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三、孤独の記憶

 ――忌み子……忌み子じゃ……!! あの化け物の落とし胤じゃ、なんという禍々しい妖気……! 不気味な姿……。  ――殺せ! 生かしておけばこいつは再び、我らを食い殺しにやって来る。赤子のうちに殺すのだ……!!  ――殺せ……! 殺せ!  閉じ込められた冷たい洞穴の中は、一寸の光も射さない真っ暗闇だ。その暗闇の中に何かを見つけようと、黒い瞳をめいいっぱいに開いてみた。  それでも、そこには何も見えなかった。  寒い……とても寒い。ぴた、ぴた、と水音の滴る、湿っぽく冷たい洞穴の中、ぬくもりを求めて自分の手足を抱え込んだ。  ――ころせ……ころせ……!!!  憎しみの込もった大人たちの眼が、忘れられない。  どうして僕はあんな目で見られて石をぶつけられ、追い掛けられなくてはいけないのだろう。  なんで、仲間に入れてもらえないんだろう……。  ただ、暗闇の中で泣くばかりの数年間。どうやってその中で生きながらえたのかすら、分からない。  ある時、入り口を封じていた巨石が砕け、数年ぶりに光を見た。  大柄な人間の影に怯えながらも、新鮮な空気を求めて、一歩一歩、地面を踏みしめた。 『俺とともに都へ来い。憎いのだろう? 人間が』  ここにいなくていいのなら、どこへだって行く。  ひとりぼっちはもう嫌だ。嫌だ。  寂しい、寂しい。  涙が、止まらないよ――……。    +  +  少年は目を開いた。それと同時に、目から大量の涙が溢れ出していることに、ぎょっとする。  恐ろしい夢を見たせいで、体中汗だくだ。眼を開いて見回したその場所が、冷たい洞穴の中ではなく、カーテンで仕切られたベッドの上であることに気づくまで、しばらく時間が掛かってしまった。  見上げた天井は暗い。まだ夜なのだろうか。  少年は起き上がろうとしたが、身体に走った激痛に顔を歪めて、どさりと枕の上に頭を落とす。しかし、身体は手当されており、白い包帯が巻かれている。 「……病院?」  頭を巡らせるが、無機質な色のカーテンに仕切られていて何も見えない。  ――また、あの夢……。  この一年間で度々見ていた、生々しい夢。  冷たく湿ったあの空間で吸った、じめじめした磯臭い空気の匂い。  自分に向けられる憎しみのこもった視線。  それに抗えない、幼い恐怖心。  少年は目を閉じた。  別段、現実と夢のなかの状況は大して変わらないのに、何でこんなにも夢の内容が心に迫ってくるのだろうか……。 「織部深春(おりべみはる)くん、おはようございます。食事の時間です」  おりべ……みはる? 誰だよ、それは。  俺の名は……あれ、なんだっけ。俺に名前なんか、あったっけ?  さっとカーテンが開き、警察の制服姿の中年女性が、トレイに食事を載せて立っていた。笑顔とも言いがたい、顔を歪めただけの表情を顔にくっつけて、少年を見下ろしている。 「織部くん、起きれるかな?」 「……誰、それ……」 「あら、頭を殴られて記憶が曖昧なのかしら? 君は織部深春くん、応楽中学校三年C組、出席番号十二番。君は昨日、北大路駅裏で大人相手に大立ち回りをしていたところを補導。重症を負っていたためここで治療を受けているところです」 「……喧嘩」  ようやく、記憶が蘇ってくる。  そうだ、俺は、織部深春。昨日は……そうだ、ナンパしてきた女の彼氏とか言うのに絡まれて……。 「俺、逮捕されてるってこと?」 「いいえ、保護されているのよ。とりあえず、しっかり傷を治していくことです。保護者と連絡が取れないんだけど、親御さんがどうしてるか分かる?」 「……保護者? そんなもん、いねぇよ」 「どういうこと?」 「どうせまた、女とどっか行ってんだろ。俺のことなんか、興味ないんだよ」 「……学校に住所を尋ねて、今日にも誰かが連絡しに行くと思うけど」 「勝手にすれば」 「……まぁ、とりあえず。ご飯食べなさい。手が使えないでしょ。私が食べさせてあげるから」  深春はふくふくと太った婦警を見上げる。くるくるとカールした短く黒い髪の上にちょこんと帽子を乗せ、化粧っけのない顔をしている。同情するでもなく、事務的にそう言っているのが分かる目だ。きっとこんな子供の相手は慣れっこなのだろう。 「……どうせクソまずい飯なんだろ」 「クソまずいかもしれないけど、食べたほうが身のためやで」 「……へいへい」  口を開くと、差し出されるスプーン。  クソまずいと思っていた食事は、涙がでそうになるほどに美味かった。  久しぶりに食べたまともな食事。敵意のない人間。  深春は夢中で、食事をとった。  +  +  久しぶりに腹が満たされ、深春はとろとろと眠っていた。警察病院の中にいるというのに、こんなにも安息な気持ちになれたのはいつぶりだろう。  あの小太りの婦警がちょこちょことやって来ては体温を測ったり、汗を拭ったりしにやってくるのを、深春は夢うつつに感じていた。  午後になり、にわかに人の気配が感じられた。深春はうっすらと目を開き、カーテン越しに誰かが話をしている声を耳にした。あの婦警の声と、男の声。一瞬、父親が来たのかと思い、体中が緊張した。  しかし、カーテンを開いて顔を覗かせたのは、年若い男だった。少し色の薄い髪と、狐のような目つきをした若い男。  深春と目が合うと、男はほほ笑みを浮かべる。 「……誰?」 「織部深春くん。はじめまして。僕は斎木彰といいます」 「さいき……?」 「怪我の具合は?」 「……は? 何? お前、カウンセラーか何かか?」 「はは、そう見える?残念ながらそうじゃない。君に話を聞きに来た」 「……警察か」 「いいや、僕はただの高校生だよ」 「え?」  斎木彰と名乗った青年は、ベッドサイドの椅子に腰掛けると、薄笑いを浮かべた表情で深春の顔をのぞき込んだ。 「……君、ひょっとして何か変な夢をみるんじゃないのかい?」 「……」  一瞬、ぎょっとした。にこやかに見えて、全く隙のない目つきをしたその青年の目に、自分の心の奥底を見透かされているような気がしたのだ。深春は警戒心を強め、ぐっとその男を睨みつける。 「……何のことだよ」 「怖い夢、見てるんじゃないの?」 「ゆ、夢なんか見てねぇよ」 「そう。では、聞き方を変えようか。君は、変な力を持て余してるんじゃないのかい?」 「……え?」  深春はまたぎょっとした。     ここ一年ほどの間で、一番深春を悩ませている事実を、その青年が口にしたからだ。  あの生々しい夢をみるようになってからというもの、深春は自分の身体に起こった変化を感じていた。怒りを感じたり苛立ったりすると必ず、周りにあるものが壊れたり、人が傷ついたりするようになったのだ。  いいこともあった。  そのおかげで、喧嘩は負け知らず。どんな人数で取り囲まれても、深春は絶対に負けなかった。  しかし昨日は、えらくガタイのいい大人六人に取り囲まれ、さすがの深春も苦戦した。どこからどう見ても堅気には見えない男たちだった。加えて、ここ二日ほど、深春はちゃんとした食事をとっていなかったこともあり、身体が全くいうことを聞かなかったのだ。 「僕らは君を保護しに来た。我々のもとで、その力の使い方を学んでみないか」 「……はぁ? 何言ってんだお前。気味悪ぃこと言ってんじゃねぇよ」  ぼこぼこに腫れた顔では凄味がないが、深春は精一杯その男の顔を睨んだ。青年はそんな返答を予想していたのか、ふっと微笑んで立ち上がる。 「また来るよ。君の仲間たちもそのうち紹介しよう」 「仲間?」 「この世界には、君と同じような力を持つ者が他にもいるんだ。……君の仲間、と言える存在だと思うけどね」 「は? 仲間とか、知るかよ……笑わせんな」 「ま、ちょっと考えてみてごらん。じゃあね。お大事に」  男はひらりと手を振って、カーテンの隙間から消えた。深春はきょとんとして、わけのわからないことを言って帰っていった男のいた辺りを見つめた。 「……同じような力……?」  自覚してはいなかったが、ひどく緊張していたらしい。青年の気配が消えた途端、深春はどっと疲れを感じた。  枕やマットレスに、身体が沈み込んでいくように感じる。深春は再び夢の中へと落ちていった。  +  +  彰は深春との面会を終え、藤原の待つ応接室へと戻ってきた。  そこには、京都府警の吉岡信江と藤原が座っている。二人は、深春の生活状況や生育歴について話を聞くことになっていたのである。 「どうだった?」  吉岡の隣に座った彰に、藤原はそう尋ねた。 「反抗的ですね。でも、力は強い。あれは放っておくと危険です」 「……そうか」 「やっぱりねぇ。昨日捕まえた奴らがさ、”あのガキは超能力使いよった”って意味分かんないこというから、藤原に連絡したんだけど」 と、吉岡は茶をすすりながらそう言った。 「私が京都にいる時でよかったよ」 と、藤原は笑う。二人は大学時代の同期なのである。 「しかし……ひどい環境ですね」  彰はテーブルの上に開かれた資料に目を落としつつ、そう言った。  織部深春は現在父子家庭であるが、その父親に養育能力はほぼないといっていい。深春が物心付く前に母親は蒸発し、以降父親が連れてくる恋人が代わる代わる彼を育てていたという。  定職につけず、金銭面でも苦労が多かった深春の父親は情緒不安定だった。女がいる時はいくらか落ち着いていたが、破局するたびに大きく荒れて、深春にもひどい暴力を振るってきた。  小学生の頃、一時期は児童相談所での保護の対象となり、深春は施設に入ったこともあった。しかし、すぐに父親が連れ戻しに来るという繰り返しだった。  深春自身もかなりの情緒不安定な児童であり、教師たちからは一番に目をつけられる児童だった。  また、彼の食事は給食の一食のみであるため、彼が早退したがっても、とりあえず必ず給食だけは食べさせるように指導してきたという。  集中力はなく、学力も低い。すぐに手が出て相手を傷つける深春を皆が恐れ、クラスでは一人も友達がいなかった。  中学へ進んだものの、深春はいわゆる不良グループとの付き合いを覚えてしまい、殆ど学校へは行かなかった。家にも帰らず、盛り場や不良仲間の家を泊まり歩くような毎日。喫煙、飲酒は当然ながら、喧嘩にも明け暮れるような生活に身を落としていた。  しかし中三になってからというもの、そんな不良グループからも深春は煙たがられるようになる。それは深春の引き起こすポルターガイスト現象のせいであった。皆が彼を気味悪がり、遠ざけた。深春はそこにいることすら許されなくなったのだ。  そんな深春が身を寄せるようになったのが、女のところだ。不良グループとも関係のあった水商売の女たちによって、深春は雨露をしのぐ場所を得ていた。しかし、女を奪われたと思い込んだとあるやくざ者の男たちによって、深春は今回重症を負わされたという流れであった。  彰もため息をついてしまう。  先入観を持たないために、何の情報も持たずに彼の元を訪れたが、腫れ上がったまぶたの下には、きっと傷ついた目があったのだろう。 「……壮絶だね」 「ああいう子は、なかなかケアを受け入れにくいからね。ゆっくり信頼関係を作って行かないと」 と、吉岡。 「そう悠長なことも言ってられませんよ、あの子はかなり妖力を持ってる。どうも……夜顔の気配がする」 「……何だって?」  藤原が顔を上げる。彰は顎に手を当てて、じっと資料を見つめた。 「あの子も、藤之助様と出会うまではかなり過酷な人生を歩んでいた。そしてこの子も……。僕らと出会ったことで、何かが変わるといいんだけどね……」  彰がそう呟くのを、藤原は静かに聞いていた。  吉岡は話の内容がよく分からないのか、少し身を引いて何となく頷いている。 「ひとまず、受け入れ先を考えなければならないな。彼の身柄を放置しておくわけにはいかない。……宮尾さんのところで受け入れてもらうのが一番なんだが、亜樹さんがいるからな……」 「年頃の女の子ですからね」 と、彰。  話を聞いていると、どうも女性に対して手が早いようなので、どうしても心配になってしまう。 「しかし……保護業務は宮尾さんに任せるのが一番だからな。彼女には力もある上、メンタルケアの資格も持っているからね」 「そうですね」 「……確認してみよう。亜樹さんにも、事情を説明しておかなければな」  藤原はそう言って、しばらく机上の書類を見つめていた。

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