやと!」  いきり立つ舜平を一瞥し、土毘古が突然消えた。 『背中を取られても、気づきもしないのだからな……』 「んなっ……!」  舜平は目を見張った。  低い含み笑いが、舜平の体に振動となって伝わるほど近さで、土毘古が背後に佇んでいたのだ。鉤爪が軋む音さえも、はっきりと耳に聞こえてくる。 『死ね』  土毘古の爪が襲いかかってくるのを覚悟した瞬間、舜平は激しい痛みとは違った衝撃を感じていた。目の前に閃くのは、自分を強い力で突き飛ばす、白い腕だ。  舜平は拝殿の壁に強かに背中を打ち付けた。だん!という鈍い音と共に、背骨が悲鳴を上げる。 『貴様……誰だ!?』  土毘古の動揺した声。  舜平が痛みを堪えて目を開くと、目の前に銀色に揺れる光がさらりときらめいた。  眩い白光を湛えた直刃の刃で土毘古の鉤爪を受け止め、銀色の長い髪を背中に揺らす白い背中。  その身体の二倍はあろうかという土毘古の鉤爪を片手で止めているのは、懐かしい後ろ姿だった。  舜平の無事を確かめるように、銀髪の少年がちらりと横を向いた。刀で土毘古の身体を弾き、反動でその少年も後退すると、身軽に舜平の傍に膝をつく。 「危ないだろ、油断するな!」 「……せ、千珠……?」  舜平は、愕然としながらその姿を見つめた。  五百年の時を経て、千珠の姿となった珠生が、舜平を冷ややかに見下ろしている。  まばゆい光を湛えた直刃を手に、銀色の長い髪をうるさそうに掻きあげながら、珠生はほんのりと唇を吊り上げた。 「まったく……。怪我はない? 舜平さん」 「た、珠生、なんか……?」  姿形は千珠だが、その意識と表情は珠生のものだ。珠生は勝気に微笑んでみせると、再び土毘古の方に向き直る。 『……鳳凛丸の、子孫……お前が、青葉の鬼か……』 「そうだね。まぁさらに言えば、そのまた子孫ってとこだけど」  珠生は目線で土毘古を抑えたまま、唇を吊り上げて笑った。 「鳳凛丸様の力が、今この身に宿っている。……さて、お前に勝ち目があるのかな」 『また……また我の邪魔をするのか!! 鳳凛丸!!』  びりびりと空気を震わせる土毘古の声に、舜平は思わず耳をふさいだ。瘴気が爆発し、まるで竜巻のような妖気があたりを暴れ狂った。

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