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17、彰の行く先

 斎木家の初七日法要が過ぎた頃、藤原修一は葉山を伴って彰の実家へ訪れていた。  その前日、彰は藤原の元を尋ねてきて、とある話をしていった。 「……業平様、僕、医師になろうと思います」 「そうか」 「驚かないですか?」 「ああ、とてもいい目標だと思うよ」  藤原はソファに向かいに座る私服姿の彰を見て、にっこりと笑った。彰は安堵したように微笑むと、膝に肘をかけ軽く組んでいた拳を緩めた。その手首には、黒い数珠が今日も光っている。 「宮内庁に入って業平様のもとで働くというお話ですが、この件は、珠生に薦めたいと思っています」 と、彰はゆったりと座っている業平にそう言った。 「彼はもともと地方公務員志望なので。まぁ若くてあんな見た目をしてるのに人生設計は地味で、きっと拒みはしないと思いますし……それに、何より彼には力がある」 「そうだね、彼なら人柄的にも、能力的にも何の問題もないな」 「僕の持っていたパイプは、徐々に珠生に伝えていきたいと思っています。何かあればすぐにサポートもできるように」 「ああ、お前なら抜かりなくやるだろう。……お父上にはもう言ったのか?」 「いいえ……まだです。明桜大学は試験もなく進学できますが、医学部がないので受験をし直さないといけません。そう言ったリスクを父はきっと嫌がるでしょうが、僕は落ちるつもりもありません」 「はは、お前なら確実に受かるよ。私は何も心配していない」 「学費についても、特待生制度を受けれられる成績を充分納めてきたので、きっと大丈夫だと思いますし」 「ああ……医学部は学費が高いものな。それについてだが……佐為、実はね。我々は、今までの君たちの働きへの対価を、“給与”という形で置いてあるんだ」 「給与?僕ら、まだ学生ですよ?」 「そうなんだが、君たちにあれだけ身体を張らせておいて、無償というわけには行かないからな。成人したらきちんと渡そうと思って、それぞれに口座を作ってあるんだ」 「ははぁ……現代的だなぁ」  彰は初めてその話を聞き、感心したようにそう言った。藤原は笑う。 「お前は中学の頃からずっと私の手足として働いてくれてきた。医学部へ行くための学費など、余裕で払えるほどの額になっている」 「……えっ、そんなにですか? 一体どういう計算で……」 「ははは、難しいことは経理担当のものに説明させるとして。……危険な仕事をあれだけこなしてくれているのだ、当然の額だと私は思っているがね」 「……驚きました」 「素直でよろしい」 「……ありがとうございます。ひとつ、心配事が減りました」  彰は微笑んで息をつく。  そこまで稼ぎの良くない父親に対して、医学部へ行きたいと言い出すのが憚られていたのだ。彰は母親の体調が悪くなった頃から、強く医師になリたいと思うようになっていた。どんにたくさん陰陽術を知っていたとしても、この現代において人を救える力をつけるためには、医学を学ぶのが一番だと感じたからだ。 「立派だよ、佐為。……まあでも、一度お父様にもお会いしたいと思っていたんだ。いずれ、ご挨拶に行こうと思っていた」 「いいですよ、そんな……」 「そう言うな。金銭の話もあるし、きちんとしなくちゃ。ごまかしながら持っておける額でもないからね。……それに、お前が国に協力していることを、きちんと伝えたいと思っている」 「え……? でも」 「霊力云々のことは伏せるよ、父上に危険が及んではいけないから」 「……分かりました。お任せします」 「よし、では明日、窺おうかな」 「分かりました。伝えます」  藤原はにっこりと笑うと、紅茶を一口飲んだ。彰もそれに倣い、濃い目に入れたぬるい紅茶で喉と唇を潤す。藤原は立ち上がって窓の方へ歩み寄り、タクシーがおもちゃのように行き交う京都駅前の風景を見下ろした。 「……葉山には?」 「言いました。……応援してくれると、言っていました」 「そうか。心強いな」 「僕……葉山さんと結婚したいと思っています」 「えっ?」  藤原は、珍しく本気で驚いたような顔をして彰を振り返った。彰はそんな藤原を見て苦笑する。 「若造が何を言っているのかと思われるでしょうが……僕は本気です」 「い、いや、そうは思わないが……ちょっと驚いてね」 「葉山さんは、百年早いと言っています。そういうことは医者になってみせてから言いなさいと」 「……ということは、彼女もお前を待つつもりでいるということかな」 「……そうだといいんですが」 「ははは……素晴らしい、こんなめでたいことがあるかな」 「業平様、まだまだ全然めでたくありませんよ」 「そんなことはない。私には明るい未来が見えるよ?佐為、頑張るんだぞ」 「はい」  そう言って笑った彰の顔は晴れ晴れとして気持ちが良かった。本当に守りたいものを手にした彰は、高校生とは思えないほどに大人びても見える。  藤原は心底嬉しかった。  人を愛することを知らず、汚れ仕事ばかりに明け暮れていた頃の佐為を知っているからこそ、当たり前のように葉山との未来を口にして、人生を語る彰のことがとても頼もしかった。  ――藤之助にも見せてやりたい。……いや、きっと何処かで見ているに違いない。  藤原は笑って、彰の肩を力強く叩いた。  + +  父親は家の中でスーツを着て、藤原のことを待っていた。古い一軒家の二階にある和室へと通されると、そこには彰の母親の遺影と位牌が並べてあり、線香から細く煙が立ち上っている。  藤原と葉山は線香を上げさせてもらい、合掌してしばらく黙祷をした。  彰が盆に茶を載せて上がってくると、藤原と葉山、そして父親にそれを配って、下座に座った。  彰は業平のことを、アルバイトで世話になっている偉い人だ、と曖昧な説明をしていた。自分のこととなると、なんと説明して良いか分からなかったのだ。  藤原はそれを承知のうえで、きちんと名刺を差し出した。葉山も同様に名刺を差し出す。  彰の父親は、その肩書を二度見しては、藤原と葉山を見、そして彰をまじまじと見た。怪訝な表情の浮かんだその顔に、ぽつぽつと汗が浮かぶ。 「……なんで、宮内庁なんてとこに勤めてる方が、うちの子と知り合いなんですかね」 「ご子息にはかねてより、その明晰な頭脳を貸していただいておりました。国政のためだけではなく、考古学研究の分野等でもご活躍を頂いております」 と、藤原は至極丁寧にそう話をし始めた。考古学とは、陰陽道のことを言っているのだろうか……と彰は目を畳に落としたまま聞いていた。 「ほう……そうなんか、彰?」 「ああ、そうだよ」 「……ははぁ……お前がなぁ。まぁ確かに、お前は賢いもんなぁ」 と、父親は話が飲み込めない様子を見せながらも、頷きながらそう言った。  藤原は微笑んだ。彰の父親が、ちゃんと彼を認めていることが分かり、嬉しかったのだ。 「そして今後も、彼にはその力を貸していただきたいと思っています。それにつきまして、今後の大学進学への費用等を、こちらでお世話をさせていただきたいと考えております」 「それだと……税金でってことか?」 「その通りです」 「いやいや……そんなことまでしてもらっちゃあ。この不景気にさ」  父親はぎょっとした顔をして、顔の前で手を振った。父親の至極まっとうな反応に、彰は顔を上げる。 「父さん、僕、医学部へ進みたいんだ。大学も受け直す」 「え? 医学部? 医者になりたいんか、お前」 「……ああ、そうだよ」 「今の学校、大学受験がないから気楽でいいって、言うとったやないか」 「うちの学校には医学部がないんだよ」 「ははぁ……」  彰の父親は、息子のきっぱりとした口調を受けて、じっと彰を見つめていた。その眼の奥に、誇らしげな光が沸き上がっている。 「お前が、医者にか……すごいなぁ」 「父さんには負担を掛けたくないから、この話を受けようと思ってるんだ。それでいいよね?」  彰がそう言うと、父親はゆっくりと首を振って、母親の遺影の方を見た。そして、ひとりごとのように呟く。 「母さん、彰のやつ、医者になりたいんだとさ。それになぁ、ずっとお国の役に立つ仕事をしてたんだと。……すごいよなぁ、何でこんな平凡な俺達のところに、こんなに賢い子が育ったんやろうな……」 「父さん……」 「彰、母さんがおらんくなって、お前まで俺の手を離れてもうたら、俺はこれから何を生きがいにして生きていけばいいんや?」 「……それは……」 「お前の学費は、きっちり俺が払う。それが親の務めってもんやろ? そんでそれが、親の生きがいってもんやねん。その生きがいをさ、俺から取らんとってくれ」 「父さん……」 「藤原さん、とってもいい話なんだが……そういうことだ」 「分かりました」  藤原はゆっくりと頷いて、清々しい笑顔で彰の父親を見た。そして、珍しくなんとも言えない呆けた顔をしている彰を見やると、微笑んだ。 「彰くん、とてもいいお父様をお持ちだね」 「……はい」 「でしゃばったことを申し上げてすみませんでした。しかしながら今後も、彰くんのお力をお借りしていくことを、お許しいただけるでしょうか?」 「そりゃあもちろん、世のため人のためになることなら、なんなりと使ってやって下さい。こいつは俺と違って、頭の回る子なんでね」 「はい、ご両親からとても良い教育を受けてきたからこそ、今の彰くんがあるのだと、今日はっきり分かりました」  葉山が後ろで力強く頷いた。心なしか目が潤んでいる。 「そんなことはないですよ。……あぁ、あなたは、葬式の時色々手伝ってくれた人だね。あなたもお役人だとは思わなかったよ」  父親は藤原の背後で正座している葉山を見て、微笑んだ。 「その節はお世話になって……ありがとうございました」 「いえいえ、とんでもありません。これからも、何かお手伝いできることがあれば、お申し付け下さい」  葉山は丁寧に頭を下げて、微笑んだ。父親も、頷きながら微笑み返した。 「いやぁ、こんな若くて綺麗な人がうちにいるなんて、照れくさいねぇ……って言ったら母さんが怒って化けて出てくるかな」 「いやですわ」 と、葉山は慣れた感じで受け流す。彰はため息をついて、「父さん、やめてくれよ」と呻いた。 「はは、すまんすまん。……彰、お前は大丈夫そうやな。ちゃんと、お前の力を認めて貰える場があるんやもんな」 「……うん、そうだよ」 「良かった、本当に良かった。……なぁ、母さん」  遺影の中で微笑む母親の顔が、更にほころんで見える。父親は少し目元を拭うと、彰の入れた茶を静かにすすった。

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