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18、文化祭準備

 次の週の月曜日。  登校中の珠生は、ぞろぞろと昇降口へ流れていく生徒たちの波の中に、あのすらりとした後ろ姿を見つけてはっとした。  思わず駆け寄って、学校規定のベストの背中に触れると、彰がすいと珠生を振り返った。  そして、いつものようににっこりと微笑む。 「やぁ、おはよう、珠生」 「お、はようございます。あの……もう、大丈夫なの?」 「あぁ、大丈夫だよ。久々の学校だ。変りはないかい?」 「うん、特にない、かな。おかえり、先輩」 「ははは、おかえりか。ありがとう、珠生」  彰はいつもと変わらぬ笑顔を見せて、珠生の頭をぽんと撫でる。珠生は嬉しくなって、にっこりと笑った。 「文化祭の準備は順調かな?」 「あ、はい。ぼちぼちと」 「修学旅行の準備も始まってるんだよね?」 「あ、そっちはそんなに……」 「うちの学校は時期が近いから、半分は同時進行じゃないと駄目なんだよ。しょうがないなぁ」 「すみません」 「いやいや、僕がきちんと伝えてなかったせいだね」  彰はやる気が出てきたのか、袖をまくって白い腕を晒す。珠生は苦笑した。 「根っからの生徒会長ですね」 「まぁね。放課後、委員会があったかな? そこでちゃんと締めていくよ」 「あはは……怖いな」  彰は笑って珠生の肩を叩くと、さっさと校舎へと入っていった。    +  明桜学園高等部では、一ヶ月後に文化祭を予定している。  県下トップクラスの進学校であるこの学校では、学術以外のイベントにはあまり力を入れる傾向がない。それでもスポーツ推薦組が張り切って模擬店などを開くので、毎年そこそこの盛況をみている。  珠生らのA組も、お祭り好きの空井斗真を中心に、わらび餅を販売するという趣向に流れ、模擬店の開催が決定した。聞けば、斗真の祖母が和菓子屋をやっており、仕込みのやり方などをすぐに聞くことが出来るのだという。  珠生はノートにそれらの流れをメモしながら、クラス委員の優等生・三塚誠と奈良井真弓が前に立って話を進めている様子を見ていた。副会長の湊は、衛生面についてちくちくと細かいことを言っていたが、斗真はそんなことは百も承知だと言い返したりしている。  調理、販売、買い出し、外装等々の細かい部分も着々と決定していき、徐々に文化祭のムードが高まってきていた。去年文化祭をさぼった珠生には、この高校生活らしいイベントが目新しく、そして楽しかった。  こういう話し合いをしてみて初めて、A組はなかなか落ち着いてまとまりのあるクラスだと感じた。若松も特に口をはさむでもなく、窓際に椅子を置いて流れを見ている。大まかな作業スケジュールが決まった時、二時間続きのロングホームルームを終えるチャイムが鳴った。  若松が立ち上がって、外装のための資材の在り処や予算についての話をし始めた。その頃にはクラスメイト達は少しずつ浮き足立ってきており、ざわざわと小うるさくなってきていた。若松はバンバンと何度か教卓を叩き、「文化祭は楽しむもんだ。まぁ、勉強は程々にな」と、進学校の教師にあるまじき発言をし、皆が拍手をした。 「沖野くん、買い出しのレシートって、沖野くんに渡せばいいのかな?」 「いや、会計担当は奈良井さんに決めたから、そっちに……」 「沖野くん、模擬店ブースの場所やねんけど」 「あ、それは三塚くん通して生徒会に提出して……」 「沖野くん、販売のコスチュームって、和服でいいんだよね?」 「え? うん、いいんじゃない? ……あでも一応クラス会通したほうが……」  珠生が生徒会に入ってから、いろいろと話しかける口実を得た女子達は、ちょこちょこと珠生に細かいことをと聞いてくるようになった。そそくさと美術部へ行って出品用の作品を描こうと思っていた珠生は、度重なる女子たちの問いかけに足止めを食っていた。  彼女らを適当にあしらうということが出来ない珠生を見かねて、湊は珠生の腕をぐいと引っ張った。 「珠生、会議や。行くぞ」 「あ、うん」 「あ、柏木! まだ話終わってないんやけど!」 「別に今焦って聞くことなんもないやろ。ほら、どけ」  背後で女子達がぶうぶう文句を言っているが、湊はいつもの涼しい顔でさっさと珠生を廊下へ連れだした。珠生はため息混じりに湊を見上げ、礼を言う。 「助かったよ……」 「やれやれ、お前はほんとに世話がやけんな」 「そうかなぁ」 「ま、お陰さまで面倒な女子たちもわりとまとまって取り組もうって感じになってるし、ええか。うまいことまとめてくれよ」 「……それは俺の仕事じゃないよ」  二人が並んで廊下を歩いていると、反対方向から亜樹が歩いてくるのが見えた。日直なのか、配布物を抱えている。亜樹の隣には、バスケ部キャプテンの本郷優征が並んでいた。優征も何やら抱えて歩いているが、亜樹のわかりやすい迷惑顔を見ていると、あまりいい雰囲気ではないらしい。   亜樹は珠生と湊を見て、少しばかり表情を緩めた。そして、隣にいる優征も珠生たちに気づいたらしい。凛々しく華のある顔を歪めている。  球技大会の日から、優征は珠生を目の敵にしているのだ。 「おお、沖野くんやん。球技大会の時はどうも」 「えっと……誰だっけ?」  優征を覚えていなかった珠生は、湊にひそひそと小声で尋ねた。湊は、「バスケ部キャプテンの本郷や」とぼそりと口にした。 「ああ……どうも」 「お前、あんなにバスケできるんやったら、今からでもバスケ部に来いや。歓迎されんで」 「あ、いや……俺はいいよ。体力ないし……」 「体力ないことないやん。ええから、一回見学来てみぃや。優しくしたるで」  珠生に絡み始めた優征を見て、亜樹は明らかにげんなりとした顔をした。湊はそんな様子を見てか、亜樹に話しかけた。 「これから終礼か?」 「あ、うん。文化祭の話し合いが長引いてん」 「何やんの?」 「……メイド喫茶」 「は?」 と、湊はきょとんとした。 「え? 天道さんがメイドするの?」 と、珠生が優征そっちのけで食いついてくる。亜樹は面倒くさそうに頬をふくらませた。 「うちのクラスの女子がノリノリやねん。でもうちは、そんな服着ぃひん」 と言った。すると優征は悠々とした口調で、口を挟んできた。 「いや、俺は見てみたいけどなぁ。天道のメイド姿」 と、甘い声だ。亜樹はじろりと優征を睨んだ。 「うっさいな、きもい。ほら行くで、終礼始まらへんやろ」 「はいはい。じゃあまた」  二人が隣のクラスに入っていくのを見届けて、珠生と湊は目を見合わせた。 「えらい面倒くさそうな奴に付きまとわれてるみたいやな」 と、湊。 「ほんとだね」 「本郷は学内外で相当もててるからなぁ。最近は、落とせそうにない女を落とすことに生きがい感じとるらしいから、ちょっと天道のことも気ぃつけといたらんと」 「えー、そうなの? 何が面白いんだか」 「もうめんどいからさ、お前と天道、仮面カップルやれや」  歩き出しながら、湊がそんなことを言い出したので、珠生はぎょっとした。 「はぁ? やだよ」 「お前と付き合ってるて噂になれば、ああいうおかしな虫は付かへんやん」 「いやだ。それはそれでもっと面倒だって。湊がやればいいじゃん」 「俺は面倒事はごめんや」 「じゃあ俺にも言うなよ」  二人はぶつくさと文句を言い合いながら、階段を降りていった。

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