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21、斗真の記憶
「今日俺を補導した警察官の人、十六夜の時に警備にあたってた人だった。俺を覚えてたみたいだ」
舜平はダイニングでコーヒーを飲みながら、制服姿で今日あったことを語る珠生をじっと見つめていた。
「え、そうなん? よう覚えてたな……ってお前の顔、あんなとこで見たら忘れられへんか」
「……とりあえずとぼけておいたけど。目をつけられたら嫌だなぁ」
「まぁお前は見た感じ大人しそうやから、大丈夫ちゃうか?それにチンピラの証言なんか、信憑性ないしな」
「うん……」
「それに、その吉岡さんって刑事も味方なんやろ?」
「そうだね」
吉岡の丸っこい顔が思い出されて、珠生は少し笑った。舜平の顔を見ていると、ぴりぴりとしていた心が少しずつ落ち着いてくるのを感じる。
珠生は急激に眠気を感じた。
「眠いんか?」
「……うん」
「可愛いな、お前」
「……え?」
目をこすっている珠生を見て思わずそんなことを口走ってしまい、舜平は咳払いをしつつ口を押さえた。珠生はいつものようになんとも言えない顔をして、舜平を見ている。
「ま、まぁ……ええと、風呂入ってから寝ろよ」
舜平は、取り繕うような笑顔を見せて腰を浮かせた。珠生はこくりと頷いて、見送りをしようと立ち上がる。マグカップをシンクに運ぼうとしている珠生の華奢な背中は、尚も心細いと訴えているように見えるのだが、平日に変なことをしてしまうと、珠生の学校生活に悪影響を及ぼしてしまわないかと心配になるのだが……。
――帰れるわけないよなぁ……。
「あ……制服、汚れてんで」
「え?」
「やりあった時、泥がついたんやな」
「ああ、ズボンね。もう一本あるから大丈夫」
身体をねじって黒い制服のスラックスの裾を見ている珠生を、キッチンの中に入って背中から抱きしめる。すると、珠生はすぐにおとなしくなった。
学校で使ったのか、ペンキのような匂いがする。土の匂いや、珠生の柔らかい肌の匂いも。
「舜平さん……?」
「もうちょっとおって欲しいって、背中に書いてある」
「き……気のせいじゃないですか?」
「気のせいか?」
「……もう。分かってるんなら、そんな意地悪言わないでよ」
「ははは、ついな。いつもの癖や」
珠生は舜平に向き直ると、正面からぎゅっと抱きついた。こんな風にまともに甘えてくる珠生が珍しく、舜平は新鮮な驚きを感じつつも珠生を優しく抱きとめる。舜平のシャツに顔を埋め、珠生は深く息を吸う。
「……落ち着く」
「そうか?」
「舜平さんの匂い……好きだよ」
「……そうか」
「うん……」
シンク押し付けられながら、珠生は舜平に唇を塞がれた。舜平の手が制服のネクタイを緩め、スラックスのベルトを緩めていく。
珠生は舜平の首に手を回し、深いキスを繰り返し浴びながら、うっとりと目を閉じた。するするとスラックスを下げられて、下着の中に入り込んでくる舜平の手のひらに弄ばれながら、珠生は心地よさそうなため息を漏らした。
+
翌朝、空井斗真はのろのろと重たい足取りで、学校へ向かっていた。
昨晩、柏木湊が斗真を家まで送ってくれた。するとどういうわけか、斎木彰まで斗真の前に現れたのだ。
彰は斗真の自宅のブロック塀に寄りかかって、薄笑いを浮かべて立っていた。何度目か見た私服姿の彰は、高校生には見えないほどに大人びて見える。
「……斎木先輩」
「やあ、空井くん。災難だったね」
そう言って、街灯の下の姿を現した彰の目を見た瞬間、ぞっとした。見てはいけない物を見てしまったような気がしたのだ。
「あの……俺……」
「先輩、こいつさっきから珠生に礼が言いたいって、きかへんのです」
と、隣に立つ湊がそう言った。実際、珠生の不可思議な言動はどうあれ、ピンチを救われたことは事実なのだ。斗真は湊にもずっと礼を言い続けていたのである。
「そうかい。巻き込んで悪かったと、謝ろうと思っていたのにな」
と、彰が小首を傾げて斗真の目を覗きこむ。
いつも学校で見ている彰の顔ではないような気がした。この二人は、一体自分に何をしようというのだろう……と、斗真は段々怖くなってきた。
「俺……誰にも言いませんから。ただ、沖野にちゃんと礼が言いたいんです」
「ふうん……。そうだな……ま、それでもいいかな」
「先輩?」
一向に忘却術をかけようとしない彰に、湊が不思議そうな顔をする。彰は微笑んだ。
「空井のことはよく知ってる。しばらく様子を見よう」
「はぁ」
「え?え?」
二人の顔を交互に見つめて不安げな顔をしている斗真の肩を、彰はぽんと叩いた。
「ま、今日見たことは誰にも言うな。言っても誰も信じないだろうけど」
「……はぁ」
「明日も普通に学校に来るんだよ? いいね?」
「はい……」
彰はにこりと笑って、すっと暗がりに姿を消した。斗真はぽかんとして、眼鏡のない湊の横顔を見た。
「……お前ら、一体何なん……?」
「まぁまぁ、細かいことは気にすんな。よう休めよ」
湊は珍しく微笑んで、斗真を玄関の門扉の中に押し込んだ。がしゃん、と閂を外から締めると、「また学校で」と湊は元来た方向へと帰っていった。
+ +
訳が分からなかったが、斗真は言われた通り普通に学校へやってきた。昨日の出来事は夢であったのではないかと思いながらも、昇降口に沖野珠生の茶色い頭を見つけた瞬間は、否応なくどきりとしてしまう。
先に階段を登りはじめた珠生の肩を掴んで振り向かせると、珠生のびっくりしたような顔が目の前にある。いつもの穏やかな珠生の顔だ。
「沖野……あのさ」
「なに?」
「いやあの……昨日は、ありがとうな」
「え? 何が?」
「え……? いやさ、ほら……」
「あぁ、外装手伝ったこと?いいんだって、どうせ帰っても暇なだけだしさ」
そう言って、珠生は笑っている。階段は人通りが多く、ちらちらと生徒たちが二人を観察しながら通りすぎていく。そんな生徒たちの目線に気づいた斗真は、はっとして珠生の身体から手を離した。
「……ごめん、こんなとこで」
「いいよ。……昨日のことは、忘れてね」
珠生が小さな声でそう囁いた。やっぱり、昨日のことは現実なのだと、斗真は愕然とする思いがした。
隣を歩く珠生の横顔をちらりと盗み見て、目の下にうっすらくまが浮かんでいることや、いつになく顔色が悪いことに斗真は罪悪感を感じた。
きっと自分のせいで体力を使ったのだろうと思ったのだ。
「おう、珠生。お勤めご苦労さん」
教室に入ると、窓際に座っていた湊がそう言ってニヤリと笑った。昨日眼鏡を無くしたはずなのに、ばっちりいつもと同じ眼鏡をかけていることに驚く。珠生は憮然とした表情を浮かべると、鞄を自分の席に置いてから湊の方へと歩み寄った。
「冗談じゃないよ」
「藤原さんに聞いたで。補導されたって?」
「どんな妖に出くわすよりゾッとした」
と、珠生は朝の風の入る窓に身体をもたせかけ、ため息をついた。
「それでひどい顔なんか?お前、えらい顔色悪いぞ」
「いや……これは」
昨晩、結局舜平とのセックスにもつれ込んでしまった珠生は、寝不足なのだ。一度始まってしまうと舜平はなかなか珠生を離してはくれず、泣かされ喘がされながら、何度も何度も交わり合った。結局一時間眠ったくらいで、目覚まし時計が鳴っていたのだ。
「……昨日、あのあと、舜平さんが迎えに来たから」
「え? あぁ……そういうこと」
「うん」
「全く、こんなド平日に何をやってんねん」
と、湊は呆れたようにため息をつく。
「……そうだよね」
「まぁ今日は昼から文化祭準備やし、授業中爆睡ってことはないやろうけど」
「まぁ……頑張るよ」
「アホやなぁ、お前ら」
「五月蝿い」
珠生は青白い顔で膨れ面をした。二人が話をしている姿を、斗真は教室の反対側からじっと見ている。
ほどなくして始業のチャイムが鳴り、朝のホームルームが始まった。
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