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6、球技大会〈1〉

「おっはよー、亜樹」 「おはよう」  始業ぎりぎりに教室に入ってきた亜樹に、滝田みすずが元気に声をかけてくる。亜樹は笑って、みすずの後ろの席についた。  あの雨の日以来、亜樹とみすずはぐっと親しくなっていた。話をしてみると、お互いに似たような気質であることが分かり、話もよく合うことに驚いた。なにより、同時に珠生に対して軽い失恋をしたという共通の苦い経験もあって、二人はよく話をするようになった。  「失恋ちゃうし」と強がる亜樹に、みすずは何度も頷いて、「はいはい。でもそんなもんやろ。でもうちも失恋ちゃうし」と言い合った。  そんな仲間ができてからというもの、珠生と詩乃のことはそこまで気にならなくなった。亜樹にとって、初めて出来た友だちらしい女友達だ。今はみすずという存在がとても貴重に思えている。  みすずと口を利くようになってからというもの、亜樹の周りの人間関係が少し変わってきた。誰とでも垣根なく話をすることのできるみすずといることで、亜樹の人間関係も広がりが出来たのだ。今まで喋ったことのなかったクラスメイトとも、すこしずつ普通に話ができるようになってきた。  そうすると、学校も悪い場所ではないと思えるようになり、亜樹はよく笑うようになった。 「今日、がんばろうな! おんなじチームになれたことやし」  みすずはジャージの入った袋を手に取りながら、亜樹にそう言って笑った。今日は球技大会の日なのである。 「うん……まぁ、足で蹴ったり道具で打ったりするよりは、できるかなぁ」 「弱気やな。いつもみたいに怖い顔で、ボール持っとる奴に凄んだらええねん」 と、みすずは亜樹の肩を叩きながら笑ってそう言った。 「なんやねんそれ」  みすずは亜樹のふくれっ面を見てまた笑うと、亜樹を促して更衣室へと向かった。今までまじめに体育の授業などに取り組んだことのなかった亜樹にとって、球技大会というイベントはやや気が重い行事ではあった。毎年欠席してたが、今年はなんとなく出てみようという気持ちになったのである。  球技大会の種目は、バスケットボール、サッカー、卓球、テニス、野球(男子)、ソフトボール(女子)という六種目に分かれている。  広い体育館では、面積の三分の二でバスケットコート二面が取られ、卓球のスペースが残りの三分の一で競技をする。どの種目に参加するかは自由であり、希望者と、もともとそれらの部に所属する者も含めてチーム割をし、学年で一番強いチームを決めるのである。  運動に自信のない者は卓球や野球・ソフトボールに流れる傾向がある。バスケットボールやサッカー、テニスは目立つ競技でもあるため、それを選択するものはある程度運動に自信のある者ばかりだ。  着替えてから体育館へ向かう。バスケットボールと卓球の面々だけが体育館を利用するため、館内は思ったよりも広々していた。  女子バスケットボール組は、入り口からすぐのバスケットコートを利用し、男子バスケットボール組はその隣だ。シートの上にベンチが並び、それで二つのコートは仕切られていた。  手の空いている生徒は、二階の観覧席やコート脇で試合を観戦したり、他の競技を見に行ってもいいことになっている。午後は各種目決勝戦が行われるのだが、毎年サッカーとバスケットボールは多くのギャラリーが集まる。  バスケ部顧問による競技の説明と、簡単な開会式のために整列しながら、亜樹はそっとあたりを見回した。そこそこの人数がバスケに集まっているようだ。特に男子は人数が多いように見えた。こなれたバッシュを履いている二、三年生の男子生徒たちの体つきは、やはり見事である。 「ちょ……! 亜樹!!」  みすずがバシバシと力いっぱい亜樹の背中を叩いてくる。亜樹は迷惑そうにみすずを振り返ると、みすずは顔を上気させてとある一方を見ていた。 「痛い、痛いって! 何?」 「沖野くん!! バスケにおるよ!!」 「え?」  みすずの声につられてか、周りにいた女子生徒が一斉に二年生男子の方を見た。  背の高い三年生の合間から、珠生の茶色い髪の毛が見えた。ひときわ白い肌とその茶色い髪の毛だけでも、珠生は目立っている。 「……あいつ、バスケなんかできるんやろうか」 と、亜樹はボソリと呟く。周りの女子達が密かに色めき立ち始めるのを見て、亜樹はため息をついた。  珠生には、そんなことに頓着している様子もない。長袖のジャージにハーフパンツを履いて、珍しく脚を出している。きゅっとくびれた足首の下に、黒いスニーカーソックスが見えた。後ろ姿だけでも、珠生にはきらめくような華があり、男女問わず多くの生徒の視線を集めている。  ――カッコ悪いとこなんか見せたら、この子らみんながっかりやで……。  亜樹の心配とはかかわりなく、球技大会が始まった。  発表さへた試合の組み合わせを見て、亜樹は二試合目に自分の試合があることを確認する。ふと男子側のコートを見てみると、三年生の試合が最初に行われるらしく、すでに整列が始まっていた。 「ん?」  亜樹は目を疑った。そこに斎木彰が立っていたからだ。 「みすず、みすず」 「ん?」 「あれ、斎木先輩?」 「え? ああ、うん、会長やね」 「あの人バスケなんかできはんの?」 「何言ってんねん。あの人、中学の頃からバスケ部やで。生徒会入って、幽霊になってもたらしいけど」 「ええー! 意外!」  亜樹はあんぐりと口を開けて、じっと彰を見ていた。みすずたちのチームは二試合目のためベンチに座っていたのだが、女子の試合などそっちのけで亜樹はずっと彰を見ていた。  試合が始まり、コートの中に散っていく三年生の男子達の中、彰は熟れた動きでコートの中を走り回っていた。バスケ部仲間なのだろう、バッシュを履いた背の高い男子生徒からスピーディなパスを受け取った彰が、センターラインのあたりでシュート体勢をとる。伸びやかな美しいフォームで彰の手から放たれたバスケットボールは、きれいな弧を描ぎ、吸い込まれるようにリングをくぐった。  唐突にスリーポイントを決めた彰が、チームメイトたちと爽やかにハイタッチをしている光景がなんとなく信じられなくて、亜樹は何度も目をこすった。  その後も流れるような動きでパスを繋いだり、ゴール下での競り合いでボールを奪う彰の動きを見ていたが、彰は何の違和感もなく現代スポーツをこなしている。亜樹は感心して、腕組みをしながらため息をついた。 「……ほんまになんでもできるんやな」 「亜樹、そんなに斎木先輩のこと好きなん?」 「へ!? ちゃうわ。珍しかっただけやん」 「ふーん」  みすずは、女子の試合と男子の試合を器用に半々ずつ見ている様子だ。それでも彰がレイアップシュートを入れる瞬間を見ていたみすずは、目を丸くして黄色い声を出す。 「……ひゃー、かっこいい!」 「……」  亜樹はミーハーなみすずに呆れながら苦笑していると、目の前に誰かがずいと立った。自分とは違う色のビブスをつけているその女子生徒の顔を見上げ、亜樹はぎょっとした。  立花菜緒佳が立っていたのである。 「天道さん、今年は球技大会出てきてんなぁ」 と、菜緒佳は亜樹を見下ろしながらほくそ笑んだ。亜樹の表情が険しくなる。 「もうビブつけとるってことは……次はうちらと試合なんや。おもろいやん」 「……別に、全くおもんないけど」  亜樹の低い声に異変を感じ取ったみすずと、その隣に並んでいたチームメイトの三人が一斉に菜緒佳を見た。菜緒佳の後ろには同じ色のビブスを身につけた女子が二人立っており、さながら菜緒佳が引き連れてきた取り巻きのように見える。 「最近全く絡んでへんかったもんなぁ。ま、お手柔らかに」 「こちらこそ」  亜樹は短くそう言うと、つんとそっぽを向いた。みすずが自分を睨んでいることに気づいた菜緒佳は、みすずたちの方を一瞥して、隣のベンチへと戻っていった。 「なんやあいつ、感じ悪!」 と、みすずが鼻を鳴らす。 「ほんまや、どうせバスケなんかできひんくせに」 と、その隣にいた純和風美人の戸部百合子が一緒になって悪態をついた。彼女は本家バスケ部なのである。 「あのお高く止まった鼻、ボールぶつけて曲げたろか」 と、更にその隣にいた女子が物騒なことを言う。彼女は浮田愛実という可愛らしい名前をしているが、外見は完全なるギャルであり、実際素行もあまり良くない生徒である。 「天道さん、あいつに前から目ぇつけられてるんやんな、この試合で目にもの見せたろやないか」 と、愛実の隣に座っている連城さくらも、そんなことを言う。さくらは愛実と行動を共にしている派手目な女子生徒で、どういうわけか一年中色が黒い。  どうも皆が菜緒佳にいい思いを抱いておらず、亜樹の味方をしてくれている様子だった。そんな状況に、亜樹は目を丸くしてチームメイトを見渡す。 「……あ、ありがとう」 「ええねんええねん。あいつ、何か昔から気に喰わへんし」 と、さくらが身を乗り出して菜緒佳を睨みながらそう言った。 「同じチームになったのも何かの縁や。それに、喋ってみると天道さんて、けっこう男前やもんな」 と、愛実。 「男前?」 「うち、女々しい女嫌いやねんな」 と、さくらが言うのを聞くと、みすずが楽しげに笑って膝を叩いた。 「似たようなタイプが集まったチームになってるやん。よっしゃ、亜樹のためにも、あの女ぶっつぶすで」 「オッケー!」  四人がにやりと笑うのを見て、亜樹は思わず吹き出した。こんなにも心強く、嬉しいことはなかった。 「よっしゃ、行くで!」  試合終了のホイッスルとともに、バスケ部の百合子がそう言って立ち上がる。五人はコートに入って、整列した。  

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