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〈1〉
とある金曜日。
舜平はアルバイトの後で、珠生の自宅にやって来た。珠生から、相談したいことがあると言われたためである。
夕飯をうちで食べて行ってくれという内容のメッセージも添えられていたため、舜平は十八時きっかりにアルバイトを終え、車でまっすぐ珠生の家までやって来た。
+ +
「先生にプレゼント?」
「うん、父さん、来週誕生日なんだよね」
制服のワイシャツに珍しく黒いエプロン姿の珠生が、キッチンでいそいそと夕飯の支度に勤しむ姿を堪能していると、珠生はふとそんな話題を口にした。
「去年は何あげたん?」
「何も……。っていうか、生まれてこのかた、父親にプレゼントとかしたことなくて……何買っていか、分からないんだ」
「なるほどなぁ。……ところでお前、そのエプロンどうしたん。めっちゃかっこええやん」
「父さんがくれた。このやたら切れる包丁とか、やたら重たいフライパンとか……俺が料理好きだと思って、なんか色々買ってくれるんだけど……」
「ほう」
舜平はダインニングチェアから立ち上がり、カウンターキッチンの中を覗き込んだ。そういえば、初めてここへ来た時のことを思うと、沖野家にはずいぶんと調理器具が増えている。にこにこしながら通販のサイトをクリックする健介の姿や、宅配業者から大きな段ボールを受け取って微妙な顔をしている珠生の姿が目に浮かぶようだった。
「一回くらい、ちゃんとお祝いらしいことをしてもいいかなと思って……」
「そっか。ええ息子やなぁ、お前」
「そんなことないけど。……できたよ」
今日のメニューは、トンカツだ。カラッといい色に揚がったトンカツからは、食欲をそそる油の香りと、甘い肉の香りが立ち上っている。細く器用にカットされたキャベツの千切りを添えた皿に肉を盛り、味噌汁を器に注ぎ、珠生はそれらをカウンターの上に並べた。
「めっっちゃうまそう。お前、ほんますごいやん。うちのおかんよりすごい」
「そんなことないよ。お口に合うといいんですけど」
白飯を盛り、グラスに麦茶を注ぎながら、珠生は無表情にそう言った。シンプルなランチョンマットの上に並ぶ食事を挟んで向かい合い、二人はなんとなく目を見合わせる。
舜平が優しい笑みを浮かべながらじっと見つめてくるものだから、珠生はすっかり照れてしまった。目を伏せつつ、とんかつソースを舜平に手渡したりしながら、珠生はつっけんどんな口調でこう言った。
「……何見てんだよ」
「いや……なんか、幸せやなと思って……」
「う、浮かれないでよ。父さん、今日は帰ってくるんだからな。何時になるか分かんないけど」
「あ、そうなん?」
「ってか、今日大学で会ったでしょ、普通に」
「おお、せやな」
舜平は行儀良く手を合わせていただきます、と言うと、味噌汁に口をつけてしみじみ「美味い……」と呟いている。そんな様子を見て、珠生は気恥ずかしそうに表情を緩めた。
「うわ、美味っ! トンカツうまっ! 最高やな」
「……え、そう? よかった」
「ええなぁ、先生は。お前の飯、毎日食えて」
「……毎日じゃないけどね、たまにはサボるし」
「はははっ、そらそうやんな。しかし美味い」
「……ありがと」
舜平の食べっぷりは気持ちがよく、珠生はむず痒いような幸せを感じながら、自分も食事をとった。こうして二人で食事を取る回数も、ここのところ徐々に増えてきているような気がする。
「……あ、せや。先生にあげるもん、やな」
「うん。何がいいかなぁ……」
「お前があげるもんなら、何でも喜ばはりそうやけど……うーん」
「舜平さんは、宗円さんに何かあげたりするの?」
「俺? 俺は……」
舜平は箸を止め、過去を振り返るようにちょっと目線を上にあげた。
「ガキの頃はベタに肩たたき券とか、スナック菓子についてたキンキラのシールとかあげて喜んでたけどなぁ。最近は、そういや何もしてへんな。妹が俺と兄貴に金だけ徴収しに来て、勝手になんかプレゼントしてるわ」
「ふーん……そうなんだ」
千秋は何かしていたのだろうか……と珠生はふと思い出そうとしたが、今はここに千秋はいないし、父の誕生日は来週と迫っている。あれやこれやと提案してくる割に決定権を珠生に押し付けてくる千秋と、ああだこうだと議論している時間はない。
「どうしようかなぁ」
「ネームホルダーなんてどうやろ。首から提げるやつ」
「ああー……、あれ、父さん持ってなかったっけ?」
「うちの教員は基本的に名札ぶらさげてなあかんきまりやねんけど……先生なぁ、学会とかでタダでもらえる、プラスチックに細い紐のついた安っぽい名札ケース、ずーーーーっと使ってはんねんな。それこそもう、紐は擦り切れそうやしプラスチック面もバキバキやし、もう教授やのにこれではあかんやろって前から思っててん」
「そ、そうなんだ……恥ずかしいな」
「せやし、ちょっと見栄えのええやつプレゼントしたら喜ばはるんちゃうか? 先生、黙ってたらめちゃ男前やしさ、ええもん身につけてたら絶対男ぶり上がると思うねん」
「黙ってたら……うん、確かに」
ネームホルダーなんて見たことないなぁ……と珠生は思い返しつつ、トンカツを食べた。そういえば、ここに来て初めて父の白衣を洗濯したとき、着込みすぎて生地がぺらぺらになっていることや、ボタンがほとんど取れていること、そして袖口がほつれていること……等々に軽く衝撃を受けたことを思い出す。あの時も、珠生はすぐに「新しいのを買ったほうがいい」と進言したのだ。
そういうことに無頓着な父(人のことは言えないが)の威厳のためにも、ネームホルダーは新調すべきであろうと珠生は思った。
「そうする。アドバイス、ありがとう」
「ええって。俺も気になってたし」
「どこで買おうかなぁ……俺、全然店とか知らないから……」
「ほな、一緒に選びに行こや。こないだできたばっかりのショッピングモールなら、色んな店入ってるし、いいもん見つかるんちゃうかな」
「ショッピングモールかぁ」
確か、テレビで見たことがある。一ヶ月ほど前に完成したばかりの、京都では珍しい超大型ショッピングモール。
ハイブランドからプチプライスの雑貨、そして食料品から衣料品、車用品まで全てが揃うという謳い文句の大型商業施設が、珠生の住む京都市左京区にオープンしたばかりなのだ。距離はさほど遠くはないが、珠生は出不精なので、絶対に自ら行こうとは思わない場所である。
「人が多そうだなぁ……」
「来週、創立記念日とか言ってへんかったっけ」
「え? あぁ、うん。金曜日」
「金曜なら俺、授業昼までやし。バイトも代わってもらえるやろから大丈夫やで?」
「本当? じゃあ、お願いしようかなぁ」
「おう、任せとけ。十二時に迎えにくるわ。色々見て回ろうや」
「うん、ありがとう」
珠生がほっとしたような笑みを浮かべると、舜平は爽やかに微笑み返してくれた。
自分の知らない世界へ、力強く手を引いていってくれる舜平のことが頼もしく、珠生はついつい舜平にくっついて甘えたくなってしまうのだが……。
「珠生〜ただいまぁ〜!! あれ、相田くん、来てたんだ」
「あ、お、お邪魔してます!! すみません、お先にいただいてます!!」
ガチャ!! と派手な音がして、健介が帰宅してきた。
珠生は慌てて表情を引き締め、健介の分の肉を揚げようと、椅子から立ち上がった。
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