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3、相談ごと

 舜平は美来と別れてから、アルバイト先へと向かうために地下鉄に乗っていた。車をバイト先に置かせてもらっているのである。  暗い窓の外を見ていると、否応なく珠生のことを思い出す。  鹿児島空港から関西国際空港へと戻り、特急はるか号で京都まで舞い戻った時、皆ぐったりと疲れていた。五条にある自宅まで歩いて帰るという斎木彰と、グランヴィアホテル住まいの葉山彩音と別れ、珠生、湊、亜樹、舜平の四人は、地下街で簡単な食事を取ってから帰ろうという話になった。  食事を終えた頃には、すっかり時刻も遅くなってしまっていた。三人ともが地下鉄沿線住まいの高校生たちとともに、舜平は兄が迎えに来てくれる地下鉄の終着駅まで行くことになり、地下鉄に乗っていた。  亜樹は丸太町、湊は今出川で降りていった。疲れた面々は、挨拶もそこそこにのろのろと帰っていく。もう夜も遅く、繁華街のある四条烏丸を越してしまうと、車内はがらんと空いてきた。  珠生と舜平は脚を投げ出してシートに座っていた。その車両の中には、他の乗客はいなかった。 「疲れたやろ、お前かなり大怪我やったしな」 「……うん」 「でも、やるやん。亜樹ちゃんをあんなふうに庇って……めっちゃ男らしかったで」 「そうかな」  珠生は言葉少なで、少し眠たそうだった。そんな珠生の横顔が可愛らしく、舜平は苦笑する。  「亜樹ちゃんとお前、なかなか気ぃ合ってたな。彼女も珠生の前やと可愛いもんやん」 「やめてよ……あいつ、舜平さんがいたからまだ猫かぶってたかもしれないけど、学校だともっとひどいんだよ」 「そうなんか? 楽しそうに見えたけどな」 「……そうかな」 「大仕事も終わったんや。お前もしばらくは普通の高校生活が送れるな」 「うん……まぁね。普通の高校生活、かぁ……どうやったらいいんだろう」 「部活したり、友達と遊んだり……とかな。お前、湊や彰以外に友達おるんか?」 「……う、うーん……。一人二人は……」 「現世のつながりも大事にせなあかんで? 学生時代の友人は貴重やっていうしな」 「うん……そうだよなぁ」  そんな色気のない会話を交わして以来、珠生から連絡はない。そして舜平からも、なんとなく連絡をしそびれているのである。モヤモヤとした気持ちのまま、舜平は日常を過ごしていた。  十六夜結界も落ち着き、京都の町中に妖が出る機会も格段に減ったため、妖退治の仕事も減っている。一人だけ大学生である舜平は、珠生や湊達と会う機会も格段に減っていた。  舜平は寂しかった。非常に寂しいのだ。  しかし、実際進路選択が身近に迫っているという現実的な問題もあったし、そろそろ卒業論文のテーマを明確にしなければならない時期でもあり、舜平は何かと多忙である。  加えて、アメリカでの成果を報告するという仕事のせいで各務健介は出張が増え、論文や進路について相談する時間をあまり取ってもらえない。そのため舜平や拓ら三回生は、他のゼミ生や先輩達との自主ゼミを行いながら、今の状況を渡り歩いているのである。  美来からの申し出をきちんと断りきれなかったことも悔やまれる。いつぞや葉山に叱られたことを思い出し、舜平は頭を抱えてため息をついた。  アルバイト先は、地下鉄の今出川駅の側だ。湊の家の直ぐそばであることを、舜平はふと思い出した。とりあえず湊でもいいから、会って珠生の様子を聞きたかった。  もう新学期の始まっている高校生に連絡を取るのは多少気が引けたが、舜平は湊にメールを入れた。  アルバイトの最中に返信を確認すると、試験も終わったし何時でもいいというありがたいメッセージが入っていた。    +  +  湊の家からほど近い、全国にフランチャイズを展開しているとあるコーヒーショップで、湊はすでに待っていた。  ホットコーヒーのカップを片手に、黒いブックカバーをかぶせた文庫本を手にしている湊は大人びて見え、すでに大学生のように見える。 「悪かったな、こんな遅くに」 と、舜平は壁にある時計を確認しながらそう言った。時刻は午後八時半を過ぎている。 「別に遅ないやん。今時の高校生なめんな」 と、湊はぱたんと本を閉じてそう言った。眼鏡の奥の静かな瞳が、じっと舜平を見ている。 「で、珠生のこと?」 「もう本題か。無駄のないやつめ」 と、舜平はアイスコーヒーの乗ったトレイを机に乗せながらそう言って苦笑する。 「お前が俺を呼び出すなんて、そういう問題に決まっとる」 「……それもそうやな」 「喧嘩でもしたん?」 「……いや、そうじゃないねんけど……」  舜平の浮かない顔を見て、湊は少し身を乗り出した。もしかすると、二人の間に何か危機的な状況でも勃発してしまったのかと心配になったからだ。  すると舜平は、重々しい口調でこんなことを言った。 「こっちに戻ったら、どうやってあいつと会えばいいんか、分からへんくなったっていうか……」 「…………は?」  湊が、あからさまに舜平を馬鹿にしたような、生温い目つきになった。 「やることやっといて何言うてんねんお前。もう二十歳も超えとるやろ? 大学生やろ? ていうかやな、そんなに珠生に会いたいなら俺なんか呼び出さんと直接珠生呼び出したらええやん。何で俺やねん何してんねんお前どんだけ阿呆やねん」 「そこまで言わんでもええやん!!」  舜平はため息をつき、頬杖をついて窓の外を見た。二階にある店舗からは、今出川通がよく見える。自転車で行き交う学生や、帰宅中の会社員たちで、この時間帯も賑やかだ。 「お前ら、現世ではどんな感じなん? 霧島では結構さばさば付き合ってるように見えたけど」 「まぁ、昔ほどずっと一緒ってわけじゃないけど……」 「まぁ、昔は同じ敷地内に住んでたもんな。そういや現世ではお前らの濡れ場に出くわしてへんな」 「いやいや、そんなやってへんし……」  舜平はそう言ってしまってから、はっとしたように口元を押さえた。湊はにやにやしながら舜平を見ている。 「ふーん、そうなんや。やっぱやることバリバリやってるんや。もう満月とか関係ないんか?」 「知るか」 「そうかそうか、珠生に会えへんで寂しさの限界っちゅうわけやな? ふうん、なるほどね。ピュアやなぁ」 「あ、阿呆!! 別に俺は寂しくなんか! てかピュアってなんや、馬鹿にすんのもええ加減にせぇよクソガキ!」 「お前にガキとか言われたないわい」  と言いつつ、珠生の顔をしばらく見ることができていないのは、寂しい。非常に寂しい。舜平は目を伏せて、汗をかいたグラスを指で撫でる。殆ど残っていないコーヒーと氷が混ざり合い、涼し気な音を立てた。 「ほんま、阿呆やな。お前は」 と、湊がため息混じりにそう言った。 「……五月蝿い」 「ピュアぶってへんで、『ヤりたい、会おう』ってメールすればいいやん」 「は? 最低やなお前!」 「冗談に決まってるやん」 「ぐ」 「飯に誘うとか、顔見たいから家行っていいかとか、普通に聞けばいいやろ。奥手か」 「やかましい。……でも、そうやんな。あいつから俺に連絡してくるわけないし……」 「そうやで。……ったくお前は。威勢がいいのは見た目だけか」 「黙れ」  湊は難しげに眉を寄せる舜平の表情を見守りながら、小さく息をついた。  世話のやける奴らや……と、思いながら。

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